在朝鮮日本郵便局
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在朝鮮日本郵便局(ざいちょうせんにほんゆうびんきょく)とは、明治時代に日本が朝鮮半島に設置していた郵便局である。
概要
1876年、日本と朝鮮の間に日朝修好条規が締結され、これにより日本は釜山に居留地を獲得した。この時設置された政府機関のひとつに郵便局があった。日朝間の郵便物交換の便宜を図るためであったが、これは当時の朝鮮には近代的郵便事業が行われていなかったためであり、朝鮮半島に近代的な郵便事業が実施された最初の事例である。
1876年11月10日の釜山郵便局を皮切りに、1880年に元山、1883年に仁川、1888年に漢城と朝鮮各地に日本による郵便局が設置された。これらの郵便局では日本切手がそのまま使用されており、現地通貨で販売されていた。ただし、1900年1月1日から1901年3月31日まで日本で使用されないようにするため、「朝鮮」と文字を入れた加刷切手が使われていた。
朝鮮では1884年に洪英植の指導の下で近代的郵便事業が開始されていたが、甲申政変の影響で閉鎖された。1895年には再開され、1900年には万国郵便連合に加盟した。1905年には日韓通信業務合同によって朝鮮半島全土の郵便事業が日本に接収され、在朝鮮日本郵便局に一本化された。
外部リンク
- 在朝鮮日本郵便局の実逓コレクション 切手展に出品の作品(英語)
関連項目
在朝鮮日本郵便局
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「日韓通信業務合同」の記事における「在朝鮮日本郵便局」の解説
詳細は「在朝鮮日本郵便局」を参照 1876年に日朝修好条規が締結され日本は釜山に居留地を獲得した。この時設置された政府機関のひとつに郵便局があった。これは朝鮮半島で最初の近代的な郵便事業であった。日朝間の郵便物交換の便宜を図る為であったが、その後朝鮮各地に日本による郵便局が設置された。これらの郵便局では日本切手がそのまま使用されており、現地通貨で販売されていた。1900年1月1日には在朝鮮日本郵便局で発売される切手には「朝鮮」という文字が加刷されたが、1901年3月末でそれを取りやめている。 この間に、韓国政府による郵便事業がはじまったあとも日本郵便局の業務は継続されただけでなく範囲も拡大されていった。そのため朝鮮半島では日韓両国政府が経営する通信事業体が並存する状態になった。
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