珠光が好んだとされる茶道具
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 07:04 UTC 版)
「村田珠光」の記事における「珠光が好んだとされる茶道具」の解説
珠光が好んだという伝来を持つ道具は多く、総称して「珠光名物」と呼ばれ、主なものは以下の通り。 《珠光茶碗》 《投頭巾茶入》 《珠光文琳》 《珠光香炉》 《圜悟墨蹟》 徐熙の《鷺の絵》 『山上宗二記』や『南方録』には、珠光が唐物の茶道具を多く所持していたと記載されている。これらの道具を所持したという事実が、珠光が還俗し商人になったという論の大きな根拠であった 。これで「村田珠光」の名が流布した。しかし近年発見された天文年間の名物記『清玩名物記』では、掲載されている珠光旧蔵の道具は《珠光茶碗》4碗のみであった。天正16年(1588年)の『山上宗二記』に下ると多くの珠光旧蔵の道具が掲載され、この間に伝来品の記載の捏造が行われた可能性がある。また上記の『山科家礼記』の発見による、珠光が一生涯僧侶であったという説の信憑性を高める結果ともなった。 珠光伝来とされる名物《珠光茶碗》とは、還元焼成で青くなるべき青磁が、技術的な不備で酸化焼成となり赤褐色になった、中国民窯製雑器である}。その四つの《珠光茶碗》のうちの一つを千利休が購入し、若かった頃の茶会で使用している。
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