在日韓国人・韓国系日本人および外国人選手
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「現代ユニコーンズ」の記事における「在日韓国人・韓国系日本人および外国人選手」の解説
張明夫(チャン・ミョンブ、在籍年度1983–1985) 日本名・松原明夫→福士明夫→福士敬章。元読売ジャイアンツ→南海ホークス→広島東洋カープ。1983年に年間30勝を挙げ、シーズン最多勝利の韓国プロ野球記録を保持。また1985年に記録した年間25敗も韓国プロ野球記録。1986年にピングレ・イーグルスに移籍して引退。 李英求(イ・ヨング、在籍年度1983–1985) 日本名・木山英求。元広島東洋カープ。3年連続で2ケタ本塁打を記録。 金基泰(キム・ギテ、在籍年度1986) 日本名・金城基泰。元広島東洋カープ→南海ホークス→読売ジャイアンツ。1986年に在籍。翌年三星ライオンズに移籍して1年限りで引退。 金信夫(キム・シンブ、在籍年度1986–1989) 日本名・金城信夫。元南海ホークス。1988年にはオールスター戦にも出場を果たした。1990年にLGツインズに移籍。 金一夫(キム・イルブ、在籍年度1988) 日本名・浜田一夫。元中日ドラゴンズ。平凡な成績に終わり、一年で退団。 洪文宗(ホン・ムンジョン、在籍年度1989–1990) 日本名・徳山文宗。元西武ライオンズ→ロッテ・オリオンズ。ロッテ・ジャイアンツから移籍。 鄭文彦(チョン・ムンオン、在籍年度1991–1992) 日本名・佐藤文彦。元日本ハムファイターズ。1992年には打率3割をマークした。 宋才博(ソン・ジェバク、在籍年度1991) 日本名・吉本博。元西武ライオンズ→横浜大洋ホエールズ。OBベアーズから移籍して1年間プレーし、引退。 山本晳(チ・ビョンホ、在籍年度1995) NPB経験なし。金(金城)基泰の母校・此花商高の後身である大阪偕星学園高野球部監督として2015年夏に甲子園初出場。1995年の1年間のみプレーした。 スコット・クールボー(在籍年度1998) 元阪神タイガース。初優勝の立役者だったが、個人事情で1年限りで退団。韓国での登録名は「クルバ(쿨바)」。弟のマイクは斗山ベアーズでプレー。 ジョー・ストロング(在籍年度1998) 2000年、フロリダ・マーリンズで37歳にしてメジャー初昇格を果たす。 エディ・ウィリアムス(在籍年度2000) 元福岡ダイエーホークス。 トム・クインラン(在籍年度2000–2001) 元トロント・ブルージェイズ、フィラデルフィア・フィリーズ、ミネソタ・ツインズ。2000年韓国シリーズMVP。ハンファとの開幕戦に六番サードで先発出場し、初打席を含む3本、第二戦は3打席連続、第三戦は1本、三連戦で合計7本ホームランを放ち衝撃のデビューとなった。しかし、長打力を備えていたものの、あたればホームラン、そうでないと三振といったタイプで打率も低下していき八番サードが定位置となった。韓国シリーズでは、相変わらず三振を量産していたものの、現代3連勝で王手をかけた後に斗山に3連敗して窮地に陥っていた第七戦にホームラン2本を含む4打数3安打6打点で現代の全ての打点をたたき出し現代に韓国シリーズ制覇をもたらした。その功績が認められて外国人選手初の韓国シリーズMVPに輝いた。2000年はまさに「クインランに始まりクインランに終わった」シーズンであったと言えよう。現代在籍の2年間65本の本塁打を放ったが、三振の数も333に上る。その不確実性のため、2001年限りで解雇。2002年LGツインズに拾われたが、21打数無安打の成績でシーズン序盤再び解雇された。ロブ・クインランの実兄である。 コーリー・ポール(在籍年度2002) 元西武ライオンズ。打率.280、18本塁打と外国人打者としては物足りない成績で、1年限りで退団。 マイカ・フランクリン(在籍2002–2003) 元日本ハムファイターズ、阪神タイガース。2年間の在籍もこれと言った活躍はなく退団。 クリフ・ブランボー (在籍年度2003–2004、2007) 元オリックス・バファローズ。韓国での登録名は「ブルンバ(브룸바)」。2003-2004年連覇に貢献。 シェーン・バワーズ(在籍年度2003) 元横浜ベイスターズ。2003年13勝4敗の成績で優勝に貢献したが、個人事情で1年限りで退団して帰国。 マイク・フィアリー (在籍年度2004) 元千葉ロッテマリーンズ。バワーズの代わりとして入団。2004年16勝6敗の成績で連覇に貢献。 ミッキー・キャラウェイ(在籍年度2005–2007) 元テキサス・レンジャーズ。フィアリーの代わりとして入団。2005-2006年の2年間、30勝をあげてフィアリーの抜けた穴を埋めた。しかし、この頃はすでにチームが傾き始めて、優勝はできなかった。2007年、不振に陥り、2勝6敗の成績でシーズン途中解雇。2020年よりロサンゼルス・エンゼルスの投手コーチ。 ラリー・サットン(在籍年度2005–2006) 現ロッテ・ジャイアンツ監督
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