建設公ルドルフ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 04:54 UTC 版)
「ルドルフ4世 (オーストリア公)」の記事における「建設公ルドルフ」の解説
「建設公」の異名の通り、ウィーンのシンボルであるシュテファン大聖堂、ウィーン大学など様々なものを建設した。その中でも「大公」位の「建設」は特筆すべきもので、「ハプスブルク神話」の礎ともなるのであった。 ルドルフ4世は1365年、26歳で他界した。「ルドルフが長生きしていたら、オーストリアを天まで昇らせたか、あるいは奈落の底までつき落としていただろう」と15世紀の年代記作者トーマス・エーベンハルトは『オーストリア年代記』に書いている。 カール4世の娘カタリーナとの間に子がなかったため、オーストリアはアルブレヒト3世とレオポルト3世の2人の弟が相続した。なお、カタリーナはルドルフ4世の死後、ブランデンブルク選帝侯オットー5世(ルートヴィヒ5世とシュテファン2世の弟)と再婚した。
※この「建設公ルドルフ」の解説は、「ルドルフ4世 (オーストリア公)」の解説の一部です。
「建設公ルドルフ」を含む「ルドルフ4世 (オーストリア公)」の記事については、「ルドルフ4世 (オーストリア公)」の概要を参照ください。
- 建設公ルドルフのページへのリンク