日韓通信業務合同
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日韓通信業務合同(にっかんつうしんぎょうむごうどう)とは、正式には「韓国通信機関委託ニ関スル取極書」と呼称する協定である。1905年(明治38年)に大日本帝国が大韓帝国の運営していた通信業務を日本側に委託させたものである。
注釈
- ^ クーデター政権(開化派)の左議政(首相に相当)に就任していた
- ^ UPUの加盟はある程度の郵便事業網が確立していなければならない
- ^ 1910年の日韓併合により独自貨幣の製造と流通は停止された。製造されていた貨幣はデザインを除けば日本のものとサイズや金属比率といった要目がほぼ同じだった
- ^ 先に発行されたのは、最初は1894年の明治天皇結婚25周年記念、1896年の日清戦争戦勝記念、1900年の皇太子(大正天皇)御成婚記念
- ^ もうひとつは翌年の1906年4月29日に発行された日露戦争凱旋観兵式記念(切手面の表記は「明治三十七八年戦役陸軍凱旋観兵式紀念郵便切手」)である。郵便ではなく電信電話料金納付のために発行された電信切手などにも国名表記はないが、いずれも明治時代中期以前、19世紀に発行されたものである。
- ^ 「記念」の単語には「かたみ」の意味があるため、縁起が悪いとして使用が忌諱されていたことによる。ただし大正から昭和にかけて文部省が「記念」の語を使うようになったため、切手の表記は「記念」となり現在も続いている
- ^ 当時の封書基本料金
- ^ 同時代にロシア帝国の保護国であったフィンランド大公国や、オーストリア=ハンガリー帝国のハンガリーも独自に切手を発行していた。また欧州列強の多くの植民地では独自に切手を発行していた。これは郵便事業の会計を明確化する意味合いもあったが、保護国とはいえども民族意識の象徴として独自切手を発行させることで、民族意識の高揚を押さえ込もうという意図もあったとされる。
- ^ この慣習は現在も同じ、ただし和文の機械印は元号と西暦両方が記入されている
- ^ 南朝鮮では1946年2月1日、日本切手にハングルで조선우표と額面を加刷した切手が発行された。加刷のない日本切手は同年5月1日に販売、7月1日に使用が禁止されるまで使用された。(김갑식,한국우표이야기,2002,우취문화사,P40-41)。もっとも消印は西暦表記に切り替えられていた。
- ^ 朝鮮関係で郵便年表に「日韓通信業務合同」の記念切手発行の一行のみの記載であった
出典
- 1 日韓通信業務合同とは
- 2 日韓通信業務合同の概要
- 3 備考
- 日韓通信業務合同のページへのリンク