ムスタンスィルとは? わかりやすく解説

ムスタンスィル

名前 Mustanṣir

ムスタンスィル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/28 07:19 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
ムスタンスィル
منصور المستنصر بالله
カリフ(アミール・アル=ムウミニーン)
在位 1226年 - 1242年

出生 1192年
死去 1242年12月5日
子女 ムスタアスィム
家名 アッバース家
王朝 アッバース朝
父親 ザーヒル
テンプレートを表示

ムスタンスィルアラビア語: المستنصر بالله ابو جعفر منصور 転写:al-Mustanṣir bi-Allāh Abū Ja`far Manṣūr、1192年 - 1242年12月5日)は、アッバース朝第36代のカリフ(在位:1226年 - 1242年)である。ザーヒルの子。

人物

1226年、父の死後に即位する。彼の治世は平穏であり、隊商の宿泊施設を多く建設して交易を促進したことで物資が領内に行き渡った。この頃になるとモンゴル帝国の進出がイラクにまで広がるようになり、ムスタンスィルはモンゴル戦を聖戦として戦おうとしたが、その用意を整えている大事なときになって急死した。[要出典]

敬虔なカリフとして知られ、モスクマドラサを多く建設した。1234年バグダードの市内に創建されたムスタンスィリーヤ学院は、単一の法学派のための施設だったそれまでのマドラサと異なり、はじめてスンナ派4大法学派すべての講義が行われた。おりしもモンゴルの中央アジアイラン侵攻という難関の時期であり、祖父ナースィルが目指した全ムスリムに対するカリフの強力なリーダーシップの復興という理念を受継ぐ彼の志向を反映したものだろうと言われている[誰によって?]

参考文献

  • イブン・アッティクタカー『アルファフリー―イスラームの君主論と諸王朝史』2巻(池田修、岡本久美子訳、東洋文庫、平凡社、2004年9月)

関連項目

先代:
ザーヒル
アッバース朝
1226年 - 1242年
次代:
ムスタアスィム



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ムスタンスィル」の関連用語

ムスタンスィルのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ムスタンスィルのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのムスタンスィル (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS