ザルツブルク時代
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「ベルンハルト・パウムガルトナー」の記事における「ザルツブルク時代」の解説
ベルンハルト・パウムガルトナーは1917年からその活動の中心をザルツブルクに移す。モーツァルテウム音楽院の学院長を1959年までつとめる。パウムガルトナーのもっとも有名な弟子は、ヘルベルト・フォン・カラヤンである。1929年にはモーツァルトを演奏するための室内管弦楽団、カメラータ・アカデミカを創立。1959年から1971年まで、ザルツブルク音楽祭の総裁をつとめる。1958年には来日して当時のABC交響楽団(近衛管弦楽団)などを指揮している。 ザルツブルク音楽祭では、モーツァルトマチネ、モーツァルトセレナーデなどを指揮する一方、フーゴー・フォン・ホーフマンスタールの戯曲イェーダーマン(de:Jedermann)の舞台音楽の作曲も手がけている。またパウムガルトナーの業績は、ヘルブン音楽祭の創設、ザルツブルク音楽ギムナジウムの創立、モーツァルトの研究など多岐に渡り、当時のザルツブルク最大の人格者であった。その功績を記念して、才能ある音楽家を対象としたベルンハルト・パウムガルトナー賞が設定されている。 音楽学者としての功績に、永年行方不明となっていたモーツァルトのオーボエ協奏曲(ハ長調)を1920年に発見したことが挙げられる。これはフルート協奏曲第2番(ニ長調)と事実上同一曲であり、オーボエ版をオリジナル、フルートを編曲とする推定の元に出版されたが真相は今なお100%解明されていない。
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