昌徳宮李王 坧とは? わかりやすく解説

純宗 (朝鮮)

(昌徳宮李王 坧 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/21 06:33 UTC 版)

純宗(じゅんそう、朝鮮語순종純宗、片仮名転写:スンジョン、1874年3月25日旧暦2月8日) - 1926年4月24日)は、大韓帝国第2代皇帝(在位:1907年7月20日 - 1910年8月29日李氏朝鮮から通算して第27代君主)。最後の大韓帝国皇帝。韓国併合後は王に冊され、李王と称された[1][2]。姓は李(り、イ、)、名は(せき[3]、チョク、)、は君邦(くんほう、クンバン、군방)、は正軒(せいけん、チョンホン、정헌)。諡号は文温武寧敦仁誠敬孝皇帝。在位時の年号をとって隆煕皇帝(りゅうきこうてい、ユンヒファンジェ、융희황제)と呼ぶこともある。




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昌徳宮李王 坧

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李王家」の記事における「昌徳宮李王 坧」の解説

詳細は「純宗 (朝鮮王)」を参照 高宗王后閔妃の間に生まれた嫡男李坧は、1875年明治8年王世子冊封された。ハーグ密使事件起こしたことによって、高宗退位させられた後、1907年最後の皇帝朝鮮27代国王)純宗として景福宮即位した結婚はしたが子女はいない。日韓併合条約調印に伴い韓国皇帝身分離れ、その地位相当する「王」李王)の称号明治天皇から賜る併合後は昌徳宮住んだ1926年大正15年4月25日薨去。 妃・尹氏(純貞孝皇后) - 1906年皇太子妃となり、純宗即位により皇后となる。韓国併合に伴い王妃」となる。

※この「昌徳宮李王 坧」の解説は、「李王家」の解説の一部です。
「昌徳宮李王 坧」を含む「李王家」の記事については、「李王家」の概要を参照ください。

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