建設前史とは? わかりやすく解説

建設前史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 13:44 UTC 版)

官営幌内鉄道」の記事における「建設前史」の解説

1869年明治2年)、発足したばかりの明治政府北海道資源開発のため、北海道開拓使という官庁設置し北海道開拓経営乗り出した開拓使では、アメリカ人技師ホーレス・ケプロン招いて資源調査行い幌内川三笠幌内川上流炭田(後の幌内炭鉱)が埋蔵量多く、有望であると判明した。そこで、改めアメリカ人技師ベンジャミン・スミス・ライマン招いて炭田開発計画立案させることとなったケプロン幌内 - 室蘭間に鉄道敷設し室蘭港からの石炭積み出し計画したが、ライマン幌内 - 幌向太(現在の幌向付近)間に鉄道敷設し、そこから石狩川利用した川舟により小樽港運び、そこで本船積み替える計画とした。開拓使では、ライマン計画のほうが経費かからないことから、1878年明治11年3月にこの計画承認し翌年アメリカから鉄道技師ジョセフ・ユーリー・クロフォード招いて幌内 - 幌向太間の測量開始した。 しかし、幌向付近ヤチ呼ばれる湿地多く積替え設備設置駅夫居住適さないうえ、石狩川冬季結氷により舟運利用できるのは年150日程度しかないことが判明しクロフォードは再び計画変更し幌内太か小樽鉄道延長し小樽港から石炭積み出すよう提案した。これにより、年間通じて鉄道による安定輸送が可能となり、桟橋の上線路敷設すれば、貨車から直接船積みができ、川舟への積替えの手間やその際石炭減耗防げることから、開拓長官黒田清隆はこれを承認することとした。

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建設前史(1873-1929)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 10:19 UTC 版)

旧鳥羽小学校校舎」の記事における「建設前史(1873-1929)」の解説

鳥羽小学校は、1873年明治6年11月20日鳥羽藩藩校尚志館母体として開校した大里学校起源としている。開校当初寺院校舎充てていたが、1894年明治27年11月新校舎落成し、これをしばらく利用した。 しかし、経年劣化による校舎老朽化教室不足のため、時の鳥羽町錦町(現・鳥羽三丁目にあった校舎全面改築し、校地拡張することを計画した。ところが鳥羽町会は校地変更意見書提出されるなどして紛糾し町民からも負担が重すぎるとして反対署名三重県への陳情などの運動起こされた。こうした情勢で、鳥羽出身御木本幸吉鉄筋コンクリート校舎建設助言し資金提供したことから、町長赤坂治郎吉の「英断」により、鳥羽城跡に新校舎建設することが決定した

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