コーリー・ポールとは? わかりやすく解説

コーリー・ポール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/10 08:23 UTC 版)

コーリー・ポール
Corey Paul
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地 イリノイ州シカゴ
生年月日 (1969-06-21) 1969年6月21日(54歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
205 lb =約93 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 外野手
プロ入り 1987年 MLBドラフト16巡目
初出場 NPB / 1999年6月25日
KBO / 2002年
最終出場 NPB / 2000年10月9日
KBO / 2002年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

コーリー・ポールCorey Paul , 1969年6月21日 - )は、アメリカ合衆国イリノイ州出身の元プロ野球選手外野手)。

経歴

アメリカ球界時代

ベルモント高校を経て、1987年のMLBドラフト16巡目でシアトル・マリナーズから指名を受け契約。しかし、マリナーズでは2Aにすら昇格することなく1990年限りで退団し、グレンデール大学に進学する。1995年から1998年は、独立リーグウエスタン・ベースボール・リーグに加盟していたグレイスハーバー・ガルズとトライシティ・ポッセとチコ・ヒートでプレー[1]

台湾球界時代

1999年台湾メジャーリーグ台北声宝太陽柏克として入団、6月に移籍するまで在籍。39試合に出場し136打数で10本塁打を放つ活躍。

西武時代

1999年、外国人打者であるアーキー・シアンフロッコグレッグ・ブロッサーアラン・ジンターの3選手がいずれも全く打てず、チームも貧打にあえぎ、そのため外国人選手獲得期限ギリギリで西武ライオンズが緊急補強した。同シーズンはいきなり初打席初本塁打(史上39人目)を放つなど、12本塁打を放って持ち前の長打力を発揮する。2000年は新たにトニー・フェルナンデスレジー・ジェファーソンが加入し、外国人枠の関係から序盤は二軍生活が続いた。しかしジェファーソンの不振やフェルナンデスが故障により2軍落ちした際は一軍に昇格し、少ないチャンスの中勝負強さを発揮した。翌2001年アレックス・カブレラスコット・マクレーンのツイン・バズーカ砲の陰に隠れ、一度も一軍に昇格することなく同年限りで戦力外となった[2]

2000年、2001年と2年連続イースタン・リーグ三冠王に輝いている(2000年:.353 21本 69打点、2001年:.352 27本 95打点)。特に、2001年に記録した27本塁打は1992年の大森剛と並んで当時のイースタン・リーグ最多タイ記録(2009年に中田翔が30本塁打で更新)、95打点は2019年現在でも最多記録(2009年に同じく中田が95打点で最多タイを記録)である。

西武退団後

2002年韓国プロ野球現代ユニコーンズに入団し、イースタン・リーグ三冠王の実績により4番候補として期待されたが、結果を残せず同年限りで退団した。2003年メキシカンリーグでプレーし、2004年から2005年は、米独立リーグのノーザンリーグの3チームでプレーした[1]。その後、現役引退。

2011年からは、Lamigoモンキーズのコーチに就任。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1999 台北 39 170 136 28 49 5 2 10 88 37 1 - - - 21 - - 37 - .360 .465 .647 1.112
西武 59 201 183 25 47 4 0 12 87 29 3 1 0 1 15 0 2 54 4 .257 .318 .475 .794
2000 47 141 124 17 30 7 1 4 51 18 1 2 0 0 16 0 1 34 2 .242 .333 .411 .745
2002 現代 113 441 397 48 111 18 2 18 187 64 3 2 1 2 35 1 6 115 11 .280 .345 .471 .816
TML:1年 39 170 136 28 49 5 2 10 88 37 1 - - - 21 - - 37 - .360 .465 .647 1.112
NPB:2年 106 342 307 42 77 11 1 16 138 47 4 3 0 1 31 0 3 88 6 .251 .325 .450 .774
KBO:1年 113 441 397 48 111 18 2 18 187 64 3 2 1 2 35 1 6 115 11 .280 .345 .471 .816

記録

NPB

背番号

  • 19 (1999年 - 同年途中)
  • 63 (1999年途中 - 2001年)
  • 22 (2002年)
  • 23 (2011年 - 2012年)

脚注

関連項目

外部リンク


コーリー・ポール(在籍年度2002)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 07:38 UTC 版)

現代ユニコーンズ」の記事における「コーリー・ポール(在籍年度2002)」の解説

西武ライオンズ打率.280、18本塁打外国人打者として物足りない成績で、1年限り退団

※この「コーリー・ポール(在籍年度2002)」の解説は、「現代ユニコーンズ」の解説の一部です。
「コーリー・ポール(在籍年度2002)」を含む「現代ユニコーンズ」の記事については、「現代ユニコーンズ」の概要を参照ください。

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