李密翳
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李 密翳(り みつえい[1]、生没年不詳[1])は、奈良時代の人物。『続日本紀』に名前の見える唯一[1]の波斯人(ペルシア人)。
- ^ a b c d e f g h i "李密翳". 朝日日本歴史人物事典. コトバンクより2020年7月11日閲覧。
- ^ 矢野建一「遣唐使と来日「唐人」 : 皇甫東朝を中心として」『専修大学社会知性開発研究センター東アジア世界史研究センター年報』第6巻、専修大学社会知性開発研究センター、2012年3月、129-141頁、CRID 1390572174779564160、doi:10.34360/00008648、2024年3月25日閲覧。
- ^ a b “平城宮にペルシャ人の役人が働いていた!! 765年木簡が証明 「国際的知識で登用か」と専門家(1/2)”. 産経新聞. (2016年10月5日) 2016年10月5日閲覧。
- ^ 『続日本紀』天平8年8月23日条
- ^ 『続日本紀』天平8年11月3日条
- ^ “平城宮にペルシャ人役人 - 名前記した木簡が出土/平城宮跡 8世紀中期”. 奈良新聞. (2016年10月5日) 2016年10月8日閲覧。
- 1 李密翳とは
- 2 李密翳の概要
李密翳
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「続日本紀」中、一ヶ所言及のある人物。作中では、架空の西域人「康許生」が改名した人物となっている。玄昉を師と呼ぶ。
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