建設前の動き
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/23 15:01 UTC 版)
中島飛行機武蔵製作所(武蔵野市)では一式戦闘機(隼)、零式艦上戦闘機(零戦)向けのエンジンを製造していた。1944年(昭和19年)頃、政府は戦況悪化により地方へ疎開を計画する。当時までに中島飛行機は地方へ工場を増設していたが、同時に、地下壕に工場を疎開させる案も出ていたものの、具体的には進んでいなかった。しかし、同年11月に入ると武蔵製作所は米軍の空襲に晒されることとなる。被害は軽微であったが、心理的な影響の方が大きく即疎開が決定し、1945年(昭和20年)からよりいっそうの地方への疎開を開始した。地下工場建設も進められ、東京都南多摩郡浅川町、福島県福島市信夫山、栃木県宇都宮市の大谷石採掘場跡で行われた。
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