文化財に指定された所蔵品
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「古河歴史博物館」の記事における「文化財に指定された所蔵品」の解説
鷹見泉石関係資料: 代表的なものが展示室1にて常時展示されている。蘭学者であり古河藩の家老でもあった鷹見泉石が遺した地理学・理化学などに関する収集品や、譜代大名 家老として行った情報収集の記録などが含まれており、幕末の政治・外交・文化の動きを伝える資料群として貴重である。これらの資料は、現代まで鷹見邸(今の鷹見泉石記念館)で保管され、平成14年(2002年)に鷹見家より寄贈された。散逸を免れた大量の資料13,033点のうち 3,151点が、平成16年(2004年)に国の重要文化財(歴史資料)に指定されている。 河口家医学等関係資料: 河口家は古河藩に仕えた蘭医。河口家伝来の資料が、本館にて保管されている。河口信任は、日本で初めて自らの執刀による人体解剖を行い、2年後の明和9年(1772年)にはその成果を「解屍編」として刊行した。この「解屍編」初版本を始め、信任が用いた解剖刀、信任の解剖を手伝った原田尚賢による臓器分類解説書「蔵府図志」、河口良庵が寛文10年(1670年)に著したオランダ流外科医書「外科要訣全書」、免許皆伝状や開業免状、種痘施術簿やカルテなどの文書類、古代ギリシアの医師・ヒポクラテス図や東洋医術の始祖・神農図、薬研、注射器、薬箱、種痘用具等の医療器具など、河口家資料896点は平成19年(2007年)に茨城県指定有形文化財(歴史資料)に指定されている。 足利成氏書状: 古河公方・足利成氏による下野小山氏宛文書。水谷右馬助が小山氏に対して怠慢なことがあれば許さないと記されている。古河市指定有形文化財(古文書)。 土井利勝書状: 利勝が幕府大工の棟梁・中井大和らに工事の際の注意を与えたもの。古河市指定有形文化財(古文書)。 盈科堂記・盈科堂学館記: 盈科堂は享保9年(1724年)、唐津藩主・土井利実により創設された藩校。宝暦12年(1762年)、土井家が古河に戻った後は古河藩の藩校となった。「盈科堂記」は利実直筆の大額であり、校名の由来、勉学の心構えを説いている。「盈科堂学館記」は古河藩主・土井利厚直筆の扁額で、勉学を奨励したものであり、盈科堂に寄せる期待の大きさを伝えている。古河市指定有形文化財(歴史資料)。 尼僧立像: 江戸時代前期の円空作による一木造・鉈彫。像高22cm。古河市指定有形文化財(彫刻)。 楓樹: 鷹見泉石記念館の庭に植えられている。樹高9.8m、周囲1.1m。中国原産のマンサク科フウ属の落葉喬木であり、日本には自生しない。古代中国では天子の居所に植えられていた。享保12年(1727年)、第8代将軍徳川吉宗が輸入したことが分かっているが、現存する古木の楓樹は少なく、皇居(旧江戸城)・寛永寺などに見られる程度である。鷹見泉石は天保15年(1844年)に清の蘇氏から「楓所」の号を揮毫されている。古河市指定天然記念物。
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