さん‐こう【三公】
三公
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三公(さんこう)は、中国およびその影響を受けた東アジア諸国の前近代の官制において、最高位に位置する3つの官職をいう。 太師・太傅・太保の三公と、司徒・司空・司馬(大司徒・大司空・大司馬)の三公がある。もと、三公は、西周・東周時代に実際にあった官職をもとに、後世の儒学者が整理・敷衍し、あるいは偽作に託して述べたものである。学説をもとに前漢で紀元前1年に制定されてから、改廃を受けつつ長く続いた。
- ^ a b 古文尚書、今文尚書については、書経の項目を参照されたい。
- ^ 新釈漢文大系『大戴礼記』「保傅」、145 - 146頁。
- ^ a b c 『漢書』巻19上、百官公卿表第7上。『『漢書』百官公卿表訳注』2 - 3頁。
- ^ a b c 『書経』「周官」。新釈漢文大系『書経』下、497 - 498頁。
- ^ 『漢書』巻10、成帝紀第10、綏和元年4月。ちくま学芸文庫『漢書』1の321頁。
- ^ 『漢書』巻11、哀帝紀第11、建平2年3月。ちくま学芸文庫『漢書』1の336頁。
- ^ 『漢書』巻11、哀帝紀第11、元寿2年5月。ちくま学芸文庫『漢書』1の341頁。
- ^ 吉野賢一「前漢末における三公制の形成について」、47頁。
- ^ 吉野賢一「前漢末における三公制の形成について」。
- ^ a b 『後漢書』巻1下、光武帝紀第1下、建武27年条。早稲田文庫『後漢書』1の142頁。
- ^ 『後漢書』巻4和帝紀・永元12年条
- ^ 『後漢紀』巻22桓帝紀・延熹7年条
- ^ 渡邉将智『後漢政治制度の研究』(早稲田大学出版部、2014年) ISBN 978-4-657-14701-1 第三章「〈三公形骸化説〉の再検討」
三公(さんこう)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/27 01:31 UTC 版)
宰輔の唯一の臣下。三公は位としては冢宰や諸侯と同等だが、政治介入力は持たず、王の相談役・教師となり、助言をする存在。次の3つの官職である。
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三公
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/22 09:18 UTC 版)
三公は明では太師、太傅、太保の三職の合称で、正一品だった。皇帝の重要な国事政務の処理に協力する責任を負い、最高位であった。洪武三年、明の太祖朱元璋は李善長を太師、徐達を太傅、常遇春を太保とした。建文年間、三公職は廃止されていた。永楽20年8月に永楽帝は三公職を復活させたが、任命はなされなかった。宣徳三年に宣徳帝が張輔(中国語版)を太師、沐晟(中国語版)を太傅、陳懋(中国語版)を太保とした。当時、三公はほぼ皇帝からの臣下への賜物のようになっていた。宣徳、正統年間以後、三公は名だけの官職となり、勲戚ある文武大臣への加官、贈官となった。 官職定員品階部署備考太師 定員なし 正一品 三公 太傅 定員なし 正一品 三公 太保 定員なし 正一品 三公
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