マイカ・フランクリンとは? わかりやすく解説

マイカ・フランクリン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/04 08:44 UTC 版)

マイカ・フランクリン
Micah Franklin
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州サンフランシスコ
生年月日 (1972-04-25) 1972年4月25日(52歳)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
205 lb =約93 kg
選手情報
投球・打席 右投両打
ポジション 外野手
プロ入り 1990年 MLBドラフト3巡目
初出場 MLB / 1997年5月13日
NPB / 1999年4月3日
KBO / 2002年
最終出場 MLB / 1997年6月28日
NPB / 2000年7月13日
KBO / 2003年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

マイカ・イシャンティ・フランクリンMicah Ishanti Franklin , 1972年4月25日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコ出身の元プロ野球選手外野手)。右投両打

経歴

1990年MLBドラフト3巡目(全体90位)でニューヨーク・メッツに指名され契約。

1997年セントルイス・カージナルスメジャーデビューするものの、メジャーでプレーしたのはこのシーズンだけで、ほとんどマイナーリーグでの生活が中心だった。

1999年日本ハムファイターズに入団。その折、サミー・ソーサに風貌が似ていると話題になった[1]。そのことから一部ではソーサのそっくりさんという意味を込めて「ダミー・ソーサ」という愛称もついた。4月7日の西武戦で初先発のルーキー・松坂大輔に顔付近への投球を受け、怒りを露わにする場面もあった。4月10日の対千葉ロッテマリーンズ戦で左右両打席本塁打を放っている。4月の打撃成績は打率.304(79打数24安打)、9本塁打でパ・リーグ月間MVPを受賞した。しかし6月以降は不振に陥り、最終的にはリーグ3位の30本塁打、リーグ8位の80打点を記録するも打率.238はリーグ29位に終わった(ただし、四死球数はリーグトップの86で出塁率は高かった)。打撃にムラを残してはいたものの[2]、チームトップの本塁打を放ったため残留となる。

2000年シーズンは、当初は出番があったが同じ外国人野手のナイジェル・ウィルソンシャーマン・オバンドーの活躍から、外国人枠の関係で二軍生活となり、出場機会を増やすため6月27日に阪神タイガース金銭トレードされた。阪神はフランクリンの獲得を可能とすべく、不振だったハワード・バトルを前もって解雇している。しかし、膝の故障で移籍後はわずか8試合の出場に留まり、オフに戦力外通告を受けて退団した。

その後はマイナーリーグを経て、2002年7月に韓国プロ野球現代ユニコーンズと契約し、2003年のシーズン途中で退団した。

2004年は再びマイナーリーグでプレーし、同年限りで現役引退。

引退後はアリゾナ・ダイヤモンドバックスシアトル・マリナーズのスカウトを務め[3]、その後はダイヤモンドバックス傘下のマイナー球団の打撃コーチを歴任している[4][5]

2022年より、ワシントン・ナショナルズ傘下AA級ハリスバーグ・セネターズの打撃コーチを務める[6]2023年からは同傘下A+級ウィルミントン・ブルーロックスの打撃コーチに転身した[7]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1997 STL 17 37 34 6 11 0 0 2 17 2 0 0 0 0 3 0 0 10 0 .324 .378 .500 .878
1999 日本ハム 131 521 428 67 102 23 0 30 215 80 2 0 0 7 69 10 17 125 11 .238 .361 .502 .863
2000 5 20 15 2 3 2 0 0 5 0 1 0 0 0 5 0 0 6 1 .200 .400 .333 .733
阪神 8 35 29 5 5 1 0 2 12 6 0 0 0 0 3 0 3 13 1 .172 .314 .414 .728
'00計 13 55 44 7 8 3 0 2 17 6 1 0 0 0 8 0 3 19 2 .182 .345 .386 .732
2002 現代 49 198 152 30 42 9 1 14 95 30 4 2 0 2 34 0 10 52 2 .276 .434 .625 1.059
2003 38 167 136 24 30 4 0 10 64 28 6 2 0 3 25 0 3 57 0 .221 .347 .471 .818
MLB:1年 17 37 34 6 11 0 0 2 17 2 0 0 0 0 3 0 0 10 0 .324 .378 .500 .878
NPB:2年 144 576 472 74 110 26 0 32 232 86 3 0 0 7 77 10 20 144 13 .233 .359 .492 .851
KBO:2年 87 365 288 54 72 13 1 24 159 58 10 4 0 5 59 0 13 109 2 .250 .395 .552 .947
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰

NPB

記録

NPB

背番号

  • 68 (1997年)
  • 10 (1999年 - 2000年途中)
  • 99 (2000年途中 - 同年終了)
  • 37 (2002年 - 2003年)

脚注

  1. ^ 2000年日刊スポーツ発行プロ野球選手写真名鑑
  2. ^ 2000年日刊スポーツ発行プロ野球選手写真名鑑
  3. ^ MICAH FRANKLIN”. Jewish Baseball Museum. 2021年4月16日閲覧。
  4. ^ Hops Announce 2018 Coaching Staff”. Milb.com (2017年12月6日). 2021年4月16日閲覧。
  5. ^ Rawhide Announce 2021 Coaching Staff”. Milb.com (2021年2月1日). 2021年4月16日閲覧。
  6. ^ Harrisburg Senators Announce 2022 Field Staff”. MiLB.com (2022年1月18日). 2022年1月19日閲覧。
  7. ^ 2023 Blue Rocks Coaching Staff Released”. Wilmington Blue Rocks. MiLB.com (2023年2月1日). 2023年3月15日閲覧。

関連項目

外部リンク


マイカ・フランクリン(在籍2002–2003)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 07:38 UTC 版)

現代ユニコーンズ」の記事における「マイカ・フランクリン(在籍20022003)」の解説

元日本ハムファイターズ、阪神タイガース2年間の在籍これと言った活躍はなく退団

※この「マイカ・フランクリン(在籍2002–2003)」の解説は、「現代ユニコーンズ」の解説の一部です。
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