ホーエンザルツブルク‐じょう〔‐ジヤウ〕【ホーエンザルツブルク城】
ホーエンザルツブルク城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/04 00:38 UTC 版)
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ホーエンザルツブルク城(Festung Hohensalzburg)は、オーストリア共和国北西部の都市ザルツブルクにある城。1996年、世界遺産「ザルツブルク市街の歴史地区」の一部として登録された。
歴史
1077年、神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世とローマ教皇グレゴリウス7世の間に起きた聖職叙任権闘争後に、教皇派の大司教ゲプハルト・フォン・ヘルフェンシュタイン1世が、皇帝派の南ドイツ諸侯のカノッサの屈辱への報復を恐れて市の南端、メンヒスブルク山山頂に建設した防衛施設[1]。マイセン辺境伯コンラート1世(1098年頃 - 1157年)の代にほぼ完成した。神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世"バルバロッサ"(在位1152年 - 1190年)によるザルツブルク焼討ちでも焼失を免れた。15世紀後半になるとハプスブルク家、バイエルン公等の周辺諸侯の攻撃や市民の反乱に備えて強化され、鐘楼、薬草塔、鍛冶の塔、囚人の塔、武器庫、穀物貯蔵庫等が建設され、防壁が強化された。ナポレオン戦争によるナポレオンのフランス軍の占領後の1816年からは、ザルツブルク市街とともにハプスブルク家の支配下に入った。
2012年9月、トリップアドバイザーの企画「バケットリスト」の「世界の名城25選」に選ばれた[2]。
交通
- ケーブルカー
- ライスツークは1515年に建設された鉄道史においても初期・最高齢の鉄道と言われる。城内の輸送に使用された[3][4]。
- フェストゥングスバーン (ザルツブルク)の始発駅である。
最寄りの観光名所
- ザルツブルク大司教宮殿
- ホーヘンヴェルフェン城 - 同時に建造された姉妹城
参考資料
脚注
- ^ “デジタル大辞泉の解説”. コトバンク. 2018年5月13日閲覧。
- ^ 死ぬまでに行きたい世界の名城25
- ^ Kriechbaum, Reinhard (2004年5月15日). “Die große Reise auf den Berg” (German). der Tagespost 2009年4月22日閲覧。
- ^ “Der Reiszug - Part 1 - Presentation”. Funimag. 2009年4月22日閲覧。
関連項目
外部リンク
ホーエンザルツブルク城
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「ザルツブルク市街の歴史地区」の記事における「ホーエンザルツブルク城」の解説
ホーエンザルツブルク城 (Festung Hohensalzburg) は、1077年、神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世とローマ教皇グレゴリウス7世の間に起こった叙任権闘争のさなか、教皇派の大司教ゲプハルト(英語版)(ゲプハルト・フォン・ヘルフェンシュタイン1世)が皇帝派の南ドイツ諸侯に対抗すべく建築した防衛施設で、旧市の南端、メンヒスブルク山の山頂に立地する。ゲプハルトにはじまった増改築はマイセン辺境伯コンラート1世(1098年ころ-1157年)のもとで一応の終了をみた。「赤ひげ王」として知られる神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世"バルバロッサ"(在位1152年-1190年)によってザルツブルクの町が焼き払われたことがあったが、この城はそのときも無事であった。 ホーエンザルツブルク城は、町のほとんどどこからでも見ることができ、1.3キロメートルにわたって続く高さ約50メートルの高地をなしている。一番高い場所(ホーアー・シュトゥック)の標高は508メートルである。 城のなかには、等身大の12使徒像がならんだ1498年建造の「聖ゲオルク礼拝堂」、ザルツブルクの町の人びとに時を告げる、1502年製作の機械オルガン「ザルツブルクの雄牛」があり、いずれもレオンハルト・フォン・コイチャッハ大司教(在位1495年-1519年)の大拡張によるものである。その後も歴代の大司教により増改築がくり返され、17世紀後半にはほぼ現在の姿に近づいたと考えられる。 内部はブルク博物館になっており、マヨルカ焼の後期ゴシック様式の豪華なストーブや武器、魔女狩りが盛行した時期の拷問具などが展示され、「黄金の大広間」「黄金の小部屋」など後期ゴシック様式の壮麗な部屋がある。15世紀までは大司教の住居として使用され、それ以後は兵舎または牢獄として利用されたが、外敵に占領されたことが一度もなく、ヨーロッパ中世のものとしては完璧に保存された稀有な例となっている。「レックの塔」からは北に市街地、南にアルプスの山々を見わたすことができる。 ホーエンザルツブルク城では毎年「国際サマーアカデミー」がひらかれており、世界中の芸術家が集まる。山頂へは、1892年開通のケーブルカーが約10分間隔で往復している。
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