シルクロードと日本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 06:34 UTC 版)
日本には、奈良の正倉院に中国製やペルシア製の宝物が数多くあり、天平時代に遣唐使に随行してペルシア人の李密翳(り・みつえい)が日本に来朝したことに関する記録なども残されている。当時の日本は唐代の東西交通路の東端に連なっていたと認識されており、正倉院は「シルクロードの東の終着点」と呼ぶことがある。 シルクロードに関しては近年[いつ?]の日本における学校教育でも取り上げられていたが、歴史やヘディンの著書などに関心を持つ一部の人たち以外には、さほど興味を引く存在ではなかった。しかし、中華人民共和国との文化交流が進む過程でNHKが中国中央電視台とともに1980年に共同制作した『NHK特集 シルクロード-絲綢之路-』によって、喜多郎のノスタルジックなテーマ音楽とともに、一躍シルクロードの名が広く知れ渡ることとなった。日本ではシルクロードという語は独特のエキゾチシズムやノスタルジアと結びついており、西安や新疆、ウズベキスタン、イラン、トルコなどへの海外旅行情報やツアーの広告には必ずと言ってよいほど「シルクロード」という言葉が記されている。この80年代の「シルクロードブーム」を受け、1988年に日中両政府は日中友好環境保護センターの設立を決定した。また、平山郁夫はシルクロードの世界遺産登録をユネスコに中国政府とともに働きかけて平山郁夫シルクロード美術館も設立した。
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