ザルツブルク音楽祭とセル
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「ジョージ・セル」の記事における「ザルツブルク音楽祭とセル」の解説
前述のように、第二次世界大戦後はアメリカを本拠としたセルであったが、それでも毎シーズン、ヨーロッパに戻って客演指揮活動を行っていた。その中でも、1949年に初出演したザルツブルク音楽祭とは、死の前年の1969年までほぼ密接な関係を続けた。1949年は恩師であるリヒャルト・シュトラウスの「ばらの騎士」などを指揮した。シュトラウスはこの時、ウィーン・フィルを通じてセルにプライヴェートな手紙を託していたが、音楽祭終了後の9月8日に死去した。その後もオペラ、オーケストラ双方で活躍した。 なお、ザルツブルク音楽祭での一連のオペラ指揮が、セルにとってオペラを指揮する最後となった。 ザルツブルク音楽祭でのセルの演奏曲目 1949年リヒャルト・シュトラウス:「ばらの騎士」 ウィーン・フィル:ハイドン/交響曲第92番「オックスフォード」、R・シュトラウス/「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」、シューベルト/交響曲第8番「未完成」 1952年ウィーン・フィル:ベートーヴェン/交響曲第6番「田園」、ブラームス/交響曲第1番 1954年ロルフ・リーバーマン:「ペネロペ」(世界初演) ウィーン・フィル:ハイドン/交響曲第93番、ブラッハー/パガニーニの主題による変奏曲、ブラームス/交響曲第4番 1955年ヴェルナー・エック:「アイルランドの伝説」(世界初演) 1956年モーツァルト:「後宮からの誘拐」 ウィーン・フィル:モーツァルト/交響曲第40番、ピアノ協奏曲第23番(セル)、交響曲第41番「ジュピター」 1957年リーバーマン:「女の学校」(ドイツ語版初演) ベルリン・フィル:モーツァルト/交響曲第29番、ピアノ協奏曲第25番(レオン・フライシャー)、交響曲第40番 1958年8月6日/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団:モーツァルト/交響曲第33番、ピアノ協奏曲第9番「ジュノーム」(ルドルフ・フィルクスニー)、交響曲第41番「ジュピター」 8月8日/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団:アイネム/バラード(ヨーロッパ初演)、ウォルトン/パルティータ(ヨーロッパ初演)、プロコフィエフ/交響曲第5番 1959年モーツァルト:「魔笛」 8月3日/フランス国立放送管弦楽団:モーツァルト/交響曲第35番「ハフナー」、ヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」(エリカ・モリーニ)、ハイドン/交響曲第92番「オックスフォード」 1961年シュターツカペレ・ドレスデン:ベートーヴェン/「コリオラン」序曲、ピアノ協奏曲第5番「皇帝」(ニキタ・マガロフ)、交響曲第5番 1963年8月4日/チェコ・フィル:ベートーヴェン/「エグモント序曲、ピアノ協奏曲第3番(フィルクスニー)、交響曲第3番「英雄」 1964年8月10日/ベルリン・フィル:グルック/「アルチェステ」序曲、モーツァルト/ピアノ協奏曲第27番(クリフォード・カーゾン)、R・シュトラウス/「家庭交響曲」 1965年8月2日/シュターツカペレ・ドレスデン:ベートーヴェン/「エグモント」序曲、ピアノ協奏曲第4番(カーゾン)、ブルックナー/交響曲第3番(1889年稿) 1966年ベルリン・フィル:ウェーバー/「魔弾の射手」序曲、モーツァルト/ピアノ協奏曲第24番(ロベール・カサドシュ)、ベートーヴェン/交響曲第6番「田園」 1967年クリーヴランド管弦楽団:ウェーバー/「オベロン」序曲、R・シュトラウス/交響詩「ドン・ファン」、ベートーヴェン/交響曲第3番「英雄」 クリーヴランド管弦楽団:ブラームス/交響曲第2番、モーツァルト/交響曲第40番、ラヴェル/「ダフニスとクロエ第2組曲」 1968年ベルリン・フィル:ハイドン/交響曲第93番、モーツァルト/交響曲第29番、ベートーヴェン/交響曲第8番 8月21日/ウィーン・フィル:ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第5番「皇帝」(カーゾン)、ブルックナー/交響曲第7番 1969年8月24日/ウィーン・フィル:ベートーヴェン/「エグモント」序曲、ピアノ協奏曲第3番(エミール・ギレリス)、交響曲第5番
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