部分開業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/08 14:53 UTC 版)
明治後期より名古屋市内で敷設が進んでいた市内電車は、1915年(大正4年)に大曽根まで到達した(高岳線)。当時の地図によると、終点大曽根停留場は名古屋市域からわずかに外れた西春日井郡六郷村大字大曽根(後の東大曽根町)に位置した。この六郷村は元々農村であったが、明治末期に中央本線大曽根駅や瀬戸電気鉄道(現・名鉄瀬戸線)の駅が開設されて交通の要所となると東大曽根が商業地として発展していく。1921年(大正10年)、六郷村が名古屋市に編入されて東大曽根やその東方の矢田・大幸などの地域も名古屋市内となった。 名古屋市では、1920年代に入ると都市計画に基いた道路計画の策定や新市域での区画整理の進行、人口の増加などを背景として市電路線網の拡張を計画し、全長約58キロメートル・総工費2814万円に及ぶ新路線の建設計画を立てた。1928年(昭和3年)3月31日には計20路線について軌道敷設の特許を得ている。大曽根線はこの時に特許を得た路線の一つで、東大曽根町字神戸から字野中までの52チェーン(1.0461キロメートル)の路線であった。しかしこの「第2期建設改良工事」と称する拡張計画は不況と資金調達難から1930年度(昭和5年度)に打ち切られ、大曽根線を含む約53キロメートルは未開業路線となった。 その後、道路拡張に伴う大曽根停留場付近の工事により、1939年(昭和14年)5月15日付で終点が北へ53.64メートル延長された。この区間は既設高岳線ではなく大曽根線の一部新設という扱いになっており、一部ではあるが大曽根線が開業をみた。
※この「部分開業」の解説は、「名古屋市電大曽根線」の解説の一部です。
「部分開業」を含む「名古屋市電大曽根線」の記事については、「名古屋市電大曽根線」の概要を参照ください。
- 部分開業のページへのリンク