在朝日本人・在日朝鮮人の帰国とは? わかりやすく解説

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在朝日本人・在日朝鮮人の帰国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 23:08 UTC 版)

日朝関係史」の記事における「在朝日本人・在日朝鮮人の帰国」の解説

満洲国現在の中国東北部)、関東州現在の中華人民共和国遼寧省大連市一部地域)、占領地域の民間人保護引き揚げ大東亜省管轄であった大東亜省在留日本人については現地定着方針をとり、朝鮮人台湾人追って指示があるまで従来通りとした。朝鮮台湾樺太管轄する内務省この方針にならい、結果的に日本政府各地民間人生命財産保護放棄した降伏後日本軍部や大企業では、強制徴用をした在日韓国・朝鮮人帰国急いだ戦犯としての処罰回避するためと、暴動の発生回避したいという理由があった。連合軍兵士捕虜たちを労働従事させていた地域では、戦時中から米軍機捕虜虐待警告するビラ投下しており、事情を知る企業終戦直後捕虜強制徴用者の資料破棄強制徴用者の送還行った戦後の混乱政府の方針決定される前に送還急がれる中で、犠牲発生した終戦直後1945年8月24日には、大湊警備府軍用建設のために強制徴用されていた者を含めて3700人以上の朝鮮人送還する輸送艦爆沈して、乗組員含め549人が死亡する浮島丸事件起きた中小炭鉱工場では強制徴用者は放置され漁港から自力帰国試みて難破する事故起きた政府はこうした事態受けて1945年9月1日に「朝鮮人集団移入労務者緊急措置の件」という通達出したその後も、朝鮮半島から引き揚げる日本人乗用した貨客船爆沈して545人が死亡する珠丸事故起きた朝鮮半島内には在朝日本人80万人近くおり、加えて満洲からも12万人逃亡してきて、引き揚げ難航した。もと朝鮮軍軍人警察官関係者輸送手段使えたものの、多く日本移民自力での帰国必要だった半島南部ではアメリカ主導により1946年本国輸送終了したが、半島北部では計画的な輸送がなく、1946年には3万人以上が死亡した在日朝鮮人終戦時200万人おり、1946年内に150万人帰国した樺太南洋群島にも、朝鮮人徴用などで生活していた。南洋群島には朝鮮人が7千人サハリンとなった南樺太には2万3千人朝鮮人がいた。南洋群島朝鮮人本国直接引き揚げとなった南樺太朝鮮人多く南朝鮮出身だったが、ソ連北朝鮮へ帰国のみを認めたため、1990年の韓ソ国交樹立まで帰国を待つことになる。

※この「在朝日本人・在日朝鮮人の帰国」の解説は、「日朝関係史」の解説の一部です。
「在朝日本人・在日朝鮮人の帰国」を含む「日朝関係史」の記事については、「日朝関係史」の概要を参照ください。

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