建設初期 - ベルベル人による支配
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 08:19 UTC 版)
「フェズ」の記事における「建設初期 - ベルベル人による支配」の解説
フェズの起源は紀元前に遡ると言われることもあるが考古学的な根拠は無く、半ば伝説として扱われている。紀元前40年ごろにはフェズから北西に50km離れた場所に建てられたローマ都市のヴォルビリスが繁栄しており、同時期のフェズには公衆浴場が存在していたと伝えられている。 8世紀末にイドリース朝の創始者イドリース1世がフェズ川西岸に国家の首都となる町を建設し、イドリース1世の跡を継いだイドリース2世はフェズ川東岸に新たな町を建設した。818年にイベリア半島を支配する後ウマイヤ朝の首都コルドバから8,000の家族がフェズに移住し、イベリア半島からフェズに亡命したイスラム教徒は町の発展に寄与した。825年にはチュニジアのカイラワーン(ケルアン)から追放された家族によって、フェズ川西岸にカイラワーン地区が形成される。9世紀にアンダルス出身者が自分たちの居住区であるアンダルス地区に建立したアンダルス・モスクはイスラム教徒の礼拝の場となり、カイラワーン地区にはアンダルス・モスクの建立と同時期にカラウィーン・モスクが建立された。伝説によれば、カイラワーンからフェズに亡命した富豪が2人の娘に莫大な財産を遺して没し、遺産を相続した姉妹は信仰心の篤さを示すために、それぞれカラウィーン・モスクとアンダルス・モスクを建立したという。 やがてフェズはエジプトのファーティマ朝の支配下に入り、919年/930年にカイラワーン地区のカラウィーン・モスクは金曜モスクとされる。933年から980年までフェズは後ウマイヤ朝の支配下に置かれ、この時代にはイベリア半島からの影響を強く受けた建築物が作られる。後ウマイヤ朝の建築様式は、11世紀から13世紀にかけてモロッコを支配したベルベル人国家のムラービト朝とムワッヒド朝にフェズを通して継承される。 1069年にムラービト朝はフェズを占領し、ムラービト朝がマラケシュを首都に定めた後もフェズは芸術・学問の中心地として発展を続ける。11世紀のムラービト朝の時代にフェズ川を隔てて並立していた2つの地区は塁壁で1つに統合されるが、居住区が一つとなったあとも両地区の独自性は数世紀にわたって保たれた。 1146年にフェズはムワッヒド朝の支配下に入る。ムワッヒド朝の君主ムハンマド・ナースィルの時代に行われた統計調査では782のモスク、89,236の住宅、19,041の使用人が住む離れの小屋、9,082の店舗、467の商館がフェズに存在していたことが記録されている。
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