建設凍結とその後とは? わかりやすく解説

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建設凍結とその後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/18 05:12 UTC 版)

瀬戸線」の記事における「建設凍結とその後」の解説

この路線主要幹線C線)として、旧日鉄道建設公団により1976年着工された。建設当時から、開業後の一体運用予定されていた岡多線岡崎駅 - 瀬戸市駅とともに岡多・瀬戸線」と呼ばれていたが、その直後からのモータリゼーション進展により貨物列車本数減少したことや、国鉄財政悪化による国鉄再建法施行により、ローカル線多く建設凍結された。 岡多・瀬戸線主要幹線として建設されていたことからしばらくは建設続けられたが、1984年には岡多・瀬戸線開業直後輸送密度も、特定地方交通線として廃止転換対象となる基準4000人/日を下回る3600人/日しか見込めないことが判明したことから、建設凍結された。また、工事区間沿線開発がほとんど進んでいなかったため、開通による沿線利用客増加見込めない状況であると見込まれた。その時点では、名古屋駅経由して名古屋貨物ターミナル駅接続する小田井駅 - 枇杷島駅間を優先して建設していたため、本線である稲沢駅方面はいまだ着工されていなかった。勝川駅 - 高蔵寺駅間の複々線化はほとんど進展していなかったこともあり、その後枇杷島駅 - 勝川駅間と高蔵寺駅 - 瀬戸市駅はまったく別々の道を歩むことになった高蔵寺駅 - 瀬戸市駅間は、岡多線瀬戸市駅 - 多治見駅間の建設白紙とした上で岡多線岡崎駅 - 瀬戸市駅間と一体となった第三セクター鉄道愛知環状鉄道線)として1988年開業した貨物輸送こそ行われていないものの、沿線トヨタ自動車などの工場高等学校大学があることから経営好調であり、2005年日本国際博覧会の際には重要なアクセス路線となった一方勝川駅 - 枇杷島駅間は東海旅客鉄道JR東海)が継承し城北線として1991年部分開業、ついで1993年全通したJR東海第一種鉄道事業となっているものの、子会社東海交通事業第二種鉄道事業者とし、運行させている。勝川駅では中央本線線路接続しないばかりか中央本線の駅からは約500m離れており、建設費償還のための高額な運賃あいまって利用者少ない。名古屋地区貨物ターミナル名古屋貨物ターミナル駅移設されたが、南方貨物線建設中止されたため、東海道本線東京方面中央本線方面名古屋貨物ターミナル駅との間の貨物列車は、現在も稲沢駅での折り返し運転行っている。

※この「建設凍結とその後」の解説は、「瀬戸線」の解説の一部です。
「建設凍結とその後」を含む「瀬戸線」の記事については、「瀬戸線」の概要を参照ください。

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