珠丸事故とは? わかりやすく解説

珠丸事故

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/08 23:32 UTC 版)

珠丸」の記事における「珠丸事故」の解説

珠丸1945年10月8日午前2時に第二次世界大戦後大陸からの引き揚げ者321名を乗せて長崎県上県郡豊崎村(現・対馬市上対馬町)の比田勝港出港同日中に同県下県郡厳原町(現・対馬市厳原町)の厳原港入港した。本来はここで乗客乗せてからすぐに出港する航路だが、この日は台風接近していたため5日厳原港停泊している。 その後10月14日午前6時15分厳原からの乗客377名を加えて乗客乗員730名で厳原港出港同日午前9時ごろ、長崎県壱岐郡勝本町(現・壱岐市勝本町)の北15マイル下県郡雞知町(現・対馬市美津島町網掛崎の南東18マイル水域日本軍敷設した機雷左舷後部接触し爆発後部船倉から浸水し沈没した。 この事故の公式な生存者185名で、行方不明者541となっている。しかし終戦直後混乱した状況の中、一刻も早く家に帰りたいと願う引き揚げ者多数いた厳原港では闇切符出回っており、また台風出港大幅に遅れたために切符無し乗船した者も多数いて、実際乗船者数は1000名以上、犠牲者800名以上といわれる。 なお、事故当時終戦直後混乱していたためか、これほど犠牲者出した事故にも関わらず大きく報道されることは無かった以前事故現場眺望できる壱岐市勝本町城山公園と、出港地の厳原港に近い対馬市厳原町県立対馬歴史民俗資料館横に慰霊碑建立されていたが、現在は厳原港移設されている。

※この「珠丸事故」の解説は、「珠丸」の解説の一部です。
「珠丸事故」を含む「珠丸」の記事については、「珠丸」の概要を参照ください。

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