在日韓国人政治犯釈放の要望書について
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「辛光洙事件」の記事における「在日韓国人政治犯釈放の要望書について」の解説
「学園浸透スパイ団事件」も参照 1989年7月、韓国の民主化運動で逮捕された在日韓国人政治犯29名の釈放を嘆願するという趣旨の要望書が、当時の日本社会党・公明党・社会民主連合・無所属の議員有志133名の署名とともに韓国政府へ提出された。このとき釈放要望対象となった政治犯29名の中に、本事件の実行犯である辛光洙や金吉旭など北朝鮮スパイの名が複数含まれていたことが判明し、金正日が北朝鮮による日本人拉致実行を認めた2002年9月以降、同年10月19日に当時官房副長官であった安倍晋三が土井たか子・菅直人を名指しで「極めてマヌケな議員」と評するなど、署名した国会議員は保守政治家や日本共産党などから厳しく批判された。このような批判に対して、菅直人は「釈放を要望した人物の中に辛光洙がいるとは知りませんでした。 そんな嘆願書に署名したのは私の不注意ですので、今は率直にお詫びしたい」 と謝罪した。 これに対し、公明党や社民党などからは、当時の社会状況をまじえた、以下のような釈明があった。 当時の日本国内での政治犯釈放要求運動の対象はもっぱら、「学園浸透スパイ団事件の首謀者」とされた徐勝・徐俊植兄弟の救援であった。当時の日本国内における日本人拉致問題の認識は「北朝鮮工作員による拉致の疑いがある」という程度のものであり、警察庁の捜査も進展していなかった。辛光洙をはじめとする実行犯の氏名や具体的な犯行内容については、国会議員だけでなく一般社会でも全く認知されておらず、当時は辛光洙が拉致事件に関与していたことは、ほとんど明らかにはなっていなかった。 一方、共産党や自民党は以下のような反論・追及を行っている。 要望書が提出される1年前、1988年3月26日の参議院予算委員会において、日本共産党(橋本敦議員)が辛光洙事件について質疑・追及しており、署名議員も予算委員として委員会に出席していた(社会党5名、公明党2名、無所属1名)。国会議員が事実を知らなかったこと自体が、まったくおかしな話だ。 また、共産党は自民党議員がこの件を取り上げた際、自民党に対して「自公連立の友党である公明党の議員が署名していたことについて、何の言及もしないのは二重基準だ」と指摘している。公明党所属の署名議員はその後全員政界を引退した。
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