渡邉義浩
渡邉義浩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 13:08 UTC 版)
渡邉は貴族の淵源となったのが豪族ではなく「名士」であるとする。 「名士」は豪族の出身であることが多いが、庶民や貧しい者たちも「名士」になりうる。「名士」になるために必要なのは他の「名士」に「名士」であると認められることであり、認められるために必要なものは郷論の中での文化的名声である。「名士」は互いに連絡を取り合い、親交を結ぶことで「名士」グループを作る。代表的なグループとしては荀彧を代表とする潁川グループ、孔融を代表とする北海グループ、諸葛亮を代表とする荊州グループなどがある。これらグループは三国政権に協力し、その中で勢力を張り、自らの地位を固めていった。 これら「名士」が政権の中で確固たる地位を確立し、やがて貴族へと変化していった。貴族が貴族たる所以は大土地所有でも官僚たる地位でもなく、文化的価値を独占しているという点にあり、このことが豪族層からの支持を生み、地方郷党に対する間接的な支配力及び皇帝からの自律性を生む。 渡邉の考えは川勝・谷川の影響が強い。しかし川勝・谷川が「本来ならば封建領主化するはずであった豪族が自らの自己規定により貴族となった」とするように封建領主化するのが「本来」という考えは未だ大土地所有を貴族の条件とする呪縛から完全に解き放たれていないと批判し、大土地所有とは完全に無関係な文化的価値こそが貴族が貴族たる所以であるとする。
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