イスタンブールの給水施設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/24 05:44 UTC 版)
「オスマン建築」の記事における「イスタンブールの給水施設」の解説
オスマン建築の土木技術の高さを証明しているのが、イスタンブールの給水設備である。イスタンブールには、すでにローマ帝国、東ローマ帝国によって、現在のキャウトハーネとベルグラードの森を水源とする給水路と貯水槽が建設されていたが、オスマン帝国がこれらの設備を利用したかどうかはあまり明確ではない。 16世紀まで、イスタンブールの水路はハルカルを水源とする5本の給水管によってまかなわれ、第六丘陵から第一丘陵に至る尾根を伝って、トプカプ宮殿と各キュッリイェに伝達されていたが、このルートはウァレンス水道を伝って行われた東ローマ帝国の給水路とほとんど同じ経路であった。16世紀中葉に、ハルカルを水源とする給水路はさらに5本が追加され、オスマン帝国末期には合計16本の給水路が建設されていた。ハルカルの水路網は、キュッリイェやモスク、マドラサなどの、どちらかというと公共施設に対する給水を目的としていたが、16世紀中葉には建築家スィナンによって、キャウトハーネを水源とするクルクチェシュメの水路が整備される。この水路は、住宅やハマム、チェシュメなど、生活用水の確保を目的として建設されたものである。この水路はハルカルの水路とは異なり、丘陵の尾根ではなく、丘陵の中腹の等高線を沿うように整備されており、そこから海に向かって枝水路を延ばした。 ハルカルとクルクチェシュメの両水路の末端には、チェシュメと呼ばれる給水栓が建設されている。チェシュメは貯水槽の外壁に設けられたニッチに、給水用の末端設備を取り付けたものであり、周辺住民や水売りの溜りとなっていた。つまり、日本でいう井戸端である。チェシュメは、庶民が利用する機能重視の建築であるが、より豪華なものとして泉亭(セビル)と呼ばれる給水施設があった。こちらは公共性が高く、より趣のある洒落たデザインの建築であった。
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