関帝廟
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/03 17:18 UTC 版)
関帝廟(かんていびょう)は、関帝(関羽・関聖帝君・関帝聖君)を祀る廟。孔子を祀る孔子廟(文廟)に対比させて、武廟(ぶびょう)とも呼ぶ場合もある。
- ^ “韓国旅行情報「コネスト」 - 東廟”. 2015年9月9日閲覧。
- ^ “citypassguide - ギア・アン・ホイ・クアン寺”. 2015年9月9日閲覧。
- ^ “JTBトラベルメンバー - 関帝廟(Guan Dai Miew)”. 2015年9月9日閲覧。
関帝廟
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 06:23 UTC 版)
中華街の信仰の中心地。常ににぎわっており、祭りの際は人でごった返す。
※この「関帝廟」の解説は、「サタスペ」の解説の一部です。
「関帝廟」を含む「サタスペ」の記事については、「サタスペ」の概要を参照ください。
関帝廟
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 14:53 UTC 版)
「関帝廟 (神戸市)」も参照 関帝廟は華僑・華人にとって商売繁盛や家内安全を祈願する場であり、精神的な拠り所である。清国人は雑居地内の2箇所に関帝廟を建立した。一つは1888年(明治21年)、清国人の有力者藍卓峰、鄭萬高、麦少彭らが大阪府河内郡布施村の廃寺、慈眼山長楽寺を移設する形で中山手通7丁目に建立したものである。長楽寺の本尊は十一面観世音菩薩であったが、移設に伴い関帝、天后聖母などが合祀された。この関帝廟は居留地返還後の1945年(昭和20年)6月に空襲により焼失したが、1947年(昭和22年)に再建され、台湾から輸入された関帝像が設置された。もう一つは同じく1888年(明治21年)に加納町2丁目に建立されたもので、同じく1945年(昭和20年)6月に空襲により焼失し、再建されることはなかった。なお、中山手通6丁目にあった中華会館にも関帝像が安置されており、中華会館は関帝廟と呼ばれていた。 再建された関帝廟では毎年旧暦7月14日から16日にかけて水陸普度勝会(盂蘭盆)がとり行われており、1997年(平成9年)10月に神戸市の地域無形民俗文化財(第一号)に認定された。
※この「関帝廟」の解説は、「神戸外国人居留地」の解説の一部です。
「関帝廟」を含む「神戸外国人居留地」の記事については、「神戸外国人居留地」の概要を参照ください。
関帝廟と同じ種類の言葉
- 関帝廟のページへのリンク