達成記録・出来事
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「2002年の阪神タイガース」の記事における「達成記録・出来事」の解説
1月10日 - 1月7日に中日を退団した島野育夫が阪神のヘッドコーチに就任する 1月25日 - 新外国人選手のマーク・バルデスと契約の締結を発表 1月27日 - 川俣浩明の登録名を「川俣ヒロアキ」と発表 2月24日 - テストを受けていたデリック・ホワイトの契約の締結を発表 3月30日 - 開幕戦の巨人1回戦(東京ドーム)で勝利、1990年4月7日広島1回戦(広島市民)を最後に勝てなかった開幕戦の連敗を11で止める 4月6日 - ヤクルト2回戦(神宮)で勝利し球団タイ記録の開幕7連勝 4月13日 - 矢野輝弘が横浜5回戦(甲子園)で9回の本塁クロスプレーの時に左肩を強打し病院へ直行、検査の結果「左肩鎖関節脱臼」と診断される(復帰は5月21日) 4月18日 - 赤星憲広が中日3回戦(ナゴヤドーム)で5回に自打球を当てて退場、翌日の検査の結果「右脛骨骨折」と診断される(復帰は7月23日) 4月25日 - アリアスが広島5回戦(倉敷)で1試合3本塁打を記録。球団史上12人目(球団史上15度目) 4月26日 - ヤクルト4回戦(甲子園)で11対6で勝利、前日の広島5回戦(倉敷)でも10対5で勝利しており、2試合連続2桁得点は1990年6月3日ヤクルト9回戦(甲子園)の11対0、6月5日の中日9回戦(ナゴヤ)の14対5で勝って以来12年ぶり 5月17日 - 片岡篤史が巨人7回戦(東京ドーム)で3回に高橋尚成から左手に死球を受け途中退場、検査の結果「左手第4、第5中手骨骨折」と診断される(復帰は6月11日) 5月26日 - 中日10回戦(ナゴヤドーム)で9回に捕手の柳沢裕一が阪神の戦略の批判する様なことを打者の矢野輝弘の時に言い乱闘騒ぎとなる。試合後に事情説明を求めた中日職員が阪神ナインのバスに乗り込み一触触発となり、上田次朗管理部長がその場で中日球団に電話で抗議し、中日の伊藤一正球団代表が「一職員に許される行動ではなかったと」即座に謝罪 5月27日 - エバンスと西武の橋本武広が交換トレード 5月30日 - 中日の伊藤一正球団代表が、4日前に騒ぎを起こした中日職員に対する謝罪の為に甲子園球場を訪れ、野崎勝義球団社長と星野監督に改めて謝罪した 7月2日 - ヤクルト14回戦(神宮)に勝利し、星野仙一監督が監督通算800勝、史上14人目 7月24日 - 藪恵壹が巨人17回戦(甲子園)の2回の投球中にわき腹を痛め途中退場、検査の結果「左肋間筋挫傷」と診断された(復帰は9月13日) 7月24日 - 桧山進次郎が巨人17回戦(甲子園)の2回の守備中に阿部慎之助のライトフェンス際の打球にフェンスにぶつかり左肩を強打し途中退場、検査の結果「左肋鎖亜脱臼」と診断された(復帰は8月28日) 7月25日 - アリアスが巨人18回戦(甲子園)の7回に入来祐作の投球が背後を通した事に激怒し入来も応戦の構えを見せ、そこから両軍入り乱れての大乱闘となり両者退場となる 7月26日 - 中日15回戦(甲子園)でサヨナラ勝利、7月24、25日の巨人17、18回戦(甲子園)でもサヨナラ勝ちしており、3試合連続サヨナラ勝ちは史上10度目で球団史上3度目 8月7日 - 濱中おさむが広島17回戦(広島市民)で6回に小林幹英から球団通算150本目の満塁本塁打を放つ、史上4球団目 8月8日 - 広島18回戦(広島市民)で3回の無死一、二塁のピンチでエディ・ディアスの三ゴロを三塁を踏み二塁、一塁と転送して三重殺を記録、1971年6月5日巨人6回戦(甲子園)の2回に記録して以来31年ぶり 8月9日 - 濱中おさむが中日18回戦(ナゴヤドーム)で4回の守備中に左手親指を強打し途中退場、検査の結果「左手第1中生骨骨折」と診断される(復帰は9月23日) 8月10日 - ホワイトが中日18回戦(ナゴヤドーム)で1回の守備中に田中秀太と激突して左手を負傷して途中退場、検査の結果「左尺骨骨幹部骨折」と診断される(以後出場無し) 8月10日 - 矢野輝弘が中日18回戦(ナゴヤドーム)で7回に落合英二から左手に死球を受け途中退場、検査の結果「左尺骨骨幹部骨折」と診断される(以後出場無し) 8月23日 - 巨人19回戦(東京ドーム)の6回裏の一死二塁で仁志敏久の三ゴロの当たり三塁手・片岡篤史が捕って一塁に送球し、一塁手・アリアスが捕球した際に足が離れてセーフとした判定に対し、星野仙一監督がで暴言を吐き退場処分。その直後田淵幸一チーフ打撃コーチも審判を小突いたとして退場処分に。セ・リーグで監督とコーチが2人同時に退場処分になったのは初めて 9月9日 - 星野伸之が現役引退を表明 10月11日 - 葛西稔兼任コーチが現役引退を表明 10月31日 - バルデスの退団を発表 11月7日 - ウェーバー公示されていたたバルデスに対し中日が獲得意思を連盟に通達、中日より下位の球団は獲得意思がないため契約譲渡決定。中日から譲渡金400万円受け取る 11月12日 - 坪井智哉と日本ハムの野口寿浩のトレードが両球団より発表される 11月19日 - ハンセルの仲介報奨金を未払いであるとして代理人のケニー野村から訴えられていた件で神戸地裁尼崎支部は原告の請求通り10万ドルの支払いを命じる判決を言い渡した 11月21日 - 伊達昌司、山田勝彦と日本ハムの下柳剛、中村豊の2対2の交換トレードが両球団より発表される 11月25日 - 広島からFAの金本知憲が阪神へ入団表明 12月7日 - 前テキサス・レンジャーズの伊良部秀輝と、新外国人の前ロサンゼルス・ドジャースのジェフ・ウィリアムスの入団を発表 12月24日 - 田中秀太の登録名を「秀太」、中林祐介の登録名を「中林祐輔」としたことを発表
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達成記録・出来事
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「2020年の阪神タイガース」の記事における「達成記録・出来事」の解説
1月30日 - youtubeの球団公式チャンネルを開設 2月11日 - 現役時代は南海ホークスなどで活躍し1999年から3年間監督を務めた野村克也が東京都世田谷区の自宅で虚血性心不全により死去。享年84歳 3月26日 - 藤浪晋太郎が新型コロナウイルス感染を判別するPCR検査を受けると発表 3月27日 - 藤浪晋太郎と伊藤隼太、長坂拳弥の3名が新型コロナウィルスのPCR検査の結果、陽性判定が確定したことを発表 7月19日 - 7月17日からの中日4~6回戦(甲子園)で中日に3連勝。甲子園3試合での中日戦3連勝は2008年7月1日からの中日9~11回戦(甲子園)で3連勝して以来12年ぶり 7月28日 - ヤクルト7回戦(神宮)で2回にジャスティン・ボーア、4回にジェリー・サンズが満塁本塁打を放ち、チーム1試合2本の満塁本塁打は史上28度目で球団史上3度目 7月28日 - 秋山拓巳がヤクルト7回戦(神宮)で1試合5三振を喫する、史上18人目 7月28日 - ヤクルト7回戦(神宮)で20点をあげ、2018年9月16日のDeNA20回戦(横浜)で20点を挙げて以来の球団史上6度目の1試合20点以上 9月5日 - 藤浪晋太郎が巨人12回戦(甲子園)で11失点を喫し、2018年7月3日の中日12回戦(甲子園)で10失点を喫したランディ・メッセンジャーら7人がもっていた、球団の1試合最多失点のワースト記録を更新する 9月7日 - 巨人13回戦(甲子園)で敗戦を喫し、2リーグ制以降の対巨人通算1000敗目、2リーグ制以降の対巨人通算1000敗目はDeNA、ヤクルトに次ぐ3球団目 9月25日 - 浜地真澄、糸原健斗、陽川尚将、馬場皐輔、岩貞祐太、スタッフ2名が新型コロナウイルスに感染したことが判明、小川一平、岩崎優が濃厚接触者に指定され、福留孝介、江越大賀、木浪聖也、小林慶祐が球団独自に接触者と指定され、抹消となった 10月2日 - 西勇輝が巨人17回戦(甲子園)で1回無死から吉川尚輝を三振に打ち取り通算1500投球回、史上179人目 10月23日 - ジェフリー・マルテが巨人21回戦(東京ドーム)で一塁手として先発出場し、2回に3失策、5回に1失策を犯し、一塁手として2回の1イニング3失策は史上3人目で1試合4失策はNPB史上18人がもっていた、一塁手の1試合最多失策のワースト記録を更新する 10月24日 - ジェリー・サンズが巨人22回戦(東京ドーム)で8回の見逃し三振の際、判定に不服でバットとヘルメットを叩き付けた行為を侮辱行為とみなされ退場を命じられる。危険球以外での退場は今季NPB初 11月5日 - ヤクルト24回戦(甲子園)で2回に村上宗隆に二盗―三盗―本盗のパーフェクトスチールを決められる、相手選手にパーフェクトスチールを決められるのは1948年9月6日の太陽18回戦(甲子園)の4回にで本堂保次に決められて以来72年ぶり球団史上2度目 11月6日 - 福留孝介、能見篤史、上本博紀の退団を発表 11月11日 - DeNA24回戦(甲子園)で勝利し、通算のDeNA戦(大洋、横浜時代を含む)の1000勝目、DeNA戦の通算1000勝は巨人に次ぐ2球団目で球団のカード別1000勝は史上初
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達成記録・出来事
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「1985年の阪神タイガース」の記事における「達成記録・出来事」の解説
3月5日 - 益山性旭打撃投手が現役復帰を発表 3月21日 - 阪神タイガース史料館が甲子園球場内にオープンした 4月10日 - 現役時代は阪神でプレーし1958年から2年間監督を務めた田中義雄が東京都内の自宅で心筋梗塞で死去、享年75 4月14日 - リチャード・ゲイルが広島2回戦(広島市民)で日本プロ野球公式戦登板、打席では1958年の長嶋茂雄以来となる日本プロ野球史上2人目のデビュー戦4三振を記録 4月17日 - 巨人2回戦(甲子園)で、7回にランディ・バース―掛布雅之―岡田彰布がバックスクリーン3連発を記録。1979年8月10日の中日14回戦(西京極)以来の3者連続本塁打、球団史上6度目 5月6日 - 中日6回戦(甲子園)で40打数23安打で、1試合での最高打率の日本プロ野球新記録(当時)の.575 5月20日 - 山本和行が巨人9回戦(後楽園)で1点リードの8回1死から登板し、1回2/3を無失点に抑え通算100セーブ 史上2人目 5月23日 - 広島7回戦(甲子園)で右翼外審をしていた福井宏審判が鉄製のチェーンを投げつけられ顔に1週間の怪我を負う 6月5日 - 山本和行が巨人11回戦(甲子園)で7回から登板し3回無失点、先発が5回投げ切らずその他の中継ぎも山本よりも1イニング以上短いため勝利投手となり通算100勝、史上89人目 6月15日 - 木戸克彦が大洋8回戦(甲子園で)1試合3本塁打を記録。球団史上9人目(史上12度目) 6月23日 - 掛布雅之が大洋12回戦(横浜)で7回に広瀬新太郎から本塁打を放ち通算300本塁打 史上17人目 7月10日 - 真弓明信がヤクルト12回戦(甲子園)で1回に梶間健一から本塁打を放ち通算150本塁打、77人目 7月13日 - 岡田彰布が巨人15回戦(後楽園)で9回に西本聖から本塁打を放ち通算100本塁打、史上139人目 7月18日 - 平田勝男が広島15回戦(岡山)で日本プロ野球タイ記録の1試合4犠打 8月12日 - 日本航空123便墜落事故に球団社長の中埜肇が遭難、16日に遺体が確認される 享年63 8月15日 - 巨人21回戦(後楽園)で7回から嶋田章弘が登板し先発出場をしていた兄・嶋田宗彦との兄弟バッテリーが実現、1942年の野口明―野口二郎(大洋)以来、史上2組目 8月17日 - 中田良弘 が広島16回戦(広島市民)で先発し2回4失点で敗戦投手となり1981年7月22日より4年かけて続けてきた連勝記録が18でストップ 8月24日 - ランディ・バースがヤクルト17回戦(岡山)で4回に荒木大輔から本塁打を放ち通算100本塁打、史上142人目 8月30日 - 弘田澄男が大洋19回戦(甲子園)で4回に代打出場し通算1500試合、史上82人目 9月4日 - 山本和行が中日20回戦(ナゴヤ)の試合前にアキレス腱を断裂 9月10日 - 大洋21回戦(横浜)でセ・リーグ新記録の1試合10二塁打 9月11日 - 大洋22回戦(横浜)に勝利し、広島がヤクルト23回戦(神宮)で敗戦を喫したことにより、優勝マジック22が点灯 9月17日 - 岡田彰布が大洋24回戦(甲子園)で7回に木村広から本塁打を放ちシーズン30号、ランディ・バース、掛布雅之、真弓明信に続く4人目の同一球団シーズン30本以上となり、1978年の広島、1984年の中日に続く、史上3球団目 9月25日 - 真弓明信が中日24回戦(ナゴヤ)で8回に牛島和彦から本塁打を放ちチームのシーズン194本目、1976年の193本を超える新記録 9月27日 - 真弓明信が巨人22回戦(甲子園)で3回にキース・カムストックから本塁打を放ち2リーグ分立以降の球団通算4000号、史上7球団目 10月1日 - 永尾泰憲が広島23回戦(甲子園)で5回に代打出場し通算1000試合、史上259人目 10月5日 - 掛布雅之が巨人24回戦(後楽園)で6回にキース・カムストックから本塁打を放ち球団のシーズン200本目、史上5球団目 10月12日 - ランディ・バースが広島25回戦(広島市民)で7回に大野豊 から本塁打を放ち、NPBの外国人のシーズン本塁打(それまでは1980年のチャーリー・マニエル〈近鉄〉の48本)と球団の個人シーズン本塁打(それまでは1979年の掛布雅之の48本)を超える新記録で、NPBの球団シーズン本塁打(それまでは1978年の広島の205本)とセ・リーグのシーズン勝利打点(それまでは1983年の原辰徳〈巨人〉の20勝利打点)も超える新記録 10月14日 - ランディ・バースが広島26回戦(広島市民)で日本プロ野球新記録の4試合連続勝利打点。チームはこの試合でセ・リーグ新記録のシーズン137犠打 10月16日 - ヤクルト24回戦(神宮)を5対5で引き分けて、21年ぶりのリーグ優勝 10月22日 - 岡田彰布が巨人25回戦(甲子園)で3打点を挙げシーズン101打点、ランディ・バース、掛布雅之との同一球団100打点トリオは1950年の松竹以来2組目 10月26日 - パ・リーグ覇者の西武との日本シリーズが開幕 10月26日 - 池田親興が日本シリーズ第1戦(西武)で日本シリーズ初登板完封勝利を記録、史上6人目 10月29日 - ランディ・バースが日本シリーズ第3戦(甲子園)で3回に工藤公康から本塁打を放ち日本シリーズ3試合連続本塁打、史上2人目 10月29日 - 嶋田宗彦が日本シリーズ第3戦(甲子園)で9回に東尾修から本塁打を放ち日本シリーズ初打席本塁打を記録、史上7人目で新人では史上初 11月2日 - 長崎啓二が日本シリーズ第6戦(西武)で1回二死満塁で本塁打放つ、日本シリーズの満塁本塁打は史上6人目 11月2日 - 日本シリーズ第6戦(西武)で西武に9対3で勝利し、4勝2敗で球団創設以来初の日本一達成。シリーズMVPはランディ・バース
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達成記録・出来事
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「1974年の阪神タイガース」の記事における「達成記録・出来事」の解説
1月19日 - 藤井栄治と太平洋の阿部良男のトレードが成立したと正式に発表 4月10日 - 江夏豊が広島2回戦(広島市民)で2点リードの7回から3イニング無失点に抑え、本年度から制度されたセーブの球団1号&セ・リーグ1号となった 4月11日 - 広島3回戦(広島市民)が開催予定だったが鉄道のストライキのため中止となった 4月20日 - 大洋3回戦(川崎)で1回に竹内広明から一枝修平―藤田平―田淵幸一が1962年7月17日の広島15回戦(広島市民)以来の3者連続本塁打、球団史上3度目 6月13日 - 江夏豊が広島11回戦(甲子園)の7回に深沢修一から三振を奪い通算2000奪三振 6月15日 - 田淵幸一がヤクルト9回戦(神宮)の9回に浅野啓司から本塁打を放ち通算150号 6月22日 - 一枝修平が巨人12回戦(甲子園)に先発出場し通算1000試合出場 9月2日 - 広島23回戦(甲子園)で勝利し甲子園球場で9連勝(2分を含む)、1952年の本拠地制施行以降の本拠地の連勝記録の球団タイ記録 10月14日 - 監督の金田正泰と球団代表の戸沢一隆が辞任し、後任の球団代表に球団常務取締役の長田陸夫が就任すると発表 10月25日 - 吉田義男が監督に就任したと正式に発表。併せてオーナーの野田誠三が辞任し後任に本社社長の野田忠二郎が就任したと発表 10月26日 - 辻恭彦と大洋の辻佳紀の交換トレードが成立したと両球団が正式に発表 11月21日 - 鈴木皖武・小山清一・上辻修・平山英雄・森山正義とロッテの池辺巌・井上圭一の5対2のトレードが成立したと両球団が発表
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達成記録・出来事
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「2012年の阪神タイガース」の記事における「達成記録・出来事」の解説
1月31日 - 新ユニフォームを発表 4月11日 - 藤川球児が広島2回戦(マツダ)で3点リードの9回から登板し1回無失点に抑え通算200セーブ、史上5人目 4月11日 - クレイグ・ブラゼルが広島2回戦(マツダ)で5回に挑発行為により退場。(翌12日に厳重注意、制裁金10万円の処分) 6月2日 - 金本知憲が日本ハム3回戦(札幌ドーム)で先発出場し通算2500試合出場。史上9人目 6月3日 - 金本知憲が日本ハム4回戦(札幌ドーム)で5回に武田勝からの適時二塁打を放ち通算1500打点、史上9人目で44歳2か月の史上最年長の達成となった 6月27日 - 中日8回戦(ナゴヤドーム)で敗戦を喫し、通算の勝利数で中日と並ぶ。並ぶのはNPB初年度の1936年7月17日に中日(当時名古屋軍)が巨人に勝って7勝で並んだ以来76年ぶり(4801勝4469敗290分、中日は4801勝4424敗321分) 6月28日 - 金本知憲が中日9回戦(ナゴヤドーム)で7回に岩田慎司からの二塁打で通算2500安打、史上7人目で大卒では史上初 7月1日 - ヤクルト8回戦(神宮)で敗戦を喫し、2リーグ制以降で球団通算4000敗(4072勝4000敗257分)、史上5球団目 7月14日 - 平野恵一がヤクルト9回戦(甲子園)で先発出場し通算1000試合出場、史上453人目 7月17日 - 新井良太が巨人14回戦(甲子園)で5回にディッキー・ゴンザレスから本塁打を放ち2リーグ分立以降の球団通算7000号、史上9球団目 8月1日 - 久保康友がヤクルト12回戦(甲子園)で4回一死から畠山和洋を見逃し三振に打ち取り通算1000投球回、史上328人目 8月30日 - DeNA21回戦(横浜)で敗戦を喫し、球団通算4500敗(4815勝4500敗294分)、史上5球団目 9月5日 - 球団初のGMに阪神の監督などを務めた中村勝広が就任 9月12日 - 金本知憲が今季限りでの現役引退を表明 9月15日 - 鳥谷敬が巨人23回戦(東京ドーム)で4回にデニス・ホールトンから本塁打を放ち通算100本塁打、史上266人目 9月28日 - 城島健司が今季限りでの現役引退を表明 9月29日 - 鄭凱文に対し戦力外通告した 10月2日 - 小林宏、蕭一傑、松崎伸吾、石川俊介、横山龍之介、吉岡興志、野原祐也、甲斐雄平に戦力外通告 10月16日 - 2013年のコーチ陣を発表 11月8日 - 藤川球児が海外FA権を行使してMLBに挑戦することを表明した 11月20日 - 西岡剛と正式契約。2年契約で、背番号は7 11月27日 - オリックスからFAした日高剛が入団、背番号は37 12月25日 - FA宣言していた平野恵一がオリックスに移籍することがオリックス球団より発表された
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達成記録・出来事
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「2011年の阪神タイガース」の記事における「達成記録・出来事」の解説
1月28日 - ロッテからFA宣言していた小林宏之と正式に契約、入団会見を行った。登録名は「小林宏」で背番号は41に変更。また、背番号の変更も発表され、上園啓史の41から47へ、白仁田寛和が47から64とそれぞれ変更され、ジェン・カイウンの登録名が鄭凱文に変更になった事が発表された。 2月14日 - 2009年退団し復帰を目指してリハビリをしていたジェフ・ウィリアムスが現役引退することを発表。 2月14日 - 12球団で唯一契約未更改で自費でキャンプに参加していた、久保康友がこの日契約を更改した。 3月1日 - 髙濱卓也がFAで獲得した小林宏之の人的補償選手で移籍することをロッテから発表 3月2日 - ジェフ・ウィリアムスと駐米スカウトとしての契約を締結。 3月24日 - 3月11日に発生した東日本大震災を受けて、セ・リーグの緊急理事会が開かれ、開幕戦を3月25日から4月12日に決定したにより、1993年以来18年ぶりの甲子園開幕が決まる 4月12日 - マット・マートンが広島1回戦(甲子園)で前田健太から史上18人目の開幕戦初回先頭打者本塁打を記録。 4月15日 - 金本知憲が中日1回戦(ナゴヤドーム)の8回二死で代打で出場したが、一塁走者の俊介が盗塁に失敗し打席が完了しないまま攻撃終了となり、その裏の守備には付かずに交代したため、この日の出場自体は記録されるが、連続試合出場継続とはカウントされないルールの為、広島時代の1998年7月10日のヤクルト15回戦(広島市民)以来の連続試合出場記録が日本プロ野球史上歴代2位の1766試合でストップ 4月19日 - 能見篤史が巨人1回戦(甲子園)で初回から3回にかけて7者連続三振の球団タイ記録で史上4度目、7者以上連続三振は日本プロ野球史上25人目(26度目、最多は9)。試合は10回裏に新井貴浩の安打に続き、弟の新井良太のサヨナラ安打で3対2で阪神が勝利、兄弟による同一試合での安打は阪神では25年ぶり。また阪神は3試合連続延長戦の球団タイ記録 5月3日 - 巨人4回戦(東京ドーム)の2回に金本知憲が東野峻から43歳1か月でセ・リーグ史上最年長本塁打となる今季1号本塁打。3回に東野峻から3番鳥谷敬、4番新井貴浩、5番クレイグ・ブラゼルによる3者連続本塁打、球団史上9度目。クリーンアップによる3者連続本塁打は1985年のバックスクリーン3連発以来26年ぶり。試合は阪神が勝利し、完投で勝利投手となった能見篤史は2009年からの対巨人戦の連勝を球団タイ記録の8とした 5月12日 - 城島健司が広島6回戦(甲子園)で7回に岩見優輝から本塁打を放ち、日米通算1000打点を達成 5月14日 - 中日5回戦(甲子園)が開催され、阪神甲子園球場での通算4000試合となった(球団通算2145勝1747敗108分) 5月14日 - 桧山進次郎が中日5回戦(甲子園)に9回に代打で出場し、岩瀬仁紀から右翼ポール際に本塁打を放ち、八木裕の球団記録を更新する日本プロ野球通算14本目の代打本塁打。 5月22日 - 鳥谷敬が西武1回戦(甲子園)で6回に代打で出場し通算1000試合出場、史上442人目 5月24日 - 江草仁貴と西武の黒瀬春樹との交換トレードが成立したことも発表 5月31日 - 新井貴浩が日本ハム1回戦(札幌ドーム)で先発出場し通算1500試合出場、史上169人目 6月15日 - 平野恵一が日本ハム4回戦(甲子園)で3回にダルビッシュ有から犠打を決めて通算200犠打、史上31人目 6月28日 - 元阪神の選手で、同球団のチーフスコアラーの渡辺長助が遠征先の富山市内のホテルで急死。享年54 7月1日 - 横浜6回戦(倉敷)で勝利し、2リーグ制以降で球団通算4000勝(3927敗244分)、史上6球団目 7月26日 - 森田一成が中日10回戦(甲子園)で5回に代打で出場でマキシモ・ネルソンから本塁打を放ち、球団史上初のプロ初打席初本塁打。日本プロ野球史上では51人目、代打では同13人目 7月30日 - 新井貴浩が横浜13回戦(甲子園)で2回に須田幸太から二塁打を放ち通算1500安打。史上110人目 8月4日 - 7月度月間MVPが発表され、ジェイソン・スタンリッジが外国人選手ではセ・リーグ史上初の2か月連続受賞。 8月20日 - クレイグ・ブラゼルが横浜15回戦(横浜)で8回に真田裕貴から本塁打を放ち通算100本塁打、史上263人目 8月25日 - 巨人18回戦(東京ドーム)は3対3の引き分けで、藤川球児が9回の1イニングを投げ3者連続三振で通算100ホールドとし、日本プロ野球史上初の100セーブと100ホールドを達成 8月28日 - 藤川球児がヤクルト13回戦(甲子園)で9回から登板し通算500試合登板。史上87人目。 9月13日 - 鳥谷敬が中日19回戦(甲子園)で先発出場し通算1000試合連続出場、史上8人目。 9月21日 - 育成選手のマルコス・ベキオナチに戦力外通告 9月28日 - 新井貴浩がヤクルト18回戦(神宮)で3回に七條祐樹から本塁打を放ち、通算250号本塁打。史上56人目。 10月9日 - 下柳剛、杉山直久、桟原将司、阿部健太、桜井広大、葛城育郎と育成選手の髙田周平と田中慎太朗に戦力外通告したことを発表 10月9日 - 関本賢太郎が横浜20回戦(横浜)で先発出場し通算1000試合出場、史上447人目 10月10日 - マット・マートンが巨人22回戦(東京ドーム)で8回に福田聡志から安打を放ち29試合連続安打、2001年の桧山進次郎が持つ球団連続試合安打記録を更新 10月11日 - マット・マートンが巨人23回戦(東京ドーム)で2回に東野峻から安打を放ち30試合連続安打、1993年のグレン・ブラッグス(横浜)が持つ日本プロ野球の外国人選手連続試合安打記録を更新 10月16日 - 真弓明信監督の辞任を発表 10月25日 - ヘッドコーチの木戸克彦、野手チーフコーチの岡義朗、投手コーチの久保康生、トレーニングコーチ補佐の海老野貴勇の退団を発表 10月28日 - 新監督に一軍打撃コーチの和田豊の就任を発表 10月31日 - 一軍ヘッドコーチに有田修三、外野守備走塁コーチに関川浩一がそれぞれ就任することを発表 11月1日 - 二軍育成コーチの遠山奨志と来季の契約を結ばないことを発表 11月2日 - 二軍投手コーチに湯舟敏郎の就任を発表。また二軍バッテリーコーチの嶋田宗彦のスコアラーへの就任を発表 11月24日 - 育成選手の玉置隆、吉岡興志、黒田祐輔、藤井宏政と再契約で合意したことを発表 12月8日 - 上園啓史と楽天の松崎伸吾の交換トレードが発表 12月28日 - 清原大貴の背番号が65から47へ、同じく橋本良平が38から 66へ、黒瀬春樹が66から38へそれぞれ変更したことを発表
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達成記録・出来事
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「2006年の阪神タイガース」の記事における「達成記録・出来事」の解説
4月5日 - 下柳剛が広島1回戦(広島市民)で先発登板し通算500試合登板、史上77人目 4月9日 - 金本知憲が横浜3回戦(大阪ドーム)で先発出場し、試合終了まで出続けたため、904試合連続フルイニング出場の世界記録を達成 4月14日 - 井川慶が広島3回戦(甲子園)で9回に梵英心から三振を奪い通算1000奪三振、史上119人目 6月10日 - 金本知憲が西武5回戦(甲子園)で5回に帆足和幸から本塁打を放ち阪神移籍後通算100本塁打、2球団で100本塁打以上は史上11人目 6月14日 - 楽天5回戦(フルキャスト)で6回裏無死一、二塁で沖原佳典のバント小飛球を直接捕球せず、その後三塁 - 二塁 - 一塁と転送してトリプルプレーを完成させる 6月20日 - 牧野塁と楽天の坂克彦が交換トレード 7月4日 - 藤川球児が横浜10回戦(京セラドーム)で9回に登板し無失点に抑えたことで35試合連続無失点、2003年の豊田清(西武)の持つ連続試合無失点のプロ野球記録を更新 7月5日 - 12球団オーナー会議が開かれ、球団の親会社である阪神電鉄と阪急HDの経営統合が議論された。野球協約には球団の親会社が変更の場合「預かり保証金25億円」「野球振興協力金4億円」「加入手数料1億円」の計30億円を支払う必要があるため 7月5日 - 金本知憲が横浜11回戦(甲子園)で3回に門倉健から二塁打を放ち通算300二塁打、史上45人目 7月11日 - 藤川球児が広島8回戦(甲子園)9回に登板し一死後、栗原健太から三振を奪いその回を無失点に抑えたことで連続イニング無失点が47回2/3イニング、1962年の小山正明が持っていた連続イニング無失点の47回を超える球団新記録 7月12日 - 金本知憲が広島9回戦(甲子園)で8回に横山竜士から本塁打を放ち通算350本塁打、史上20人目 7月12日 - 藤川球児が広島9回戦で(甲子園)で9回に登板し二死二、三塁から暴投で失点を許し、連続試合無失点が38試合、連続イニング無失点が47回2/3でストップ(規定で二死後の失点ではあるけど失点した回の2/3は加算されない) 7月14日 - 町田公二郎が中日5回戦(京セラドーム)で6回に代打で出場し小笠原孝から本塁打を放ち通算20本目の代打本塁打になり、史上2位の大島康徳(中日・日本ハム)に並ぶ 7月23日 - 藤本敦士がオールスター第2戦(宮崎)で4対4の8回に決勝2点適時打を放ちMVPを獲得、阪神選手のオールスターMVPは2003年のオールスター第2戦(千葉マリン)の金本知憲以来3年ぶり 8月19日 - 福原忍がヤクルト戦(神宮)で4打数3安打で猛打賞を記録、投手の猛打賞は吉見祐治(横浜)が2003年5月3日の中日6回戦(ナゴヤドーム)で記録して以来3年ぶり 8月29日 - 金本知憲が中日14回戦(甲子園)で6回に久本祐一から四球を選び通算1000四球、史上12人目 9月5日 - 巨人17回戦(甲子園)で出場選手全員安打で毎回安打を記録、史上18度目 9月14日 - 9月12日からの広島16~18回戦(広島市民)で広島に3連勝。広島市民球場での広島3連戦3連勝は1976年の9月4日から9月6日にかけての広島16~18回戦以来30年ぶり 9月16日 - 中日18回戦(ナゴヤドーム)で山本昌にノーヒットノーランを喫する、相手投手にノーヒットノーランを喫するのは1965年10月2日の広島20回戦(甲子園)で外木場義郎に喫して以来41年ぶり 9月19日 - 金本知憲がヤクルト19回戦(甲子園)で打順四番で先発出場し連続四番出場を416試合とし、2000年から2002年にかけて松井秀喜(巨人)が作った連続四番出場のプロ野球記録を更新 10月3日 - ヤクルト20回戦(神宮)に勝利し、球団史上初の2年連続80勝 10月4日 - 矢野輝弘がヤクルト21回戦(神宮)で2回に石井一久から本塁打を放ち通算100本塁打、史上246人目 10月10日 - 片岡篤史が今季限りの引退を明らかにした 11月9日 - 新外国人選手のライアン・ボーグルソンと契約の締結を発表 11月10日 - 井川慶がポスティングシステムでのメジャー移籍を表明 11月14日 - 12球団オーナー会議が開かれ、球団の30億円支払いの件で議論になり、「預かり保証金25億円」「野球振興協力金4億円」の合計29億円が免除となった
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達成記録・出来事
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「2009年の阪神タイガース」の記事における「達成記録・出来事」の解説
2月28日 - 阪神甲子園球場の第2期改修工事が完了 3月3日 - 新外国人選手でWBC台湾代表などの鄭凱文との契約が成立 3月4日 - 橋本健太郎とロッテの久保康友の交換トレードの成立が両球団より発表 4月4日 - 赤星憲広がヤクルト2回戦(京セラドーム京セラドーム)で3回に由規―相川亮二のバッテリーから吉田義男の持っていた球団通算盗塁350を更新する351盗塁目を記録 4月8日 - 金本知憲が広島2回戦(甲子園)で3打席連続本塁打を記録。41歳5日での3打席連続本塁打は王貞治(巨人)が1979年5月9日の中日4回戦(ナゴヤ)で打った時の38歳11か月を更新する史上最年長記録。1試合3本塁打も王貞治(巨人)が1980年7月14日のヤクルト戦(神宮)で打った39歳2か月を更新する史上最年長記録 4月10日 - 金本知憲が巨人1回戦(東京ドーム)で3打席連続本塁打を記録し、自身が2日前に作った3打席連続本塁打、1試合3本塁打の史上最年長記録を更新 4月23日 - 金本知憲が中日5回戦(ナゴヤドーム)で9回に岩瀬仁紀から二塁打を放ち、阪神移籍後通算1000安打、広島でも1179安打を打ってるので2球団で1000安打は大杉勝男(日本ハム・ヤクルト)に次ぐ2人目 4月25日 - 福原忍が広島5回戦(マツダ)で2回二死から喜田剛を二ゴロに打ち取り通算1000投球回、史上317人目 5月3日 - 金本知憲が巨人5回戦(甲子園)で先発出場し1500試合連続出場。衣笠祥雄(広島)に次ぐ史上2人目 5月12日 - 金本知憲が広島7回戦(甲子園)で9回に横山竜士からサヨナラ本塁打を放ち、球団通算7000号本塁打、史上7球団目 5月28日 - 前西武のクレイグ・ブラゼルの獲得を発表。1年契約で背番号は67 7月11日 - 藤田太陽と西武の水田圭介のトレードが成立 7月14日 - 久保康友が中日9回戦(甲子園)に先発登板し勝利を挙げたことにより、全球団勝利を達成、史上7人目 7月27日 - 育成選手の野原祐也を支配下選手登録、背番号は123から94に変更 8月6日 - 金本知憲が中日14回戦(ナゴヤドーム)で1回に川井雄太から二塁打を放ち通算4000塁打、史上6人目 8月26日 - クレイグ・ブラゼルが横浜17回戦(横浜)で5回に1イニング2本塁打、史上18人目(20度目) 9月5日 - 新井貴浩が広島19回戦(マツダ)で8回にマイク・シュルツから三振を喫し通算1000三振、史上46人目 9月12日 - 赤星憲広が横浜20回戦(甲子園)で3回の守備の際、内川聖一の右中間の飛球にダイビングキャッチを試みた直後に動けなくなり、後日、頸椎椎間板ヘルニアの悪化と中心性脊髄損傷が判明 9月18日 - 秀太の現役引退を発表 9月21日 - 金本知憲が横浜22回戦(横浜)3回に三浦大輔から三振を喫し通算1500三振、史上8人目 9月29日 - 金本知憲がヤクルト20回戦(神宮)で3回に由規から二塁打を放ち通算400二塁打、史上10人目 10月1日 - 木興拓哉、辻本賢人に戦力外通告 10月2日 - 前田忠節に戦力外通告。藤原通が現役引退を表明 10月10日 - 今岡誠に戦力外通告、今岡は記者会見で現役続行を表明 10月15日 - 二軍投手コーチの星野伸之から出ていた辞任の申し出を承認した事を発表 10月16日 - 一軍打撃コーチの片岡篤史と、二軍守備走塁コーチ永尾泰憲の就任を発表 11月6日 - ジェフ・ウィリアムス、スコット・アッチソンが退団 11月13日 - 前シアトル・マリナーズの城島健司と正式契約し、入団発表を行った。背番号は2 11月16日 - 水田圭介の背番号が15から32へ、柴田講平の背番号2から00に変更 12月9日 - 赤星憲広が現役引退を表明 12月10日 - 新外国人選手のランディ・メッセンジャーと契約の締結を発表
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達成記録・出来事
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「2007年の阪神タイガース」の記事における「達成記録・出来事」の解説
1月9日 - 新外国人選手のエステバン・ジャンとの契約合意を発表 1月29日 - 星野仙一SDが来年の北京五輪日本代表監督になることが発表 4月20日 - 巨人4回戦(甲子園)で12回に3点ビハインドからサヨナラ勝ち、延長戦の3点ビハインドからのサヨナラ勝ちは史上6度目 5月21日 - 喜田剛と広島の山田真介の交換トレード 6月8日 - 岡田彰布監督がオリックス3回戦(甲子園)の8回の攻撃時に守備妨害の判定を出した谷博球審に暴力行為を働いたため退場(制裁金10万円、厳重戒告) 6月14日 - 金本知憲が西武4回戦(グットウィル)で先発出場し1247試合連続出場。飯田徳治(南海)を抜き、史上3位に進出 6月20日 - 金本知憲が楽天4回戦(甲子園)で先発出場し1251試合連続出場。松井秀喜(巨人)を抜き、史上2位に進出 6月29日 - 球団社長兼オーナー代行の牧田俊洋が退任、後任は専務取締役の南信男が就任 7月6日 - 下柳剛が中日7回戦(ナゴヤドーム)で先発登板で勝利し通算100勝、史上122人目で1994年の郭源治(中日)の37歳11か月を上回る、39歳1か月での史上最年長達成 7月24日 - 鳥谷敬が中日11回戦(ナゴヤドーム)でフルイニング出場し340試合連続フルイニング出場、1972年から1974年の藤田平(阪神)、2004年から2007年の石井琢朗(横浜)を超える遊撃手フルイニング出場を更新 7月25日 - 赤星憲広が中日12回戦(ナゴヤドーム)で1回に山本昌―の谷繫元信のバッテリーから盗塁を決め通算300盗塁、史上26人目 7月26日 - 7月24日からの中日11~13回戦(ナゴヤドーム)で中日に3連勝。ナゴヤドームでの中日3連戦3連勝は1997年の会場以来初で、中日戦の敵地3連戦3連勝は1986年の4月18日から4月20日にかけての中日1~3回戦(ナゴヤ)以来21年ぶり 7月27日 - 藤川球児が横浜11回戦(甲子園)でセーブを記録し、7月17日の巨人14回戦(甲子園)からチーム6戦連続セーブを記録、史上3人目 8月1日 - 下柳剛がヤクルト13回戦(甲子園)で2回二死からにグライシンガーを投ゴロに打ち取り通算1500投球回、史上158人目 8月1日 - 関本健太郎がヤクルト13回戦(甲子園)で5回無死一塁でにリグスが遊ゴロを放ち、遊撃手からの送球を二塁ベース上で捕球した際、二塁手守備機会713を記録し、立浪和義(中日)が1993年から1994年にかけて作った二塁手守備機会を更新 8月5日 - 広島14回戦(広島市民)で勝利し敵地10連勝。敵地二桁連勝は1968年8月7日の中日16回戦(中日)から9月9日の中日22回戦(中日)までに14連勝して以来39年ぶり 8月10日 - 金本知憲が横浜14回戦(横浜)で8回に横山道哉から安打を放ち通算3500塁打、史上21人目 8月18日 - 岡田彰布監督が中日16回戦(京セラドーム)8回の攻撃時に一走の二進に対してアウトの判定を出した井野修塁審に暴力行為を働いたため退場(制裁金10万円、厳重警告) 8月21日 - ジャンがヤクルト15回戦(神宮)で2回にボークを犯し、プロ野球新記録のシーズン12ボーク 8月23日 - 関本健太郎がヤクルト17回戦(神宮)で7回にガイエルの放った打球を一塁に悪送球をし失策が記録され二塁手連続守備機会が804でストップ 8月31日 - 久保田智之がヤクルト18回戦(甲子園)で登板し8回に登板し月間17試合登板、リーグ5、6人目の最多タイ記録(巨人の西村健太朗もと同時に) 9月5日 - 桧山進次郎が横浜18回戦(甲子園)で代打で出場して通算1500試合、史上154人目 9月5日 - 岡田彰布監督が横浜18回戦(甲子園)で勝利したことにより監督通算300勝、球団史上6人目 9月6日 - 9月4日からの横浜17~19回戦(甲子園)で横浜に3連勝。このことにより、セリーグ全球団3連戦3連勝を達成、2003年以来4年ぶり 9月7日 - 巨人19回戦(東京ドーム)で7本の本塁打を打たれながらも勝利。7被本塁打を喫しながらの勝利は史上5度目 9月9日 - 巨人21回戦(東京ドーム)で勝利し10連勝。二桁連勝は1982年の6月18日中日9回戦(甲子園)から7月2日の巨人15回戦(甲子園)で11連勝(1分け含む)して以来25年ぶり球団史上10度目 9月9日 - 藤川球児が巨人21回戦(東京ドーム)に登板し10連投。1975年山本和行(阪神)1983年久保文雄(大洋)に並ぶセ・リーグタイ記録 9月14日 - 赤星憲広が中日20回戦(甲子園)で8回に岡本真也から安打を放ち通算1000安打、史上248人目 9月15日 - 久保田智之が中日21回戦(甲子園)で7回から登板しシーズン81試合登板、2005年の藤川球児が持つプロ野球シーズン登板数を更新(最終記録は90試合登板) 9月16日 - 矢野輝弘が中日22回戦(甲子園)で先発出場し通算1500試合出場、史上155人目 9月29日 - 鳥谷敬が広島24回戦(甲子園)で7回の守備から交代し、2005年5月11日のロッテ2回戦(千葉マリン)より続けていた連続フルイニング出場が398試合で途切れた 11月21日 - 広島からFA宣言していた新井貴浩が入団を表明 11月26日 - 吉野誠、濱中治とオリックスの阿部健太、平野恵一の2対2の交換トレードが発表 12月15日 - 島野育夫総合特命コーチ(次年度より球団アドバイザー)が胃がんのため西宮市内の病院で死去、享年63
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達成記録・出来事
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「2010年の阪神タイガース」の記事における「達成記録・出来事」の解説
1月18日 - 背番号の変更を発表。水田圭介が15から32、柴田講平が2から00、高橋勇丞が58から121、金村大裕が61から117、玉置隆が62から118に変更。また矢野輝弘の登録名を「矢野燿大」に変更したことも発表 3月14日 - 阪神甲子園球場内に甲子園歴史館が開館 3月26日 - 安藤優也が横浜1回戦(京セラドーム)で開幕投手を務め、球団史上初の3年連続開幕投手 3月29日 - 育成選手の田上健一を支配下選手登録したことを発表 4月4日 - 下柳剛が中日3回戦(ナゴヤドーム)で先発登板し通算600試合登板、史上35人目 4月6日 - ロッテの川崎雄介を金銭トレードで獲得したことを発表 4月6日 - 元ソフトバンクのジェイソン・スタンリッジと契約したことを発表 4月6日 - 金本知憲が巨人1回戦(甲子園)で6回に藤井秀悟から本塁打を放ち、阪神移籍後200本塁打、2球団それぞれで200本塁打以上は落合博満(ロッテ・中日で達成)に次ぐ2人目 4月10日 - 金本知憲がヤクルト2回戦(甲子園)に出場し、藤村富美男が持っていた球団最多連続出場1014を更新する1015試合連続出場 4月13日 - 藤川球児が巨人4回戦(東京ドーム)でセーブを記録し、山本和行の持っていた球団通算セーブ130を更新する131セーブ目を記録 4月18日 - 金本知憲が横浜5回戦(横浜)で先発出場を外れ、連続フルイニング出場が1492試合でストップ、この試合は代打で出場し、連続出場記録は継続 5月3日 - 城島健司が中日7回戦(ナゴヤドーム)で2回に朝倉健太から死球を受け通算100死球、史上14人目 6月3日 - 金本知憲が4月17日に達成した1492試合連続フルイニングの記録がギネス世界記録に認定 6月4日 - 桧山進次郎がオリックス3回戦(甲子園)で7回に加藤大輔から代打で安打を放ち、遠井吾郎が持っていた球団通算代打安打の108を更新する109安打目を記録 6月27日 - 金本知憲がヤクルト8回戦(神宮)で8回に松岡健一から本塁打を放ち通算450本塁打、史上13人目 7月20日 - 育成選手の森田一成を支配下選手登録したことを発表 8月12日 - 広島14回戦(マツダ)で6回にエリック・スタルツから城島健司―桜井広大―狩野恵輔が2003年5月9日の横浜7回戦(横浜)以来の3者連続本塁打、球団史上8度目 8月25日 - 広島16回戦(京セラドーム)で22得点を取り、2005年9月10日の広島18回戦(甲子園)の21点を取って以来の球団史上3度目の1試合20点以上で22得点は球団新記録 9月3日 - 矢野燿大が今季限りで現役引退することを発表 9月5日 - 藤川球児が広島20回戦(マツダ)でセーブを記録し通算150セーブ、史上10人目 9月18日 - マット・マートンが巨人20回戦(甲子園)で1回にディッキー・ゴンザレスから安打を放ち、1950年の藤村富美男が持っていた球団最多安打191を更新する192安打目を記録 9月23日 - マット・マートンが中日24回戦(ナゴヤドーム)で7回に吉見一起から本塁打を放ち、日本プロ野球の年間200安打目を記録。史上4人目 9月27日 - ウエスタン・リーグはこの日2位のソフトバンクが中日に敗れたため、阪神の4年ぶり15度目のリーグ優勝が決定 9月28日 - マット・マートンが巨人23回戦(甲子園)で6回に内海哲也から安打を放ち、2007年のアレックス・ラミレス(ヤクルト)の持っていたセ・リーグの年間最多安打204を更新する205安打目を記録 10月1日 - 金村暁、庄田隆弘、大城祐二、西谷尚徳、金村大裕、高橋勇丞に戦力外通告したことを発表 10月3日 - 新井貴浩が広島24回戦(マツダ)で6回に今井啓介から二塁打を放ち、1950年の松竹が記録したセ・リーグのチームのシーズン安打1417を更新する1418安打目を記録(最終記録は1458安打) 10月5日 - マット・マートンがヤクルト24回戦(神宮)で2回に中澤雅人から安打を放ち、1994年のイチロー(オリックス)の持っていた日本プロ野球の年間安打210を更新する211安打目を記録(最終記録は214安打) 10月5日 - 鳥谷敬がヤクルト24回戦(神宮)で3回に橋本義隆から二塁打を放ち通算1000安打、史上262人目 10月19日 - 二軍打撃コーチの町田公二郎からの辞任の申し入れを了承したことを発表 10月22日 - 二軍監督に吉竹春樹、二軍守備走塁コーチに風岡尚幸、高橋光信の現役引退と二軍打撃コーチへの就任を発表 10月22日 - 二軍監督の平田勝男と来季の契約を結ばないことを発表 10月26日 - ケーシー・フォッサムに戦力外通告したことを発表 10月29日 - ロバート・ザラテと育成選手で契約したことを発表 11月12日 - 桟原将司と黒田祐輔と田中慎太朗と玉置隆の4名と育成選手の再契約したことを発表 11月22日 - 藤川俊介の登録名を「俊介」に変更したことを発表 11月24日 - 楽天からFAの藤井彰人が阪神への入団を表明 12月3日 - 前横浜加藤康介の入団を発表を発表 12月6日 - 背番号の変更を発表した。ジェン・カイウンが64から40、小宮山慎二が60から39、大和が66から0、髙濱卓也が36から66に変更。育成選手の桟原将司が40から117、黒田祐輔が59から121に変更 12月17日 - 前楽天の藪恵壹の二軍投手コーチへの就任を発表 12月24日 - 水田圭介と中日の新井良太が交換トレード 12月28日 - マルコス・ベキオナチと育成選手で契約したことを発表
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達成記録・出来事
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「2003年の阪神タイガース」の記事における「達成記録・出来事」の解説
1月15日 - 今岡誠との契約更改で竹田常務が「代理人の都合で交渉できない」と選手会に指摘した 1月21日 - 選手会は今岡誠の契約更改の件で「代理人と球団側が会って交渉していた」と竹田常務に謝罪を要求した 1月25日 - 新外国人選手のルー・ポートと契約の締結を発表 2月5日 - 今岡誠の契約更改の件で球団は1月21日の選手会の要求に「交渉は代理人と選手が同席して第1回と考えるので、交渉は行われていない」と回答書を送付した 3月9日 - 甲子園球場のスタンド内での喫煙が禁止になる 4月10日 - 桧山進次郎が中日3回戦(甲子園)で先発出場し通算1000試合出場、史上384人目 4月11日 - ジョージ・アリアスが巨人1回戦(東京ドーム)で9回にコリー・ベイリーより本塁打を放ち通算100本塁打、史上226人目 4月12日 - トレイ・ムーアが巨人2回戦(東京ドーム)で3回に1イニング2安打を放つ、投手の1イニング2安打は1994年7月25日に広島・川口和久が横浜16回戦(横浜)の6回に記録して以来、2安打後に共に後続の安打でホームを踏んでるため、投手の1イニング2得点は1975年6月12日に堀内恒夫が大洋7回戦(後楽園)の3回に記録して以来 4月22日 - 橋本武広とロッテの吉田篤史の交換トレードが発表 4月29日 - 片岡篤史が巨人4回戦(甲子園)で2回に桑田真澄から本塁打を放ち通算150本塁打、史上124人目 4月29日 - 巨人戦で球団新記録の4試合連続7得点以上 5月8日 - 高波文一が金銭トレードで西武に移籍 5月9日 - 横浜7回戦(横浜)で3回に吉見祐治から濱中おさむ―片岡篤史―ジョージ・アリアスが1985年4月17日の巨人2回戦(甲子園)以来の3者連続本塁打、球団史上7度目 5月27日 - 横浜10回戦(甲子園)で勝利し対横浜戦9連勝、対横浜戦(大洋時代含む)の連勝記録(1954年と1997年)を更新する球団新記録 5月31日 - 巨人11回戦(東京ドーム)で9回に1イニング11点を挙げる、1イニング2桁得点は1997年8月2日の巨人18回戦(甲子園)の8回に記録して以来6年ぶり 5月31日 - 金本知憲が巨人11回戦(東京ドーム)で9回の第5打席目で2点適時打を放ち、打者一巡でまわってきた第6打席目で3点本塁打を放ち1イニング5打点、1イニング5打点以上は史上13人目(15度目)で第6打席目の木村龍治から放った本塁打が通算250本塁打、史上45人目 6月5日 - 中日12回戦(甲子園)で勝利し甲子園球場10連勝、1958年、1965年、1976年に3度記録した(引き分け込みを加えると6度)9連勝を超える、球団の本拠地連勝記録(1952年の本拠地制施行以後)を更新 6月7日 - ヤクルト12回戦(神宮)に勝利し2位巨人に10ゲーム差をつける、この日終了時で39勝17敗1分の57試合消化でセリーグでは1959年の巨人の50試合に次ぐ最速二桁ゲーム差 6月18日 - 新外国人選手のジェロッド・リガンの獲得を発表。 6月19日 - 横浜14回戦(甲子園)で勝利し同一カード13連勝、1981年の対広島5回戦(甲子園)から18回戦(広島市民)で記録した12連勝(2分け含む)を超える、球団の同一カード連勝記録を更新 6月29日 - 横浜17回戦(横浜)で勝利し両リーグ50勝1番乗り、球団史上初 7月2日 - 桧山進次郎が中日15回戦(甲子園)でサイクル安打達成、史上58人目(62度目) 7月2日 - 中日15回戦(甲子園)に勝利し史上初の7月中に貯金30 7月8日 - 今岡誠が広島12回戦(倉敷)で1回にクリス・ブロックから初球先頭打者本塁打。7月6日のヤクルト16回戦(甲子園)でも1回にジェイソン・ベバリンから初球先頭打者本塁打を放っており、史上初の2試合連続初回先頭打者初球本塁打、2試合連続先頭打者本塁打は史上28人目 7月8日 - 広島12回戦(倉敷)に勝利し、セ・リーグ史上最速のマジックナンバー49が点灯 7月12日 - 巨人18回戦(甲子園)で14対3で勝利、前日の巨人17回戦(甲子園)でも14対1で勝利しており、対巨人戦2試合連続2桁得点は球団史上3度目 7月16日 - 金本知憲がオールスター第2戦(千葉マリン)で第1打席に清水直行(ロッテ)第2打席にネイサン・ミンチーから本塁打を放ち2打席連続本塁打でMVPを獲得、阪神選手のMVPは2002年第1戦(東京ドーム)のジョージ・アリアス以来2年連続 7月21日 - ヤクルト17回戦(甲子園)に勝利し、セ・リーグ最短記録を更新するシーズン60勝 7月23日 - 7月21日からのヤクルト17~19回戦(甲子園)でヤクルトに3連勝。このことにより、セリーグ全球団3連戦3連勝を達成、1982年以来21年ぶり 7月25日 - 中日16回戦(ナゴヤドーム)で勝利し87試合目にして貯金40、1966年の巨人が記録した91試合のセリーグ記録を更新、貯金40も1947年以来2度目 7月26日 - 今岡誠が中日17回戦(ナゴヤドーム)で1回に平井正史から初球先頭打者本塁打を放つ今季4本目、2002年に松井稼頭央(西武)が記録したを更新、1回表の初球先頭打者本塁打2本は史上10人目のタイ記録 7月26日 - 吉野誠が中日17回戦(ナゴヤドーム)で6回に5者連続与四球と3者連続押し出しを記録、5者連続与四球は史上10人目のタイ記録で3者連続押し出しは史上15人目 7月27日 - 星野仙一監督が中日18回戦(ナゴヤドーム)で体調不良で試合開始直後から5回表までベンチ裏に下がり治療を受けていたことが明らかに 7月30日 - 横浜19回戦(甲子園)で勝利し、史上初の4カ月連続チーム15勝以上 8月12日 - 星野仙一監督が横浜21回戦(札幌ドーム)で勝利し監督通算900勝、史上13人目 8月16日 - 巨人20回戦(東京ドーム)で勝利しセ・リーグ史上最速のシーズン70勝で18年ぶりの巨人戦勝ち越しと11年ぶりのシーズン勝ち越しを決める 8月16日 - 金本知憲が巨人20回戦(東京ドーム)で先発出場し試合終了まで出続けたため575試合連続フルイニング出場、松井秀喜(巨人)を抜いて史上3位になる 8月28日 - 広澤克実が巨人23回戦(甲子園)で1回と3回に工藤公康から本塁打を放ち2打席連続本塁打、40歳以上の2打席連続本塁打は門田博光(オリックス)が1990年7月21日のダイエー17回戦(平和台)で打って以来13年ぶり、1試合2本塁打も1996年6月21日の横浜12回戦(東京ドーム)で落合博満(巨人)が打って以来7年ぶり 8月31日 - ヤクルト24回戦(甲子園)で勝利し13年ぶりのヤクルト戦の勝ち越しを決める 9月3日 - 赤星憲広が広島21回戦(広島市民)で長谷川昌幸―石原慶幸のバッテリーから二盗を決め吉田義男の持っていた球団記録を更新するシーズン52盗塁 9月6日 - 横浜27回戦(甲子園)で7回に村田修一の左翼ポール際の打球を本塁打と判定されたことについて「審判員の協議の必要性や説明責任を求める」と要望書を提出した 9月15日 - マジック2で迎えた広島23回戦(甲子園)で勝利しマジック1、2時間遅く始まったマジック対象のヤクルトが横浜25回戦(横浜)で敗戦を喫した為、18年ぶり5度目のセントラル・リーグ優勝、この日の試合の勝利で1964年の80勝を超えるシーズン81勝目。主催試合観客動員が初の300万人を突破 9月15日 - 星野仙一監督がリーグ優勝したことにより、史上9人目の複数球団で優勝した監督(中日・阪神)となった 9月23日 - 金本知憲が巨人27回戦(甲子園)で9回に木佐貫洋から本塁打を放ち2リーグ分立以降の球団通算6000号、史上10球団目 10月4日 - 阪神がウエスタン・リーグで史上初の3年連続優勝 10月4日 - 下柳剛が広島26回戦(広島市民)で先発し勝ち星を挙げて今季10勝目、井川慶とムーアの両左腕も10勝以上上げてる為、シーズン2桁勝利左腕が3人出たのは1988年の近鉄以来で4度目でセリーグでは初 10月10日 - 井川慶が広島28回戦(甲子園)で先発し勝ち星を挙げて今季20勝目、セリーグでは1999年の上原浩治(巨人)以来4年ぶり、球団では1979年の小林繁以来24年ぶり、パリーグでは斉藤和巳(ダイエー)も20勝を達成していて、両リーグ20勝投手は1982年の北別府学(広島)、工藤幹夫(日本ハム)以来21年ぶり 10月11日 - ファーム日本選手権は阪神二軍(ウエスタン・リーグ)が日本ハム二軍(イースタン・リーグ)に勝利し、2年連続優勝 10月18日 - パ・リーグ覇者のダイエーとの日本シリーズが開幕 10月19日 - 伊良部秀輝が日本シリーズ第2戦(福岡ドーム)で2回に日本シリーズ新記録の6者連続被安打で1イニング6被安打も日本シリーズタイ記録(5人目) 10月22日 - 広澤克実が日本シリーズ第3戦(甲子園)で10回に代打で出場し篠原貴行に三振を喫し、スタメンで出場した日本シリーズ第1戦(福岡ドーム)の第3打席から6打席連続三振、史上3人目 10月22日 - 藤本敦士が日本シリーズ第3戦(甲子園)で同点の10回一死満塁から犠牲フライを放ちサヨナラ勝ち、日本シリーズの犠牲フライのサヨナラゲームは史上初 10月23日 - 金本知憲が日本シリーズ第4戦(甲子園)で6回に渡辺正和、10回に新垣渚から本塁打を放つ、日本シリーズ1試合2本塁打は史上21人目(26度目)で10回の新垣渚からのサヨナラ本塁打は史上11人目(12度目) 10月24日 - 金本知憲が日本シリーズ第5戦(甲子園)で1回に斉藤和巳から本塁打を放ち、①日本シリーズ3試合連続、②日本シリーズ4本目③日本シリーズ第4戦(甲子園)の第3打席から3打数連続本塁打の3つの記録を樹立、3試合連続は史上4人目、4本目の本塁打は史上9人目(10度目)、3打数連続は史上2人目 10月27日 - 広澤克実が日本シリーズ第7戦(福岡ドーム)で9回に和田毅から本塁打を放ち、日本シリーズ通算600号本塁打、ヤクルト時代にも本塁打を放っているので複数球団での本塁打は史上8人目で、41歳6ヶ月での本塁打は杉浦亨が1992年の日本シリーズ第1戦(神宮)で放った40歳4ヶ月を超える最年長本塁打 10月28日 - 星野仙一監督が退任。後任には内野守備走塁コーチの岡田彰布が就任 10月30日 - 広沢克実が現役引退を表明 11月3日 - 御堂筋と神戸市内で優勝パレード開催 12月3日 - 新外国人選手のマイク・キンケードとの契約合意を発表 12月5日 - 川尻哲郎と近鉄の前川勝彦の交換トレードが成立
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達成記録・出来事
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「2013年の阪神タイガース」の記事における「達成記録・出来事」の解説
1月5日 - 元中日ドラゴンズで、シカゴ・カブスなどに在籍した福留孝介が移籍。福留は6年ぶりの日本球界復帰。これに伴い、浅井良の背番号が、8から5に変更 1月11日 - FAでオリックスへ移籍した平野恵一の人的補償として、高宮和也の獲得を発表 4月13日 - DeNA2回戦(甲子園)の初回6失点で4月7日の広島2回戦の(マツダ)7回から続いていた連続イニング無失点記録が球団タイ記録の41でストップ 4月19日 - 福留孝介がヤクルト4回戦(甲子園)の同点の12回二死満塁の場面で七條祐樹から本塁打を放ちサヨナラ満塁本塁打を記録、史上71人目(76度目) 5月4日 - 西岡剛がヤクルト8回戦(甲子園)で正田樹から日米通算1000本安打(NPB950本・MLB50本) 5月8日 - 桧山進次郎が巨人9回戦(東京ドーム)で12回二死一塁で代打で出場、スコット・マシソンから適時二塁打を放ったことにより通算代打99打点、八木裕の持っていた球団通算代打打点記録を更新 5月12日 - 桧山進次郎がヤクルト12回戦(松山)で9回一死満塁で代打で出場、オーランド・ロマンから適時打を放ち、通算代打100打点と通算代打安打150安打、2つとも史上3人目 5月21日 - 川崎雄介と西武の高山久との交換トレードが発表 5月27日 - 新外国人選手のブレイン・ボイヤーが入団会見、背番号は44 6月8日 - 新井貴浩がロッテ3回戦(甲子園)で4回に成瀬善久から本塁打を放ち通算1000打点、史上39人目 7月7日 - 7月5日からの広島9~11回戦(マツダ)で広島に3連勝。マツダスタジアムでの広島3連戦3連勝は2009年の会場以来初 7月16日 - 西岡剛が巨人13回戦(甲子園)で2回に菅野智之から安打を放ち通算1000本安打、史上273人目 7月16日 - 加藤康介が巨人13回戦(甲子園)で2点リードの7回一死二、三塁で2番手で登板し、最初の打者の矢野謙次の初球を二塁打を打たれ同点とされたところで打者一人で降板。その後、矢野謙次が後続の安打で生還し、そのまま一度も追いつくことなく逃げ切られたため負け越しの走者を出した加藤康介に負けがつく、球団史上初の1球敗戦投手 7月23日 - 育成選手の林啓介、狩野恵輔が支配下選手登録公示、背番号は林は98、狩野は99 7月28日 - 7月26日からのDeNA12~14回戦(甲子園)でDeNAに3連敗、甲子園でのDeNA3連戦3連敗は横浜時代の2000年の5月2日から5月4日にかけての横浜4~6回戦以来13年ぶり 8月17日 - ヤクルト16回戦(京セラドーム)に勝利し、2010年の8月14日のヤクルト16回戦(京セラドーム)から続く同一カード同一球場の連勝が10になる(その後11まで伸ばす) 8月23日 - 和田豊監督が中日16回戦(ナゴヤドーム)で3回表二死二塁からマット・マートンの打球を処理した右翼手・平田良介のプレーを捕球とジャッジしたことに対して5分以上抗議したことにより遅延行為とみなされ退場処分(8月26日に和田豊監督に厳重注意と制裁金5万円) 8月23日 - 桧山進次郎が中日16回戦(ナゴヤドーム)で7回二死一、二塁で武藤祐太から適時二塁打を放ち通算代打107打点、川又米利(中日)を抜いて史上3位に出る 8月25日 - 日高剛が中日18回戦(ナゴヤドーム)で先発出場し通算1500試合出場、史上179人目 8月31日 - 藤浪晋太郎が広島19回戦(甲子園)で勝利投手となり、セ・リーグ史上5人目、1967年の江夏豊以来46年ぶりの高卒新人10勝 9月7日 - 桧山進次郎が今季限りでの現役引退を表明 9月23日 - ヤクルト23回戦(甲子園)に勝利し、3年ぶりにクライマックスシリーズ進出が決定 9月28日 - 桧山進次郎が中日22回戦(ナゴヤドーム)で8回無死満塁で代打で出場し四球を選び通算代打109打点、高井保弘(阪急)を抜いて史上2位に出る 10月1日 - 林威助、林啓介、野原将志、橋本良平、清原大貴、黒田祐輔、藤井宏政の戦力外通告を発表 10月5日 - それぞれ二軍の投手コーチの藪恵壹、打撃コーチの河村健一郎、トレーニングコーチの続木敏之と来季の契約を結ばない事を発表 10月13日 - クライマックスシリーズファーストステージ第2戦で9回裏に桧山進次郎が現役最終打席でミコライオから本塁打を放つも敗戦し、0勝2敗で敗退、シーズン終了 10月14日 - チーフ打撃コーチの水谷実雄が球団に辞任を申し入れ、退団した事を発表 10月19日 - 内野守備走塁コーチの久慈照嘉が退団 10月21日 - 浅井良と穴田真規に戦力外通告をした事を発表。GM付育成&打撃コーディネーターに掛布雅之、内野守備走塁コーチに高代延博がそれぞれ就任する事を発表 10月28日 - 二軍チーフ兼打撃コーチに古屋英夫が就任した事を発表 11月11日 - 島本浩也、原口文仁、阪口哲也と育成選手として再契約したことを発表 11月14日 - ロッテを戦力外となった吉見祐治の入団を発表 11月22日 - 新外国人選手としてマウロ・ゴメスと、韓国野球委員会の三星ライオンズの呉昇桓との契約合意を発表 12月2日 - FA宣言をしていた久保康友がDeNAに移籍することがDeNA球団より発表された 12月9日 - 二神一人の背番号を18から66に変更したことを発表。また新外国人選手の呉昇桓の背番号を22、同じくマウロ・ゴメスが5、移籍の吉見祐治が42にそれぞれ決定したことも発表
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達成記録・出来事
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「1997年の阪神タイガース」の記事における「達成記録・出来事」の解説
3月30日 - ナゴヤドームで行われていたトーナメント大会の決勝で中日に勝利し優勝 4月24日 - 横浜6回戦(大阪ドーム)で試合開催、大阪府内での公式戦は1955年10月7日の中日23、24回戦(大阪球場)以来42年ぶり 4月29日 - 和田豊が巨人4回戦で(東京ドーム)で1回にバルビーノ・ガルベスから二塁打を放ち開幕から21試合連続安打、1954年のレインズ(阪急)の記録を更新する(その後24試合まで伸ばす) 5月16日 - グリーンウェルが「ユニフォームを脱ぐときだという神のお告げがあった」という迷言を残し、わずか7試合に出場したのみで引退を表明。これに対して吉田義男監督は「嵐のように来日して嵐のように去っていった」とコメント 5月17日 - 吉田義男監督がヤクルト8回戦(甲子園)で2回の攻撃で中込伸の投ゴロをテリー・ブロスがタッチしたことに対し、マイク・ディミュロ球審のジャッジが遅い事に抗議し、その時に体に触れたことで退場を宣告される、現役時代含めて初めて 5月20日 - 新外国人選手のボブ・マクドナルドと契約の締結を発表 5月24日 - 前年に中日でプレーしたダネル・コールズをアメリカのロッキーズから金銭トレードで獲得を発表 6月6日 - 新外国人選手のリード・シークリストと契約の締結を発表 6月26日 - オリックスの本西厚博を金銭トレードでの獲得を発表 8月23日 - 中日21回戦(ナゴヤドーム)で立浪和義にサイクル安打を喫する、相手チームの打者にサイクル安打を打たれるのは1983年4月30日の広島4回戦(甲子園)で山本浩二に打たれて以来 9月6日 - 横浜22回戦(ひたちなか)で敗戦を喫し2リーグ制移行での3000敗に到達(3053勝3000敗208分)史上5球団目 9月11日 - 広島25回戦(広島市民)で9回3点リード二死満塁から葛西稔が緒方孝市にサヨナラ本塁打を浴びる、3点差からの逆転満塁サヨナラ弾は史上8度目で二死からは史上3度目 9月15日 - 長嶋清幸が今シーズン限りの引退を表明 10月3日 - 横浜24回戦(甲子園)で4三振を喫しシーズンチーム三振数が973、1992年のヤクルトが作った971を抜きリーグ新記録 10月6日 - 新外国人選手のベン・リベラと契約の締結を発表 10月10日 - 横浜25回戦(甲子園)で6三振を喫しシーズンチーム三振数が982、1994年の近鉄が作った976を抜き日本新記録(最終記録1000三振) 10月14日 - 関川浩一と久慈照嘉、中日の大豊泰昭、矢野輝弘との2対2の交換トレードが成立 10月21日 - 新外国人選手のデジ・ウィルソンと契約の締結を発表 10月23日 - 前中日のパウエルと契約の締結を発表 11月7日 - 新外国人選手のデーブ・ハンセンと契約の締結を発表 11月19日 - 川尻哲郎がプロ野球脱税事件で脱税者の一人として名前が挙がった(当人は不起訴) 11月28日 - 誠と近鉄の江坂政明との交換トレードが両球団より発表 12月4日 - 新外国人選手のダグ・クリーク契約の締結を発表 12月17日 - 川尻哲郎を含むプロ野球脱税事件で不起訴になった9人を来季開幕から3週間の出場停止処分を発表
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達成記録・出来事
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「2001年の阪神タイガース」の記事における「達成記録・出来事」の解説
3月8日 - 高田順弘球団社長の退任と野崎勝義球団常務の社長就任を発表 3月30日 - 矢野輝弘が巨人1回戦(東京ドーム)で4回に上原浩治から本塁打を放ち、21世紀セ・リーグ第1号を記録 4月25日 - 巨人5回戦(甲子園)で対巨人1500試合目(610勝836敗54分) 5月5日 - 平尾博司と西武の谷中真二のトレードが両球団より発表される 6月9日 - イバン・クルーズが巨人13回戦(東京ドーム)で1試合3本塁打を記録、球団史上11人目(球団史上14度目)で相手の清原和博にも1試合3本塁打を打たれる。1試合3本塁打を打ち合うのは1979年5月9日の中日ー巨人4回戦(ナゴヤ)での大島康徳(中日)と王貞治(巨人)以来、史上2度目 6月14日 - 6月12日の中日11回戦(倉敷)13日からの中日13・14回戦(大阪ドーム)で中日に3連勝。中日戦3連戦3連勝は1988年の4月19日(岡山)4月20日、21日(甲子園)にかけての中日1~3回戦以来13年ぶり 6月8日 - 新外国人選手のトム・エバンスと契約の締結を発表 7月8日 - 広島15回戦(広島市民)で球団通算8000試合(3988勝3770敗242分) 7月23日 - 野村克也監督の沙知代夫人の脱税疑惑に関し球団事務所に東京国税局の査察が入っていたことが明らかになった(7月19日にはヤクルト球団も同様の理由で) 8月1日 - 星野伸之がヤクルト18回戦(甲子園)で9回にアレックス・ラミレスから三振を奪い通算2000奪三振、史上17人目 8月11日 - 桧山進次郎が中日20回戦(ナゴヤドーム)で9回に山本昌から安打を放ち、1999年の大豊泰昭が持っていた球団記録を更新する27試合連続安打 8月12日 - 中日21回戦(ナゴヤドーム)で勝利し、球団通算4000勝(4000勝3781敗242分)史上3球団目 9月11日 - ヤクルト23回戦(甲子園)に勝利し、野村克也監督が監督通算1300勝、史上7人目 9月12日 - 広澤克実がヤクルト24回戦で(甲子園)で5回に入来智から本塁打を放ち通算300本塁打、史上26人目 9月18日 - 伊藤敦規が巨人25回戦(東京ドーム)で4回二死から登板し5回一死から元木大介を三振に打ち取り1000投球回、史上291人目 9月21日 - 和田豊選手兼任コーチが現役引退 10月8日 - ヘッド兼ファーム統合コーチの松井優典、投手コーチの八木沢荘六、打撃コーチの柏原純一の3コーチが解任(松井はフロント入り) 10月17日 - 塩谷和彦とオリックスの斉藤秀光の交換トレードを両球団が発表 10月17日 - 吉田剛が現役引退表明 10月19日 - ヘッドコーチに木戸克彦、投手コーチに佐藤義則・葛西稔(選手兼任)、打撃コーチに和田豊・平塚克洋、守備走塁コーチに松山秀明、バッテリーコーチに嶋田宗彦が就任した(守備走塁コーチの吉竹春樹は留任) 12月6日 - 野村克也監督が沙知代夫人の脱税容疑で逮捕された責任を取り辞任 12月18日 - 新監督に前中日監督の星野仙一が就任。就任会見が行われる 12月20日 - チーフ打撃コーチに田淵幸一が就任、一軍打撃コーチの平塚克洋は二軍打撃コーチに
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達成記録・出来事
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「1995年の阪神タイガース」の記事における「達成記録・出来事」の解説
1月29日 - 新外国人のグレン・デービスの登録名が「グレン」と発表 4月26日 - 真弓明信が中日4回戦(甲子園)で7回に代打で出場し23年連続一軍出場、史上3位タイ 7月13日 - 石嶺和彦が阪急時代1988年8月14日のロッテ13回戦(川崎)より続けてきた連続試合出場が広島16回戦(広島市民)で最後まで出場がなく894試合でストップ 7月20日 - 7月18日からの巨人15~17回戦(甲子園)で斎藤雅樹・河原純一・槙原寛己に1人ずつに完封負けを喫する 7月23日 - 中村勝広監督が休養、二軍監督の藤田平が代理監督に就任 8月3日 - 平尾博司がヤクルト21回戦(甲子園)で8回に石井一久から本塁打を放ち球団通算5500本塁打、史上6球団目 8月11日 - 巨人18回戦(東京ドーム)で河原純一に完封負けを喫し、同投手に3試合連続完封負けと同時に、同一カード5試合連続完封負けとなる 9月26日 - ヤクルト26回戦(甲子園)で敗戦を喫し、今シーズンのヤクルト戦20敗目。巨人戦も20敗を喫していて、複数球団相手の20敗は1970年のヤクルト以来、史上10度目 10月13日 - 広島26回戦(広島市民)で敗戦を喫し、1987年の敗戦数を超える84敗目のチームワースト記録 10月18日 - 藤田平代理監督が正式に監督に就任 11月12日 - 真弓明信が現役引退を発表 11月16日 - FA宣言をしていた仲田幸司がロッテに移籍することがロッテ球団より発表された 12月19日 - 新庄剛志が契約更改の席で現役引退を申し入れた(2日後の21日に一転、残留を表明)
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達成記録・出来事
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「1998年の阪神タイガース」の記事における「達成記録・出来事」の解説
2月9日 - 川尻哲郎がプロ野球脱税事件に関与していた件で制裁金50万円を科された 3月25日 - 新外国人選手のダレル・メイの契約の締結を発表 4月22日 - 湯舟敏郎が横浜5回戦(甲子園)で4回一死から鈴木尚典を一ゴロに打ち取り通算1000投球回、史上276人目 4月22日 - 大豊泰昭が横浜5回戦(甲子園)で先発出場し通算1000試合出場、史上342人目 5月23日 - 和田豊が横浜7回戦(甲子園)で4回にパット・マホームズから安打を放ち通算1500安打、史上74人目 5月24日 - 5月22日からの横浜6~8回戦(甲子園)で横浜に3連敗、甲子園での横浜3連戦3連敗は大洋時代の1978年の4月8日と4月9日(ダブルヘッダー)の大洋1~3回戦以来20年ぶり 5月26日 - 川尻哲郎が中日9回戦(倉敷)でノーヒットノーランを達成、史上66人目(77度目) 6月10日 - 巨人9回戦(甲子園)で敗戦を喫し甲子園10連敗、1995年7月14日のヤクルト16回戦から7月29日の横浜12回戦に記録した9連敗を超す新記録(その後、連敗を12まで伸ばす) 6月25日 - 矢野輝弘が中日10回戦(ナゴヤドーム)で7回に本塁クロスプレーのセーフのジャッジに対し森健次郎球審に暴行を働き退場処分(翌日に2試合出場停止の処分) 7月2日 - ダレル・メイが中日16回戦(甲子園)で5回に1イニング5四球のリーグタイ記録 7月4日 - 坪井智哉が広島12回戦(広島市民)1回に紀藤真琴から初回先頭打者ランニング本塁打を放つ、史上5人目 7月7日 - 矢野輝弘が横浜14回戦(大阪ドーム)で9回に佐々木主浩からサヨナラ二塁打を放ち、相手投手の佐々木主浩の連続試合無失点、連続試合セーブ、SPをそれぞれストップさせる 7月11日 - 木戸克彦バッテリーコーチが巨人13回戦(東京ドーム)で2回の本塁クロスプレーのセーフのジャッジに対し小林毅二球審に暴言を吐き退場処分 7月25日 - 新庄剛志が横浜17回戦(甲子園)で2回に野村弘樹から本塁打を放ち通算100本塁打、史上196人目 7月30日 - 7月28日からの広島14~16回戦(甲子園)で広島に3連勝、甲子園での広島3連戦3連勝は1981年の7月21日から7月23日にかけての広島14~16回戦以来17年ぶり 8月2日 - 巨人17回戦(甲子園)において、死球のぶつけ合いによる両チームのコーチの退場(阪神・大熊忠義、巨人・武上四郎)と乱闘が相次いだことからプロ野球史上初の警告試合が宣告される 8月3日 - 前日の乱闘劇に対し、巨人と連名で反省文を発表。退場となった両コーチに3試合出場停止と罰金30万円の処分 8月11日 - アロンゾ・パウエルに解雇通告を発表 8月14日 - 巨人18回戦(東京ドーム)で敗戦を喫し10連敗、二桁連敗は1991年6月1日の大洋戦(甲子園)から6月13日のヤクルト戦(神宮)にかけて10連敗を喫して以来、球団史上2度目 8月15日 - 巨人19回戦(東京ドーム)で敗戦を喫し11連敗、1991年の6月に記録した球団記録の10連敗を更新(その後、連敗を12まで伸ばす) 8月20日 - 8月18日の広島17回戦(倉敷)19日からの広島18・19回戦(広島市民)で広島に3連勝。広島戦の敵地3連戦3連勝は1982年の7月6日、7日(広島市民)7月8日(岡山)にかけての広島12~14回戦以来16年ぶり 8月22日 - 現役時代は阪神タイガースで活躍して永久欠番にもなり、選手兼任監督で1970年から3年間と専任監督で1988年から2年間監督を務めた村山実が直腸がんで死去。享年61 8月31日 - 元阪神の選手で、同球団のスカウトの渡辺省三が兵庫県神戸市中央区の路上で倒れているの死亡しているのを通行人に発見された。近くの雑居ビルから転落したものと見られる。享年65 9月10日 - ウエスタン・リーグで12年ぶり8度目の優勝を飾る 9月23日 - ハンセンがヤクルト24回戦(神宮)で1試合3失策のリーグタイ記録を作る 10月7日 - 三好一彦球団社長の退任、高田順弘球団社長の就任発表 10月12日 - 坪井智哉が全日程終了をうけ、規定打席に達した選手で併殺打0で終えた、規定打席到達者の併殺打0は1950年以降では史上9人目で新人では史上初 10月25日 - 新監督に前ヤクルト監督の野村克也が就任 11月24日 - 遠山昭治が「遠山奬志」に改名した
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達成記録・出来事
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「1999年の阪神タイガース」の記事における「達成記録・出来事」の解説
1月16日 - 新外国人選手のマイケル・ブロワーズとマーク・ジョンソンとの契約の締結を発表 4月8日 - 八木裕が広島3回戦(広島市民)で9回に代打出場し通算1000試合出場、史上348人目 4月18日 - 和田豊がヤクルト3回戦(福岡ドーム)で先発出場し通算1500試合出場、史上125人目 4月18日 - 坪井智哉がヤクルト3回戦で5得点を記録、セ・リーグのタイ記録 5月5日 - 和田豊が巨人5回戦(甲子園)で3併殺を記録、セ・リーグ史上11人目 5月14日 - 大豊泰昭が中日5回戦(甲子園)で同点の9回に代打で出場し落合英二から本塁打を放ちサヨナラ勝ち、代打サヨナラ弾は球団史上14人目 5月27日 - 対中日戦で三重殺を記録。 6月1日 - 和田豊が横浜9回戦(甲子園)で1回に犠打を決め通算200犠打、史上19人目 6月4日 - 平塚克洋と西武の杉山賢人の交換トレードの成立が両球団より発表 6月5日 - 藪恵壹がヤクルト10回戦(神宮)で4回1死からロベルト・ペタジーニから遊ゴロ併殺打に打ち取り通算1000投球回、史上278人目 6月11日 - 巨人11回戦(甲子園)で清原和博に3本塁打打たれる、1人の打者に1試合3本塁打以上打たれるのは1991年8月3日の中日19回戦(ナゴヤ)で宇野勝に打たれて以来 6月12日 - 新庄剛志が巨人12回戦(甲子園)の延長12回裏に槙原寛己の敬遠球を打ちサヨナラヒット 7月8日 - ヤクルト16回戦(甲子園)で9回裏に4点リードされていて、無死満塁から新庄剛志の2点適時打のあと、一死二、三塁からマーク・ジョンソンが高木晃次から本塁打を放ち、逆転サヨナラ勝ちで代打サヨナラ弾は球団史上15人目、9回裏4点差以上のビハインドから逆転サヨナラ勝ちは球団史上初 7月19日 - ダレル・メイが巨人18回戦(甲子園)で7回二死二塁の場面で高橋由伸を一ゴロに打ち取り自らベースカバーに行きベースを踏んだところ、「(メイが)一塁ベースを踏んでない」とジャッジセーフの判定をした杉永政信1塁塁審に暴力行為を働いたため退場処分。(後日、7月19日からから8月1日まで2週間の出場停止処分) 7月27日 - 新庄剛志がオールスター第3戦(倉敷)で3回に小宮山悟(ロッテ)からの適時打と、6回の岩本勉(日本ハム)からの本塁打で全打点を叩き出しMVPを獲得、阪神選手のMVPは1988年第2戦(ナゴヤ)の岡田彰布以来11年ぶり 8月4日 - ブロワーズに解雇通告を発表 8月7日 - 野村克也監督がヤクルト18回戦(神宮)の3回に湯舟敏郎のバントが一塁アウトとされた判定に対し小林毅二1塁塁審に暴言を吐き退場処分、37年間のプロ野球生活で初(後日、厳重警告と制裁金20万円) 8月8日 - ダレル・メイが球団社長に「(8月1日に出場停止が解けたのに)2軍にいるなら解雇してほしい」と言っていたことがと明らかに 8月9日 - ダレル・メイが球団や野村監督を批判する「告発文」を報道陣に配布した 8月12日 - 球団は監督批判をしたダレル・メイに対し今季残り試合の謹慎と1200万の罰金を科した(翌日に帰国) 8月19日 - 横浜22回戦(横浜)で敗北を喫し、中日が同日に巨人22回戦(ナゴヤドーム)で勝利したことで通算の敗北数で中日と並ぶ。並ぶのはNPB初年度の1936年7月11日にトーナメント1回戦の東京セネタース戦(甲子園)に負けて6敗で並んで以来63年ぶり(3888勝3625敗241分、中日は3843勝3625敗271分) 8月25日 - 大豊泰昭が広島21回戦(広島市民)で9回に代打で出場し小山田保裕から本塁打を放ちシーズン代打本塁打6本目、1986年の川藤幸三持つ球団最多代打シーズン本塁打記録を更新 9月22日 - 巨人26回戦(東京ドーム)で敗北を喫し、中日が同日に広島26回戦(ナゴヤドーム)で勝利したことで前日に並んでいた通算の敗北数が中日を上回る、球団史上初(3898勝3639敗241分、中日は3855勝3638敗271分) 9月25日 - 中日25回戦(ナゴヤドーム)で敗戦を喫し10連敗、二桁連敗は1998年の8月4日の横浜19回戦(横浜)から8月16日の巨人20回戦(東京ドーム)で12連敗して以来2年連続、球団史上3度目で2リーグ制以降の通算勝率が5割を切る(3168勝3169敗208分) 9月28日 - ウエスタン・リーグで広島に勝利し2年連続9度目のウエスタン制覇 9月28日 - 広島24回戦(広島市民)で敗戦を喫し12連敗、前年の8月に記録した球団記録に並ぶ(翌日の同カードでストップ) 10月1日 - 大豊泰昭が広島27回戦(広島市民)に1回に佐々岡真司から二塁打を放ち26試合連続安打、1983年のランディ・バースが持つ球団最長連続試合安打を更新 10月9日 - ファーム選手権(浦添)でイースタン覇者の日本ハムに勝利し初のファーム日本一、MVPは2本塁打の濱中治 11月28日 - オリックス・ブルーウェーブからFAの星野伸之が入団 11月29日 - カツノリをヤクルトから金銭トレードで獲得 12月9日 - 新外国人選手のトニー・タラスコと契約の締結を発表 12月10日 - 新外国人選手のグレッグ・ハンセルと契約の締結を発表 12月14日 - 新外国人選手のロベルト・ラミレズと契約の締結を発表
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達成記録・出来事
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「1986年の阪神タイガース」の記事における「達成記録・出来事」の解説
2月21日 - 現役時代は阪神でプレーし、1940年、1941年、1950年、1951年の4年は選手兼任で1952年から2年間は専任監督をした松木謙治郎が肝硬変のため死去。享年77 4月10日 - 真弓明信がヤクルト3回戦(神宮)で梶間健一から先頭打者本塁打を放ち1回表の先頭打者本塁打が通算22本目で、2日前に並ばれた福本豊(阪急)を再び離す新記録 4月18日 - リッチ・ゲイルが中日1回戦(ナゴヤ)で1試合5三振のNPBタイ記録、史上3人目 4月20日 - 掛布雅之が中日3回戦(ナゴヤ)で6回に斉藤学から死球を受け骨折、1981年の開幕戦から続けてきた連続試合出場が633でストップ 4月23日 - 山本和行が広島1回戦(広島市民)で9回から登板し通算600登板、史上26人目 6月1日 - ランディ・バースが大洋11回戦(甲子園)で第1打席と第2打席に欠端光則から本塁打を放ち、前日の大洋10回戦(甲子園)の4打席目、最終の5席目も関根浩史から本塁打を放っていることから4打席連続本塁打、4打席連続は史上10人目で球団史上初、4打数連続だと史上12度目(13人目)で球団史上3人目 6月12日 - 球団が中日12回戦(ナゴヤ)で通算6000試合目(3157勝2662敗221分)史上2球団目 6月20日 - 遠山昭治が中日13回戦(甲子園)で完封勝利を挙げる、高卒新人で球団では1967年の江夏豊が1967年5月28日大洋6回戦(川崎)で挙げるなど2完封して以来19年ぶり 6月26日 - ランディ・バースが巨人12回戦(後楽園)で8回に江川卓から本塁打を放ち王貞治(巨人監督)と並ぶ7試合連続本塁打の日本タイ記録 7月1日 - ランディ・バースが大洋12回戦(岡山)で9回に斉藤明夫から本塁打を放ち10試合連続打点のセ・リーグタイ記録 7月3日 - ランディバースが大洋14回戦(甲子園)で1回に遠藤一彦から適時打を放ち12試合連続打点のNPB新記録(その後13試合まで伸ばす) 7月6日 - 真弓明信が巨人14回戦(甲子園)で2回に水野雄仁から本塁打を放ち球団通算4500本塁打、史上3球団目 7月8日 - バースがこの日終了時点で、今シーズンの最高となる打率.407。翌試合以降5試合を25打数無安打で打率4割を切り、試合終了時点で4割を越えることはなかった 8月7日 - ヤクルト17回戦(神宮)で8回に1イニング5盗塁のセ・リーグタイ記録 8月15日 - 柏原純一が中日20回戦(ナゴヤ)、9回に代打で出場し通算1500試合、史上83人目 8月19日 - 掛布雅之が大洋19回戦(横浜)で6回に遠藤一彦から二塁打を放ち通算1500安打、史上51人目 8月19日 - ランディ・バースが大洋19回戦(横浜)で8回に遠藤一彦から本塁打を放ち通算150本塁打、史上82人目でチャーリー・マニエル(ヤクルト・近鉄)の475試合より早めの433試合での最速達成 9月8日 - ウェスタン・リーグで13年ぶりのリーグ優勝達成 9月18日 - 山本和行が広島21回戦(甲子園)で8回から登板し通算639登板、大卒では秋山登(大洋)と並ぶタイ記録 9月23日 - 真弓明信が中日26回戦(甲子園で)3回と5回に宮下昌己から、8回に鹿島忠から本塁打を放ち1試合3本塁打を記録、球団史上10人目(史上13度目) 9月27日 - 弘田澄男がヤクルト25回戦(甲子園)で8回に黒田真二から安打を放ち通算1500安打、史上52人目 9月30日 - ランディ・バースが広島22回戦(広島市民)で8回に津田恒実から本塁打を放ちシーズン46号本塁打、前年の54本と合わせて2年で100本は王貞治(巨人)の1973年51本・1974年49本の計100本に次ぐ史上2人目(その7日後、落合博満(ロッテ)も同様の記録を達成する) 10月14日 - シーズン最終戦の大洋26回戦を行い、ランディ・バースは2打数2安打で日本プロ野球新記録打率.389でシーズンを終える 10月17日 - ランディ・バースがセ・リーグの全日程が終了したことをうけ、2年連続2度目の三冠王が決まる 12月23日 - 前田耕司、吉竹春樹と、西武の田尾安志が2対1の交換トレードが成立
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達成記録・出来事
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「1976年の阪神タイガース」の記事における「達成記録・出来事」の解説
4月3日 - プロ野球開幕。阪神は前年3位であったため、本来なら当時のルールに基づき、前年最下位の読売ジャイアンツと阪神甲子園球場で開幕を迎えるのだが、甲子園球場がこの年開催の「第48回選抜高等学校野球大会」のために使えないので、4位のヤクルトスワローズと入れ替え、首位の広島東洋カープと広島市民球場で開幕を迎えた 4月20日 - 中日4回戦(甲子園)が開催予定だったが鉄道ストライキにより中止になった 5月23日 - 藤田平がヤクルト8回戦(神宮)で8回に渡辺孝博から本塁打を放ち通算150本塁打、史上42人目 5月26日 - 江本孟紀が中日7回戦(甲子園)で先発し6回2死目に通算1000投球回 8月25日 - 田淵幸一が広島15回戦(甲子園)で6回に池谷公二郎、7回に金城基泰、8回に瀬戸和則から本塁打を放つ、1試合3本塁打は球団史上10度目、3イニング連続本塁打は史上4人目で、8回の3本目の本塁打はNPB通算100本目の甲子園球場での本塁打、史上初 9月14日 - 田淵幸一が巨人9回戦(後楽園)で1回に加藤初から本塁打を放ち通算250本塁打、史上12人目での896試合での達成はNPB史上最速(当時) 9月19日 - 広島20回戦(甲子園)で、6回に永本裕章から中村勝広ー掛布雅之ーマイク・ラインバックー田淵幸一が4者連続の本塁打、4者連続以上は史上3度目(3者連続以上で球団史上4度目)で、その試合で都合9本の本塁打を記録し、1951年の松竹ロビンスの8月2日の大阪9回戦(上田市営)以来のNPBタイ記録、なお松竹ロビンスは地方球場である上田市営球場で達成したので、フランチャイズで達成したのは最多記録
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達成記録・出来事
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「1969年の阪神タイガース」の記事における「達成記録・出来事」の解説
5月26日 - 村山実が大洋7回戦(甲子園)で先発して勝利投手となり甲子園球場で通算100勝、甲子園球場100勝はNPB史上初 5月27日 - アトムズ7回戦(神宮)6回表に日本新記録(当時)となる1イニング13点を上げる。
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達成記録・出来事
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「2004年の阪神タイガース」の記事における「達成記録・出来事」の解説
1月23日 - カツノリが金銭トレードで巨人に移籍することを発表 1月31日 - 上坂太一郎が速度違反で書類されていた事が明らかになる 2月8日 - 7日から8日にかけて宿舎近くの飲食店で男性と口論となった伊良部秀輝に罰金30万円と厳重注意処分 4月2日 - マイク・キンケードが巨人1回戦(東京ドーム)で暴言を吐いたとして退場処分。開幕戦での退場は46年ぶり 4月3日 - ジョージ・アリアスが巨人2回戦(東京ドーム)で4回一死満塁で高橋尚成から本塁打を放ち、外国人選手としては史上初の4年連続満塁本塁打 4月4日 - 矢野輝弘が巨人3回戦(東京ドーム)で先発出場し通算1000試合出場、史上390人目 4月9日 - キンケードが中日1回戦(甲子園)でマーチン・バルガスから死球を受けて途中退場。バルガスは危険球退場処分。キンケードは開幕7試合で6死球 4月30日 - ヤクルト4回戦(甲子園)に勝利し、前年の5月5日のヤクルト9回戦(甲子園)から続く同一カード同一球場の連勝が10になる(その後12まで伸ばす) 5月5日 - 桧山進次郎が広島5回戦(広島市民)で8回に1イニング2三振、史上37人目 5月11日 金本知憲が巨人7回戦で(東京ドーム)で、7回にマシュー・ランデルから看板直撃の特大本塁打を放つ、史上62人目で球団史上2人目 5月11日 - マイク・キンケードが巨人7回戦(東京ドーム)で、8回に岡島秀樹から死球を受け、左第4中手骨骨折と判明。 5月12日 - 上坂太一郎が速度違反を繰り返していたとして、懲役6カ月、執行猶予2年の判決 5月18日 - ジョージ・アリアスがヤクルト7回戦(神宮)で2回に石川雅規から本塁打放ち通算150本塁打、史上135人目 5月27日 - 金本知憲が横浜8回戦(甲子園)で先発出場し通算800試合連続出場 6月2日 - ヤクルト9回戦(甲子園)で毎回安打を放ち、前日のヤクルト8回戦(甲子園)も毎回安打を記録したため、1949年8月10日太陽13回戦(高松市立中央)、8月12日太陽14回戦(松山市営)の2試合で記録して以来55年ぶりとなる2試合連続毎回安打、史上13度目 6月15日 - 平下晃司とロッテの立川隆史の交換トレードが発表 6月27日 - ロドニー・マイヤーズとの契約締結を発表 6月29日 - 金本知憲が巨人16回戦(甲子園)で先発出場し試合終了まで出続けたため679試合連続フルイニング出場、衣笠祥雄(広島)を抜いて史上2位になる 6月28日 - トレイ・ホッジスとの契約締結を発表 7月3日 - ヤクルト14回戦(札幌ドーム)で勝利し、1976年8月18日ヤクルト20回戦(札幌円山)での勝利を最後に勝てなかった札幌でのヤクルト戦の連敗を12で止めた 7月9日 - ジェフ・ウィリアムスがアテネ五輪のオーストラリア代表に選出された 7月17日 - ホッジスが中日16回戦(甲子園)で先発して初勝利、外国人選手では日本プロ野球初の兄弟による勝利投手(兄は元ヤクルトのケビン・ホッジス) 7月27日 - 中日18回戦(甲子園)で1回表の無死一、三塁で渡邉博幸の遊ゴロで6-4-3と転送し一走、打者走者をアウトにして2アウト、その後本塁に進塁しようとした三走をホームでタッチアウトにし、三重殺を完成させる 8月1日 - 金澤健人が巨人21回戦(甲子園)で2回に1イニング4奪三振を記録、史上9人目 8月1日 - 金本知憲が巨人21回戦(甲子園)で先発出場し試合終了まで出続けたため701試合連続全イニング試合出場、三宅秀史(阪神)を抜いて日本プロ野球記録 8月11日 - 藪恵壹が横浜16回戦(札幌ドーム)で5回に佐伯貴弘から三振を奪い通算1000奪三振、史上112人目 8月23日 - 桧山進次郎が横浜19回戦(大阪ドーム)で8回に秦裕二から安打を放ち通算1000安打、史上226人目 8月26日 - 藪恵壹が横浜20回戦(大阪ドーム)でセ・リーグタイ記録の1試合最多の5刺殺 9月4日 - 金本知憲が巨人25回戦(甲子園)で4回に久保裕也から三振を喫し通算1000三振、史上37人目 9月8日 - 金本知憲がヤクルト22回戦(甲子園)で先発出場し873試合連続出場、山本浩二(広島)を抜いて歴代10位に出る 9月25日 - 関本健太郎が巨人26回戦(東京ドーム)で1回に林昌範から本塁打を放ち球団通算6500号本塁打、史上8球団目 10月1日 - 赤星憲広が横浜26回戦(甲子園)で1回に加藤武治―相川亮二のバッテリーから盗塁を決め2年連続60盗塁、史上3人目 10月4日 - 井川慶が広島28回戦(広島市民)でノーヒットノーランを達成、史上82度目でこの試合の勝利で2リーグ制以降で球団通算3500勝(3500勝3522敗220分) 10月4日 - 八木裕が現役引退を表明 10月13日 - 主催試合の観客動員数が球団新記録の350万人を突破 10月22日 - 球団が明大・一場靖弘に学生野球憲章に違反する25万円の金銭授受を行っていたとして、オーナーの久万俊二郎と球団社長の野崎勝義が辞任 11月6日 - 広島の町田康嗣郎を金銭トレードで獲得、入団会見が行われ、背番号は50
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達成記録・出来事
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「1979年の阪神タイガース」の記事における「達成記録・出来事」の解説
1月31日 - 阪神と巨人は、阪神が前年のドラフトで指名した江川卓と契約を交わしたうえで巨人の小林繁とトレードすると発表。 2月8日 - プロ野球実行委員会が開かれ、江川問題に関し(1)1月31日に提示された「江川 - 小林トレード」を撤回したうえで(2)小林を阪神へ無償トレード(3)江川は阪神と契約して支配下選手とし、4月7日の開幕までトレードを認めない、と決定 4月7日 - セ・リーグ事務局にて阪神から巨人へ江川の譲渡の手続きを行い、巨人が譲渡証明書を提出し、支配下選手申請書を提出した。その後巨人は江川の入団を発表 4月21日 - 掛布雅之が大洋1回戦(甲子園)で7回に遠藤一彦から本塁打を放ち通算100本塁打、史上99人目 6月21日 - 佐野仙好が中日12回戦(ナゴヤ)で8回に藤沢公也から本塁打を放ち2リーグ制以降で球団通算3000本塁打、史上8球団目 7月3日 - 小林繁がヤクルト13回戦(甲子園)で先発し9回二死目のアウトを取り通算1000投球回 9月2日 - 竹ノ内雅史が中日22回戦(ナゴヤ)で7回に高橋三千丈から本塁打を放ち通算200本塁打、史上31人目 10月6日 - 竹之内雅史が広島24回戦(広島市民)で4回に池谷公二郎から二塁打を放ち通算1000安打、史上115人目
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達成記録・出来事
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「2008年の阪神タイガース」の記事における「達成記録・出来事」の解説
2月23日 - 入団テストを受けていたアーロム・バルディリスとアルビス・オヘイダと育成契約を結ぶ。背番号はバルディリスが121、オヘイダが122 4月12日 - 新井貴浩が横浜5回戦(横浜)で1回に寺原隼人から安打を放ち通算1000安打、史上249人目 4月12日 - 金本知憲が横浜5回戦(横浜)で7回に寺原隼人から安打を放ち通算2000安打、史上37人目 5月2日 - 育成枠で2月に入団したアーロム・バルディリスの支配下登録される、背番号は52 5月6日 - 巨人7回戦(東京ドーム)で勝利したことにより球団通算4500勝(4183敗267分)史上2球団目 5月13日 - 金本知憲が広島6回戦(富山)で9回に横山竜士から本塁打を放ち通算400本塁打、史上15人目で40歳1か月での400号達成は史上最年長 5月14日 - 新井貴浩が広島7回戦(石川)で7回に大竹寛から本塁打を放ち全球団から本塁打、史上10人目 5月23日 - 矢野輝弘がソフトバンク1回戦で(ヤフードーム)で2回に大隣憲司から三振を喫し通算1000三振、史上41人目 5月31日 - 新井貴浩が日本ハム1回戦(札幌ドーム)で7回にブライアン・スウィーニーから本塁打を放ち通算200本塁打、史上90人目 6月4日 - 楽天2回戦(Kスタ宮城)にてスタメン出場9人+途中出場した1人の計10人が三振を喫したことにより、出場選手全員三振を喫する。史上11度目(セリーグ初) 6月17日 - 関本賢太郎が楽天3回戦(甲子園)で1試合4犠打、史上8人目 7月1日 - 坂井信也が宮崎恒彰にかわり、球団のオーナーに就任 7月3日 - 7月1日からの中日9~11回戦(甲子園)で中日に3連勝。甲子園3試合での中日戦3連勝は1986年6月20日からの中日13~15回戦(甲子園)で3連勝して以来22年ぶり 7月4日 - 金本知憲が横浜9回戦(横浜)で9回にマットホワイトから二塁打を放ち通算350二塁打、史上26人目 7月6日 - 若竹竜士がウエスタンリーグの中日15回戦(甲子園)でノーヒットノーランを達成 7月17日 - ヤクルト14回戦(甲子園)で9回に1イニング6許盗塁、そのうち3つは三重盗によるもので、1イニング6許盗塁は1950年6月5日の西鉄が南海8回戦(藤井寺)の7回に記録を作られて以来、58年ぶり史上4度目で許三重盗は1990年9月11日の近鉄がオリックス23回戦(藤井寺)の7回に記録を作られて以来、18年ぶり史上30度目 7月18日 - 桧山進次郎が中日12回戦(ナゴヤドーム)で8回に川上憲伸から三振を喫し通算1000三振、史上42人目 7月18日 - 藤川球児が中日12回戦(ナゴヤドーム)でセーブを記録しシーズン30セーブ目、チーム83試合目の30セーブは1998年の佐々木主浩に並ぶスピード記録 7月21日 - 新外国人のクリス・リーソップと正式契約、背番号69 7月22日 - 巨人13回戦(甲子園)で球団通算9000試合(4535勝4203敗267分) 7月22日 - 巨人13回戦(甲子園)で勝利しマジック46が点灯する(球宴前のマジックは史上5チーム目) 7月24日 - 育成選手のアルビス・オヘイダが自由契約選手となった 8月6日 - 赤星憲広が広島13回戦(京セラドーム)で3回に安打を放ったが本塁打が出なかったことにより、和田豊(阪神)が1991年4月6日の大洋1回戦(横浜)の第1打席から1994年5月25日の巨人8回戦(甲子園)の第2打席に打つまで記録した1929打席を超える1930打席連続本塁打ゼロのセリーグ記録を更新する 8月6日 - 広島13回戦(京セラドーム)で敗戦を喫し、同日に巨人が勝ったためマジック消滅 8月13日 - 巨人16回戦(東京ドーム)で勝利しマジック36が再点灯(2度目) 8月16日 - 金本知憲が横浜15回戦(京セラドーム)で先発出場し通算2000試合出場、史上39人目 8月16日 - 横浜15回戦(京セラドーム)で敗戦を喫し、同日に巨人が勝ったためマジック消滅(2度目) 8月21日 - 金本知憲が広島17回戦(広島市民)で3回に大竹寛から本塁打を放ちシーズン20本塁打、40代のシーズン20本塁打は史上8人目 8月21日 - 下柳剛が広島17回戦(広島市民)で先発し勝ち星を挙げてシーズン10勝、40代のシーズン2桁勝利は史上7人目 8月24日 - 巨人が中日17回戦(東京ドーム)で敗戦を喫し、阪神にマジック30が再点灯(3度目) 8月26日 - 赤星憲広が中日18回戦(甲子園)で先発出場し通算1000試合出場、史上428人目 8月27日 - 中日19回戦(甲子園)で敗戦を喫し、同日巨人が勝ったためマジック消滅(3度目) 8月29日 - 巨人17回戦(甲子園)で勝利し、マジック25が再点灯(4度目) 9月5日 - 広島18回戦(広島市民)で敗戦を喫し、同日巨人が勝ったためマジック消滅(4度目で2リーグ制以降の4度のマジック消滅は初) 9月6日 - 広島18回戦(広島市民)でで勝利し、マジック22が再点灯(5度目) 9月7日 - 広島20回戦(広島市民)で敗戦を喫し、マジック消滅(5度目)し、この試合が球団として広島市民球場での最後の日本プロ野球一軍公式戦となる(通算604試合277勝297敗30分) 9月9日 - ヤクルト20回戦(甲子園)で勝利し、マジック20が再点灯(6度目) 9月10日 - 関本賢太郎がヤクルト19回戦(甲子園)で1試合3死球。1970年5月24日に竹之内雅史が阪急8回戦(北九州市営)で受けて以来史上2人目(セリーグ初) 9月11日 - 9月9日からのヤクルト3連戦(甲子園)で3試合連続サヨナラ勝ち。史上11度目(同一カード3連戦では史上3度目) 9月14日 - 広島23回戦(甲子園)で敗戦を喫し、同日に巨人が勝ったためマジック消滅(6度目) 9月22日 - 赤星憲広が横浜19回戦(甲子園)で1回に安打を放ったが本塁打が出なかったことにより、日下隆(近鉄)が1953年5月20日に西鉄12回戦(大阪)で打って引退まで打たなかった2088打席を超える2089打席連続本塁打ゼロの日本プロ野球記録を更新する(この後、翌年の引退まで本塁打が打てず2528打席まで伸ばす) 9月25日 - 藤川球児が横浜22回戦(甲子園)でセーブをあげ通算100セーブ、史上21人目 9月28日 - 巨人が中日22回戦(ナゴヤドーム)で敗戦を喫し、阪神にマジック8が再点灯(7度目) 10月3日 - ヤクルト21回戦(神宮)で敗戦を喫し、マジック消滅(7度目) 10月10日 - 横浜23回戦(横浜)で敗北を喫し、7月9日に巨人につけていた13ゲーム差をひっくり返されて優勝を逃す(セリーグでは1996年の広島の11.5ゲーム差を超える記録) 10月13日 - 赤星憲広が中日24回戦(スカイマーク)で7回に吉見一起―谷繁元信のバッテリーから二盗を記録し通算350盗塁、史上16人目 10月14日 - 岡田彰布監督の退団がきまる 10月27日 - 新監督にOBの真弓明信が就任、背番号72 12月24日 - 新外国人選手のケビン・メンチと契約の締結を発表
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達成記録・出来事
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「1981年の阪神タイガース」の記事における「達成記録・出来事」の解説
2月18日 - プロ野球黎明期から巨人・阪急などで監督を務め、1961年の途中から1968年まで監督を務め、1962年と1964年にリーグ優勝を果たした藤本定義が脳内出血のため死去、享年76 4月28日 - 小林繁が大洋3回戦(横浜)で先発し勝利したことにより通算100勝、史上79人目 5月29日 - 小林繁が大洋6回戦(横浜)、9回1死目のアウトをとり通算1500投球回、史上93人目 6月23日 - 山本和行が広島9回戦(甲子園)で4回に川口和久から満塁本塁打を放ち投手としては史上14人目(15度目)で6回に山本浩二に満塁本塁打を打たれる、同一試合で満塁本塁打の打ち合いは史上7度目 7月26日 - 掛布雅之がオ-ルスター第2戦(横浜)で9回に江夏豊(日本ハム)、延長10回に柳田豊(近鉄)からサヨナラ本塁打の2本塁打を放ちMVPに選出される。阪神選手のMVPは1980年第1戦(西宮)の岡田彰布以来2年連続 8月4日 - 小林繁が大洋16回戦(横浜)での4回に屋敷要から三振を奪い通算1000奪三振、史上62人目 8月7日 - 掛布雅之が中日17回戦(ナゴヤ)の第一打席から第三打席まで3打席連続で安打を放ち、8月5日の大洋17回戦(横浜)の第二打席から10打数連続安打のプロ野球タイ記録。第四打席でショートゴロに倒れ記録は10でストップ 8月27日 - 球団は大阪市内の球団事務所で記者会見し、江本孟紀を任意引退選手にしたと発表。さる前日のヤクルト19回戦(甲子園)に先発して降板後に報道陣に対し「ベンチがアホだから野球ができない」と首脳陣を批判するコメントを出し、27日、球団代表の岡崎義人が江本を呼びこの件について事情聴取したが、江本はこの席で退団を申し入れたのを球団に認められたため 9月9日 - 江本孟紀が午後、大阪市北区の阪神球団事務所を訪れ、任意引退の手続きを行う 10月23日 - 大阪市北区のホテル阪神にて午後2時から記者会見し、二軍監督の安藤統男の新監督就任を発表
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達成記録・出来事
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「1978年の阪神タイガース」の記事における「達成記録・出来事」の解説
4月23日 - ヤクルト4回戦(甲子園)が開催の予定だったが鉄道ストライキの為中止 4月25日 - 藤田平が広島3回戦(広島市民)で9回に江夏豊から二塁打を放ち通算1500安打、史上34人目 6月5日 - 田淵幸一がヤクルト8回戦(神宮)で5回に井原慎一朗から本塁打を放ち通算300本塁打、史上10人目 7月5日 - 藤田平が中日15回戦(甲子園)で4回に佐藤政夫から三振を喫し、4月30日の中日4回戦(甲子園)の第3打席から続いていた連続無三振打席が208でストップ 7月25日 - 掛布雅之がオ-ルスター第3戦(後楽園)で4回の第2打席に佐伯和司(日本ハム)から、5回の第3打席に佐藤義則から、8回の第4打席に山口高志(阪急)から本塁打を放ち、オールスター史上初の3打席連続本塁打でMVPに選出される。阪神選手のMVPは1972年第3戦(甲子園)の池田祥浩以来6年ぶり 8月11日 - 中日11回戦(西京極)で球団通算5000試合(2683勝2155敗162分) 8月17日 - 田淵幸一が広島22回戦(広島市民)、9回に松原明夫からヒットを放ち通算1000安打、史上112人目 8月31日 - 掛布雅之が広島25回戦(甲子園)で2回と4回に高橋里志から6回に渡辺弘基から本塁打を放ち1試合3本塁打を記録、球団史上8人目(史上11度目) 9月9日 - 藤田平がヤクルト23回戦(甲子園)で先発出場し通算1500試合出場、史上59人目 11月4日 - 前広島のヘッドコーチのドン・ブレイザーが監督に就任したと正式に発表 11月15日 - 田淵幸一に対し西武へのトレードを通告 11月22日 - ドラフト会議が開催され、前日に巨人が入団会見を行った江川卓の交渉権を4球団競合の末獲得 12月6日 - 田淵幸一、古沢憲司と西武の真弓明信、若菜嘉晴、竹之内雅史、竹田和史の2対4のトレードを発表 12月22日 - プロ野球実行委員会が開かれ、金子鋭コミッショナーは江川卓を巨人と阪神の間でキャンプインの1979年2月1日までにトレードして事態の現実的な解決を図るという要請を出す
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達成記録・出来事
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「2019年の阪神タイガース」の記事における「達成記録・出来事」の解説
1月24日 - 原口文仁が自身のツイッターの公式アカウントで大腸がんであることを公表 3月30日 - ヤクルト2回戦(京セラドーム)で球団通算10500試合目(5252勝4936敗312分) 4月5日 - ランディ・メッセンジャーが広島1回戦(マツダ)で先発登板し勝ち投手となって日米通算100勝(NPB96勝・MLB4勝) 4月6日 - 福留孝介が広島2回戦で(マツダ)で8回に中田廉から本塁打を放ち通算1000打点。史上46人目 4月9日 - 梅野隆太郎がDeNA1回戦(甲子園)でサイクル安打を達成、史上69人目(74度目) 4月28日 - 糸井嘉男が中日5回戦(ナゴヤドーム)で1回に柳裕也から二塁打を放ち通算300二塁打、史上71人目 5月5日 - 福留孝介がDeNA9回戦(甲子園)で9回に三嶋一輝から本塁打を放ちセリーグ通算5万号 6月2日 - 糸井嘉男が広島12回戦(マツダ)で1回にアドゥワ誠から死球を記録し通算100死球、史上21人目 5月29日 - 髙山俊が巨人9回戦(甲子園)での同点の12回一死満塁の場面で池田駿から本塁打を放ちサヨナラ満塁本塁打を記録、史上78人目(83度目) 6月11日 - 藤川球児がソフトバンク1回戦(ヤフオク)で通算150ホールド、史上7人目 6月16日 - 福留孝介がオリックス3回戦(京セラドーム)で9回に増井浩俊から二塁打を放ち日米通算500二塁打(NPB389本・MLB111本) 6月21日 - 西勇輝が西武1回戦(甲子園)で5回に中村剛也から三振を奪い通算1000奪三振、史上149人目 6月30日 - 中日11回戦(ナゴヤドーム)で敗戦を喫し、2リーグ制以降で球団通算4500敗、史上4球団目(4555勝4500敗283分) 7月7日 - 新外国人選手のヤンハービス・ソラーテのと契約の締結を発表 7月13日 - 近本光司がオールスター第2戦(甲子園)で1番打者として先発出場し1回に山岡泰輔(オリックス)から本塁打を放ち先頭打者本塁打を記録、オールスターの先頭打者本塁打は史上10人目(11本目)。その後、2回と6回に二塁打、4回に単打、7回に三塁打を放ちサイクル安打を達成、史上2人目、その他、1試合5安打は史上2人目、1試合12塁打は史上3人目の最多タイ記録、1試合4長打は過去9人が持っていた3長打を抜く新記録などでMVPを獲得、阪神選手のオールスターMVPは2015年第1戦(東京ドーム)の藤浪晋太郎以来4年ぶり 7月28日 - 福留孝介が巨人16回戦(東京ドーム)で2回に桜井俊貴から本塁打を放ち通算1000得点、史上42人目 7月30日 - ヤンハービス・ラーテが中日15回戦(甲子園)で5回に大野雄大から本塁打を放ち球団通算8000号、史上8球団目 8月7日 - 糸井嘉男がヤクルト16回戦(神宮)で先発出場し通算1500試合出場、史上195人目 8月31日 - 鳥谷敬が今シーズン限りの退団を表明 9月10日 - ヤクルト21回戦(甲子園)で敗戦を喫し球団通算5000敗、史上3球団目(5309勝5000敗318分) 9月13日 - ランディ・メッセンジャーの今季限りの引退を発表 9月19日 - 近本光司がヤクルト25回戦(甲子園)で1回に小川泰弘から安打を放ちシーズン154安打、1958年の長嶋茂雄(巨人)の持つセリーグ新人最多安打記録を更新(最終記録は159安打) 9月22日 - 脳腫瘍からの復帰を目指していた横田慎太郎の今季限りの引退を発表 9月24日 - 梅野隆太郎が巨人25回戦(甲子園)で9回二死から山本泰寛の振り逃げ阻止のための一塁への送球でシーズン120補殺、1954年の土井垣武(東映)の持つ捕手補殺のプロ野球記録更新(最終記録は123補殺) 12月14日 - 新外国人選手のジャスティン・ボーアと契約の締結を発表 12月15日 - 新外国人選手のジョー・ガンケルと契約の締結を発表 12月19日 - 前ソフトバンクのロベルト・スアレスと契約の締結を発表 12月20日 - 新外国人選手のジェリー・サンズと契約の締結を発表 12月21日 - 新外国人選手のジョン・エドワーズと契約の締結を発表
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達成記録・出来事
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「2018年の阪神タイガース」の記事における「達成記録・出来事」の解説
1月4日 - 現役時代は中日ドラゴンズで活躍し、2002年から2年間監督を務めた楽天の星野仙一副会長がすい臓がんで死去したことが1月6日に所属の楽天球団より発表された。享年70 3月14日 - 榎田大樹と西武の岡本洋介とのトレードが発表 4月5日 - DeNA2回戦(横浜)で勝利し、横浜スタジアムの通算成績が5割になる(221勝221敗10分) 4月13日 - 福留孝介がヤクルト1回戦(甲子園)で9回にデビッド・ブキャナンから本塁打を放ち日米通算300本塁打(NPB258本・MLB42本) 5月4日 - 鳥谷敬が中日6回戦(甲子園)で7回に代打出場し通算2000試合出場、史上51人目 5月5日 - 糸井嘉男が中日7回戦(甲子園)で6回に伊藤準規から本塁打を放ち2リーグ分立以降の球団通算7500号、史上9球団目 5月8日 - ウィリン・ロサリオが巨人7回戦で(東京ドーム)で、3回に山口俊から看板直撃の特大本塁打を放つ、史上52人目(98度目)で球団史上4人目(5度目) 5月8日 - 秋山拓巳が巨人7回戦(東京ドーム)で完封勝利で打席では4回に山口俊から本塁打を放ち、本塁打を放って完封勝利は2009年9月9日のコルビー・ルイス(広島)がヤクルト19回戦(神宮)で記録して以来9年ぶり 5月25日 - 糸井嘉男が巨人10回戦(甲子園)で5回に菅野智之から本塁打を放ち通算150本塁打、史上167人目 5月29日 - 鳥谷敬が2004年9月9日の対ヤクルト23回戦(甲子園)より続けてきた連続試合出場がソフトバンク1回戦(甲子園)で最後まで出場がなく1939試合でストップ。衣笠祥雄に次ぐ史上2位の記録 6月14日 - 福留孝介が日本ハム3回戦(札幌ドーム)で8回に公文克彦から本塁打を放ち全球団から本塁打を達成、史上33人目 6月15日 - 新外国人選手のエフレン・ナバーロのと契約の締結を発表 6月28日 - 能見篤史がDeNA10回戦(横浜)で同点の8回から1イニング0点で抑えて、その次の回にチームが勝ち越し点を入れ、そのまま逃げ切ったため勝ち星がつき通算100勝、史上135人目 7月3日 - 福留孝介が中日12回戦(甲子園)で1回に小笠原慎之介から安打を放ち通算3000塁打、史上57人目 7月8日 - 7月9日からのマツダでの広島3連戦が平成30年7月豪雨の影響のより中止を広島球団が発表 7月26日 - 松田遼馬とソフトバンクの飯田優也とのトレードが発表 8月29日 - ランディ・メッセンジャーがヤクルト18回戦(甲子園)で3回一死から西浦直亨を遊ゴロに打ち取り、NPB外国人では郭泰源に並ぶ最多8度目の規定投球回。又、6回二死から坂口智隆を二ゴロに打ち取り通算1500投球回、史上178人目 9月1日 - 藤川球児がDeNA18回戦(甲子園)で7回から登板し通算700試合登板、史上16人目 9月16日 - 大山悠輔がDeNA20回戦(横浜)で6打数6安打3本塁打で延長なしの1試合6安打以上は史上9人目(延長戦含めると史上15人目)、3回の1イニング2本塁打は史上20人目(22度目)、1イニング2本塁打含む1試合3本塁打は史上4人目、1試合3本塁打は球団では2010年6月29日の中日10回戦(甲子園)のクレイグ・ブラゼル以来8年ぶりで球団史上17人目(21度目) 9月16日 - 藤浪晋太郎がDeNA20回戦(横浜)で3回に田中健二朗から満塁本塁打を放ち投手としては史上17人目(19度目) 9月16日 - DeNA20回戦(横浜)で20点をあげ、2014年8月5日のヤクルト15回戦(神宮)で20点あげて以来の球団史上5度目の1試合20点以上 9月21日 - 糸井嘉男が広島22回戦(マツダ)で2回に野村祐輔から安打を放ち通算1500安打、史上124人目 10月4日 - 鳥谷敬がヤクルト23回戦(甲子園)で5回に星知弥から安打を放ち通算2065安打、藤田平の持つ球団最多安打記録を更新 10月11日 - 金本知憲監督の今シーズン限りの辞任を発表 10月18日 - 矢野燿大2軍監督の来シーズンからの1軍監督就任を発表 12月1日 - 藤原崇起が坂井信也にかわり、球団のオーナーに就任 12月28日 - 新外国人選手のジェフリー・マルテと契約の締結を発表、背番号は31
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達成記録・出来事
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「2016年の阪神タイガース」の記事における「達成記録・出来事」の解説
3月31日 - 髙山俊がヤクルト3回戦(神宮)で1回にカイル・デイビーズから初球先頭打者本塁打、新人の初球先頭打者本塁打は1944年7月1日に藤野義登(産業軍)が夏期・巨人1回戦(後楽園)で打って以来、史上2人目 4月27日 - 原口文仁が育成契約から支配下登録される 5月14日 - 鳥谷敬がDeNA10回戦(横浜)で9回に山﨑康晃から二塁打を放ち通算300二塁打。、史上66人目 5月29日 - ランディ・メッセンジャーが巨人6回戦(東京ドーム)で8回に亀井善行から三振を奪い通算1000奪三振、史上51人目 5月26日 - 福留孝介がヤクルト11回戦(神宮)で4回に小川泰弘から本塁打を放ち日米通算1000打点(日本805打点・メジャー195打点) 5月30日 - 現役時代に阪神タイガースで活躍し、引退後にコーチと1969年と1978年に監督を務めた後藤次男が西宮市内の病院で老衰により死去したことが6月2日に阪神球団より発表された。享年92 6月20日 - 福留孝介がオリックス3回戦(甲子園)で4回に西勇輝から安打を放ち通算1500安打、史上121人目 6月26日 - 福留孝介が広島11回戦(マツダ)で6回に岡田明丈から安打を放ち日米通算2000安打(NPB1502本・MLB498本) 7月24日 - 鳥谷敬が広島18回戦(マツダ)でスタメンを外れ、2012年の開幕戦から続けてきた連続フルイニング出場が667試合で途切れる 7月24日 - 島本浩也が広島18回戦(マツダ)で1点ビハインドの5回二死から登板、丸佳浩を1球で一ゴロに打ち取り、その次の回に味方が逆転してリードを保ったまま勝ったため、球団史上4人目の1球勝利投手 7月26日 - 藤川球児がヤクルト14回戦(甲子園)で8回に大引啓次から三振を奪い日米通算1000奪三振(NPB968奪三振・MLB32奪三振) 7月27日 - 原口文仁がヤクルト15回戦(甲子園)で4回の第2打席で3点本塁打を放ち、打者一巡でまわってきた第3打席で2点適時打を放ち1イニング5打点、金本知憲が2003年5月31日の巨人11回戦(東京ドーム)の9回に記録して以来、球団史上2人目でチームがこの回の原口文仁の2本の安打を含む10打数連続安打の球団新記録(1936年の4月30日の名古屋戦(甲子園)の1回に3四球を含んで記録しているが1972年以前の規則で四球を含むと記録が途切れるため) 7月29日 - 藤浪晋太郎が中日16回戦(甲子園)で7回に高橋周平・堂上直倫と三振を奪い松井雅人からも三振を奪ったが振り逃げで一塁に生かし次打者の大島洋平から三振を奪い1イニング4奪三振を記録 、史上19人目で他球場でDeNAの石田健大も広島15回戦(マツダ)の7回に記録しており同日2人は史上初 7月30日 - 福留孝介が中日17回戦(甲子園)でサイクルヒット達成、史上69度目で中日時代の2003年6月8日の広島14回戦(ナゴヤドーム)でも達成しており、複数回の達成は史上4人目。複数球団での達成は史上初 8月24日 - 高山俊がDeNA18回戦(横浜)で二塁打3本を放ち12度目の猛打賞、球団の新人では赤星憲広が2001年9月15日、9月16日の横浜23、24回戦(甲子園)以来の2試合連続猛打賞で、1998年の坪井智哉が持っていた猛打賞の球団新人シーズン最多記録を更新 8月28日 - 藤川球児がヤクルト22回戦(甲子園)で9回に登板し通算600登板、史上39人目 8月28日 - 8月26日からのヤクルト20~22回戦(甲子園)でヤクルトに3連敗、甲子園でのヤクルト3連戦3連敗は2004年の7月23日から7月25日にかけてのヤクルト16~18回戦以来12年ぶり 9月10日 - 福留孝介がヤクルト23回戦(神宮)で先発出場し通算1500試合出場、史上185人目 9月23日 - 福原忍が今シーズン限りの引退を表明 9月30日 - 高山俊が巨人24回戦(甲子園)で9回に澤村拓一から安打を放ちシーズン136安打目、1998年の坪井智哉が保持していた公式戦シーズン通算安打の球団新人記録を更新した 11月21日 - FA宣言をしていたオリックスの糸井嘉男の獲得を発表 12月16日 - 金田和之がFAで獲得した糸井嘉男の人的補償として移籍することをオリックス球団が発表
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達成記録・出来事
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「2017年の阪神タイガース」の記事における「達成記録・出来事」の解説
4月19日 - 鳥谷敬が中日2回戦(ナゴヤドーム)で先発出場し1767試合連続出場、金本知憲を抜いて2位に出る 5月5日 - 球団が広島7回戦(甲子園)で2リーグ制以降で通算9000試合目、史上5球団目(4397勝4325敗273分) 5月6日 - 広島8回戦(甲子園)で5回表終了時で0-9の9点ビハインドから球団史上初の大逆転勝ち。9点差以上の逆転勝利は史上9度目 5月17日 - 能見篤史が中日8回戦(甲子園)で5回無死から平田良介を左飛に打ち取り通算1500投球回、史上176人目 5月28日 - 糸井嘉男がDeNA9回戦(甲子園)で1回に今永昇太―戸柱恭孝のバッテリーから二盗を決め通算250盗塁、史上45人目 5月30日 - 藤川球児がロッテ1回戦(ZOZO)で9回に角中勝也から三振を奪い通算1000奪三振、史上146人目で野茂英雄の871回を抜き771回2/3での史上最速の1000奪三振到達 6月30日 - 青柳晃洋がヤクルト10回戦(甲子園)で5回に大引啓次、藤井亮太、上田剛史に死球を与え1イニング3与死球、史上10人目 7月1日 - ジェイソン・ロジャース の獲得を発表 8月3日 - 岩田稔が広島17回戦(マツダ)で4回無死から鈴木誠也を二ゴロに打ち取り通算1000投球回、史上348人目 8月12日 - 福留孝介がDeNA16回戦(横浜)で10回に砂田毅樹から本塁打を放ち通算250本塁打、史上61人目 8月17日 - 高橋聡文が広島20回戦(京セラドーム)で7回に登板し通算500登板、史上98人目 8月30日 - 日本ハムからウエーバー公示中のメンドーサを獲得することを申請、翌31日に日本ハム球団との間でメンドーサの保有権譲渡に関する契約が成立したことを発表した 9月3日 - 2月11日のキャンプ離脱以降、情報の無かった横田慎太郎が脳腫瘍で闘病していたことを公表 9月3日 - 福留孝介が中日23回戦(甲子園)で4回に小笠原慎之介から二塁打を放ち通算350二塁打、史上41人目 9月8日 - 鳥谷敬がDeNA18回戦(甲子園)で2回に井納翔一から二塁打を放ち通算2000安打、史上50人目 9月10日 - 掛布雅之二軍監督の今シーズン限りの退任を発表 9月14日 - 安藤優也の今シーズン限りの引退を発表 10月10日 - 新井良太の今シーズン限りに引退を発表 10月10日 - 鳥谷敬が中日25回戦(甲子園)で5回に三ツ間卓也から四球を選び通算1000四球、史上15人目 11月30日 - FA宣言をしていた大和がDeNAに移籍することがDeNA球団より発表された 12月10日 - DeNAにFA移籍した大和の人的補償で尾仲祐哉を獲得したことを発表 12月13日 - 新外国人選手のウィリン・ロサリオと契約の締結を発表
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達成記録・出来事
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「2015年の阪神タイガース」の記事における「達成記録・出来事」の解説
3月29日 - 福留孝介が中日3回戦(京セラドーム)4回に八木智哉から本塁打を放ち日米通算250号本塁打(NPB208本・MLB42本) 4月4日 - 巨人2回戦(東京ドーム)で敗戦を喫し、対巨人通算1000敗目、カード別の対戦成績で4桁の大台に乗ったのは史上初(778勝1000敗67分) 5月10日 - 5月8日からの広島5~7回戦(甲子園)で広島に3連敗、甲子園での広島3連戦3連敗は2004年の4月13日から4月15日にかけての広島1~3回戦以来11年ぶり 5月14日 - 西岡剛がヤクルト8回戦(神宮)で先発出場し通算1000試合出場。、史上469人目 5月27日 - 福留孝介が楽天2回戦(甲子園)で2回に美馬学から三振を喫し通算1000三振。史上58人目、10回には戸村健次からサヨナラ本塁打を放ち3年連続サヨナラ本塁打、史上16人目 5月28日 - 楽天3回戦(甲子園)で勝利し、球団通算5000勝、史上2球団目(5000勝4674敗301分) 6月13日 - 鳥谷敬がオリックス2回戦(京セラドーム)で3回に金子千尋から三振を喫し通算1000三振、史上59人目 7月3日 - DeNA11回戦(横浜)でNPB初の通算10000試合目(5012勝4686敗302分) 7月17日 - 藤浪晋太郎がオ-ルスター第1戦(東京ドーム)で4回から登板し3イニングを完ぺきに抑えてMVPに選出される。阪神選手のMVPは2013年第2戦(神宮)の新井貴浩以来2年ぶり 8月16日 - 福留孝介がヤクルト19回戦(神宮)で8回にオーランド・ロマンから二塁打を放ち通算300二塁打、史上63人目 8月19日 - 巨人19回戦(東京ドーム)で5回に1イニング12失点を喫する、1975年8月26日の大洋19回戦(甲子園)の3回の11失点を超える球団ワースト記録で、1イニング10被安打も1998年8月25日の横浜22回戦(甲子園)の8回に並ぶチームワーストを記録する 9月3日 - マット・マートンが広島18回戦(甲子園)で1回に福井優也から安打を放ち通算1000本安打、史上282人目 9月10日 - ランディ・メッセンジャーが巨人22回戦(甲子園)で1回1死から片岡治大を右飛に打ち取り通算1000投球回、史上342人目 9月23日 - 現役時代は阪神タイガースでプレーし、1990年から5年半監督を務めた中村勝広GMがチームの東京遠征先のホテルで亡くなっているのが発見された。享年66 9月30日 - 和田豊監督の今シーズン限りの退任を発表 9月30日 - 関本賢太郎が今シーズン限りの引退を表明 10月15日 - 投手コーチの中西清起、山口高志、打撃コーチの関川浩一、外野守備走塁コーチの山脇光治、守備走塁コーチが風岡尚幸が解任 10月17日 - 次期監督に金本知憲の就任を発表 10月17日 - 打撃コーチの高橋光信、2軍打撃チーフコーチの八木裕が解任 10月19日 - 2軍バッテリーコーチの吉田康夫が解任 11月23日 - FA宣言をしていた中日の高橋聡文の獲得を発表 12月1日 - 新外国人選手のマット・ヘイグと契約の締結を発表
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達成記録・出来事
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「2021年の阪神タイガース」の記事における「達成記録・出来事」の解説
1月6日 - 岩田稔と球団職員1名が新型コロナウイルスに感染したことが判明 4月18日 - 小野寺暖が育成契約から支配下登録される 4月18日 - ヤクルト5回戦(甲子園)で勝利し、中日が同日に広島6回戦(バンテリンドーム)で敗戦を喫し、1999年9月22日より上回って最大通算の敗戦数が59つけられた(2013年4月4日)が中日に追いつく(5394勝5061敗325分、中日は5348勝5061敗274分) 4月27日 - 中日4回戦(バンテリンドーム)で敗戦を喫し対中日通算1000敗目、カード別の対戦成績の1000敗目は巨人戦に次ぐ2球団目(952勝1000敗45分) 5月7日 - 佐藤輝明がDeNA7回戦(横浜)で4回に中川虎大から本塁打を放ち、チーム33試合目で10号本塁打を記録。史上3位タイのスピード記録で、ドラフト制度以降では2003年の村田修一(横浜)の36試合や、左打者に限ると1984年の小早川毅彦(広島)の53試合を抜き史上最速 5月11日 - 中日7回戦(甲子園)で対中日の通算2000試合目、カード別の対戦で2000試合を迎えたのは史上初(953勝1001敗46分) 5月15日 - 巨人8回戦(東京ドーム)で対巨人の通算2000試合目、カード別の対戦で2000試合を迎えたのは4日前の中日に続き2球団目(834勝1094敗71分) 5月21日 - 5月21日からの(マツダ)での広島3連戦が広島球団に新型コロナウイルスの感染者が複数出た影響により中止を広島球団が発表 5月28日 - 佐藤輝明が西武1回戦(メットライフドーム)で2回、6回と高橋光成から、9回にリード・ギャレットから本塁打を放つ、1試合3本塁打は球団では2018年9月16日のDeNA20回戦(横浜)の大山悠輔以来3年ぶりで球団史上18人目(22度目)で、新人の1試合3本塁打は長嶋茂雄が1958年6月22日の大洋10回戦(川崎)で達成して以来、史上4人目 6月16日 - 青柳晃洋と岩崎優の二名が東京五輪の野球日本代表(侍ジャパン)に選出された 6月18日 - 梅野隆太郎が日本代表(侍ジャパン)に選出された。選出されていた會澤翼(広島)が試合中の怪我で代表を辞退のため 7月2日 - 中谷将大とソフトバンクの二保旭とのトレードが発表 7月4日 - 佐藤輝明が広島10回戦(マツダ)で1試合5三振を喫する、史上19人目 7月17日 - 佐藤輝明がオールスター第2戦(楽天生命パーク)で2回に宮城大弥(オリックス)から本塁打を放つ、新人では史上5人目 7月17日 - 近本光司がオールスター第2戦(楽天生命パーク)で3回と5回に安打を放ち、2年前のオールスター第2戦(甲子園)で5打数5安打を記録したのに続いて7打席連続安打で2001年の第2、3戦でペタジーニ(ヤクルト)が持っていた6打数連続安打を抜く新記録 8月13日 - 佐藤輝明が広島11回戦(京セラドーム)で2回に大瀬良大地から三振を喫しシーズン122三振目、1999年の福留孝介(中日)が持つNPB新人三振記録を更新 8月20日 - 佐藤輝明がDeNA18回戦(東京ドーム)で9回に三嶋一輝から本塁打を放ちシーズン23本目、1969年の田淵幸一が持つ球団新人本塁打記録を更新 9月10日 - 西勇輝が広島17回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)に先発で出場し通算100勝を達成、通算100勝は史上140人目、平成生まれでは読売ジャイアンツ・菅野智之に続き2人目 9月11日 - 糸井嘉男が広島18回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)で8回にケムナ誠―會澤翼のバッテリーから二盗を記録し通算300盗塁、通算300盗塁は史上31人目、40歳1ヶ月での到達は史上最年長 9月16日 - 俊介の今季限りの引退発表 9月20日 - 桑原謙太朗の今季限りの引退を発表 9月21日 - 中野拓夢が中日18回戦(バンテリンドーム)で8回に又吉克樹から二塁打を放ち新人遊撃手として100安打を達成 9月26日 - 大山悠輔が巨人22回戦で(東京ドーム)で、3回に山口俊から看板直撃の特大本塁打を放つ、史上61人目(108度目)で球団史上5人目(6度目) 9月28日 - 中田賢一の今季限りの引退発表 9月29日 - 佐藤輝明が広島20回戦(甲子園)で5回に代打で出場し九里亜蓮に左飛に打ち取られ54打席連続ノーヒット、1993年のトーベ(オリックス)の野手の連続打席無安打記録を更新 9月30日 - 岩田稔の今季限りの引退を発表 10月12日 - 巨人23回戦(東京ドーム)で勝利し14年ぶりの巨人戦の勝ち越しを決める 10月17日 - 佐藤輝明が広島22回戦(甲子園)で9回に代打で出場し栗林良吏から三振に喫しシーズン通算167三振、2014年のマウロ・ゴメスがもっていた球団シーズン三振記録を更新 10月24日 - 佐藤輝明が広島25回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)で2回に九里亜蓮から本塁打を放ちシーズン通算100安打、中野拓夢と共に新人の100安打以上はドラフト制以降初で、NPB全体では1958年の広島の小坂佳隆と森永勝治が打って以来、球団では1948年に後藤次男と別当薫がマークして以来73年ぶり2度目 12月5日 - 新外国人選手のアーロン・ウィルカーソンと契約の締結を発表 12月18日 - 新外国人選手のカイル・ケラーと契約の締結を発表
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達成記録・出来事
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「2000年の阪神タイガース」の記事における「達成記録・出来事」の解説
1月15日 - 新外国人選手のハワード・バトルの契約の締結を発表 2月2日 - 福間納投手コーチ補佐が「納一(おさむ)」と改名 3月31日 - 開幕戦の横浜1回戦(横浜)で敗戦を喫し開幕戦10連敗、西武の1976年から1985年にかけての9連敗(1分挟む)を超える新記録 4月8日 - 大豊泰昭が広島戦(広島市民)で2回に紀藤真琴から本塁打を放ち通算250本塁打、史上39人目で4回には紀藤真琴から安打を放ち通算1000安打、史上199人目 4月9日 - ウエスタン・リーグでがリーグ新記録の開幕8連勝(最終的に1分を挟んで10試合連続勝利) 4月14日 - 中日1回戦(甲子園)に勝利し、野村克也監督が監督通算1200勝、日本プロ野球史上史上8人目 4月20日 - 4月18日からの巨人4~6回戦(東京ドーム)で巨人に3連勝。東京ドームでの巨人3連戦3連勝は1988年の5月3日から5月5日にかけての巨人3~5回戦以来12年ぶり 4月23日 - 星野伸之がヤクルト4回戦(甲子園)で1回一死から佐藤真一を中飛に打ち取り通算2500投球回、史上40人目 5月21日 - 横浜8回戦(横浜)左投の遠山奨志と右投の葛西稔で相手打者の左右に合わせ交互に2度登板。同一試合に2人が2度登板するのは阪神が1979年8月19日中日19回戦(ナゴヤ)の山本和行と池内豊以来21年ぶり 5月21日 - 横浜8回戦(横浜)で勝利し前年の8月18日の横浜21回戦(横浜)から続いていた横浜戦の連敗が14で止まる 5月24日 - 杉山賢人と近鉄の西川慎一、吉田剛の1対2の交換トレードを両球団が発表 6月1日 - 竹内昌也と日本ハムの根本隆輝の交換トレードを両球団が発表 6月26日 - ハワード・バトルの解雇通告を発表 6月27日 - 日本ハムのマイカ・フランクリンを金銭トレードで獲得したことを発表 7月20日 - 大豊泰昭が巨人19回戦(甲子園)の3回の真鍋勝己球審の判定に対し暴行を働き退場処分、翌日に7月28日から8月3日までの出場停止処分と制裁金20万円の処分が科せられた 7月20日 - 新庄剛志が巨人19回戦(甲子園)に先発出場し通算1000試合出場、史上362人目 8月3日 - 葛西稔が中日19回戦(甲子園)の同点の9回一死一、二塁から登板し、初球にレオ・ゴメスを併殺に打ち取りチェンジとなり、その裏に味方がサヨナラ勝ちしたため1球勝利投手になる、史上13人目で球団では1993年10月21日広島26回戦(甲子園)の弓長起浩以来2人目 8月10日 - 8月8日からのヤクルト14~16回戦(神宮)でヤクルトに3連勝。神宮でのヤクルト3連戦3連勝は1988年の5月24日から5月26日にかけてのヤクルト5~7回戦以来12年ぶり 8月25日 - 広島23回戦(甲子園)で勝利し、甲子園球場通算1777勝目で巨人が持っていた同一球場(後楽園球場)の通算最多勝利数を超える新記録 9月3日 - トニー・タラスコが横浜24回戦(甲子園)で1回に三浦大輔から本塁打を放ち球団通算6000本塁打、史上6球団目 9月12日 - 巨人26回戦(甲子園)が開催予定だったが前日からの東海豪雨により巨人の一部の選手・首脳陣が丸一日新幹線内に缶詰だったため、阪神球団側からの申し出により当日の試合中止が決定した 9月16日 - 吉田剛が広島26回戦(広島)で7回の守備から出場し通算1000試合出場、史上364人目 10月1日 - ヤクルト25回戦(甲子園)で敗戦を喫し3年連続最下位が決定、セリーグでは1972年から1974年にかけての広島以来、球団史上初 10月18日 - センチュリーベストナインの投手部門にOBの江夏豊(1967-1975)が選ばれる 10月20日 - 和田豊が来季打撃コーチを兼任することに 10月30日 - 湯舟敏郎、山﨑一玄、北川博敏と近鉄の酒井弘樹、面出哲志、平下晃司の3対3のトレードを両球団が発表 11月4日 - 新外国人選手のバディ・カーライルとイバン・クルーズの契約の締結を発表 11月27日 - 川尻哲郎が代理人交渉を球団に通知した 12月11日 - FA宣言をしていた新庄剛志のアメリカのニューヨーク・メッツ入りが決定 12月13日 - 新外国人選手のエドワード・ペレスの契約の締結を発表 12月14日 - 野村克也監督の背番号を「73」に、濱中治の登録名を「濱中おさむ」に変えることを発表
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達成記録・出来事
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「1971年の阪神タイガース」の記事における「達成記録・出来事」の解説
6月22日 - 藤井栄治が広島12回戦(甲子園)で8回に西川克弘から安打を放ち通算1000安打、史上78人目 7月17日 - 江夏豊がオールスターゲーム第1戦(西宮)で先発登板し9連続奪三振を達成(全セはその後継投でオールスターゲーム初のノーヒットノーランを達成)で2回には打者として米田哲也(阪急)から本塁打を放ちMVPに選出される。阪神選手のMVPは1970年第2戦(西宮)で自身が選ばれて以来2年連続 8月4日 - 合宿を出たまま失踪した高山忠克選手に対し、大浜信泉コミッショナーは「無期限失格選手」指名
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達成記録・出来事
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「1972年の阪神タイガース」の記事における「達成記録・出来事」の解説
4月12日 - 江夏豊が巨人1回戦(甲子園)で二回に堀内恒夫から三振を奪い通算1500奪三振、史上18人目 4月21日 - 村山実選手兼任監督のが指揮権をヘッドコーチの金田正泰に委譲 5月18日 - 村山実が広島7回戦(甲子園) で先発し6回3死目のアウトを取って通算3000投球回、史上13人目 6月21日 - 江夏豊が広島12回戦(甲子園)で先発登板し完投勝利をあげて通算100勝、史上58人目 6月24日 - 村山実が大洋12回戦(川崎)で先発登板し通算500試合登板、史上27人目 6月25日 - ウィリー・カークランドが大洋13回戦(川崎)で7回に平岡一郎から本塁打を放ち通算100本塁打、史上66人目で外国人選手としては7人目 9月19日 - 巨人22回戦(甲子園)の試合中の午後8時20分頃、球場に男の声で「球場に爆弾を仕掛けた。午後8時40分に爆破する」という脅迫電話がかかり、午後8時40分、球場を捜索するため試合が中断。甲子園署、兵庫県警機動隊員が爆発物を捜索するが、見つからなかったためいたずら電話と判断し、午後8時50分に試合再開 9月27日 - 遠井吾郎が中日24回戦(中日)に先発出場し通算1500試合、史上92人目 10月3日 - 藤田平が中日25回戦(甲子園)で4回に土屋紘から本塁打を打ち通算100本塁打、史上72人目 10月25日 - 村山実選手兼任監督が監督を辞任、後任には金田正泰ヘッドコーチ 11月2日 - 村山実が現役引退を発表
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達成記録・出来事
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「1988年の阪神タイガース」の記事における「達成記録・出来事」の解説
3月16日 - ランディ・バースが長男の手術のため帰国(3月24日に再来日) 3月18日 - 日本初の屋根付き球場東京ドームが日本初の屋根付き球場として開場、巨人対阪神のオープン戦が行われ、試合前には江川卓が掛布雅之を相手に引退登板を行っている 4月21日 - 伊藤文隆が中日3回戦(甲子園)で毎回の12奪三振 4月27日 - 真弓明信が大洋5回戦(甲子園)で欠端光則から安打を放ち通算1500安打、史上56人目 5月6日 - 田宮謙次郎ヘッドコーチがヤクルト3回戦(甲子園)の試合前に休養を発表 5月13日 - ランディ・バースが長男の病気療養のため帰国が決定 5月14日 - 北村照文と西武・金森永時の交換トレードが成立 5月24日 - 掛布雅之がヤクルト5回戦(神宮)で2回に梶間健一から2点適時二塁打を放ち通算1000打点、史上19人目 5月26日 - 岡田彰布がヤクルト7回戦)(神宮)で10回に伊東昭光から安打を放ち通算1000安打、史上150人目 5月30日 - 中谷忠己と近鉄・久保康生の交換トレードが成立 6月12日 - 佐野仙好が巨人9回戦(甲子園)で9回に代打出場し通算1500試合出場、史上87人目 6月18日 - 掛布雅之が大洋13回戦(甲子園)で7回に欠端光則から安打を放ち通算3000塁打、史上28人目 6月22日 - 岡田彰布がヤクルト10回戦(神宮)で先発出場し通算1000試合、史上277人目 6月28日 - ランディ・バースの解雇を発表 7月19日 - 古谷真吾球団代表が東京都内のホテルの日本庭園で出血して倒れているのをホテル関係者に発見され、駆け付けた警察により死亡が確認された、享年56 7月31日 - 真弓明信が大洋19回戦(甲子園)で先発出場し通算1500試合、史上89人目 8月5日 - 真弓明信が中日15回戦(ナゴヤ)の2回に1イニング2三振、史上14人目 9月11日 - 田尾安志が巨人24回戦(甲子園)で1点ビハインドの9回二死一、二塁で鹿取義隆から本塁打を放ちシーズン3本目のサヨナラ本塁打、史上7人目 9月14日 - 掛布雅之が現役引退発表 9月17日 - 山本和行が広島23回戦(甲子園)で先発登板し通算700試合登板、史上11人目 10月4日 - 和田豊が広島25回戦(広島市民)で日本プロ野球新記録のシーズン52犠打 10月10日 - ヤクルト26回戦(甲子園)で掛布雅之の引退試合が行われる。ダブルヘッダーの2試合目に出場、3打数0安打(四球1)に終わる
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達成記録・出来事
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「1982年の阪神タイガース」の記事における「達成記録・出来事」の解説
1月21日 - 榊原良行と日本ハムの宇田東植のトレードが成立 1月28日 - 近鉄の永尾泰憲を金銭トレードでの獲得を発表 3月22日 - 安藤統男監督がオープン戦の巨人戦(甲子園)で審判の判定に異議をとなえて抗議の間に暴力行為があったとして退場を命じられる 4月3日 - 小林繁が開幕戦の大洋1回戦(横浜)で同点の9回二死一、三塁で高木嘉一に対し敬遠実行中に暴投を犯しサヨナラ負け 5月21日 - 竹之内雅史が「ぶつかる闘志がなくなった」として、現役引退を表明 6月8日 - 藤田平がヤクルト9回戦(神宮)の3回に松岡弘から本塁打を放ち通算200本塁打、史上36人目 6月17日 - 南海の上田次朗を金銭トレードでの獲得を発表 7月1日 - 大洋12回戦(甲子園)で勝利し10連勝。二桁連勝は1976年の4月10日ヤクルト1回戦(甲子園)から4月25日の大洋5回戦(甲子園)で11連勝して以来6年ぶり球団史上9度目 7月18日 - 掛布雅之が広島15回戦(甲子園)の5回に山本和男から本塁打を放ち通算200本塁打、史上37人目 7月27日 - 掛布雅之がオ-ルスター第3戦(大阪)で3回二死二塁で山内孝徳から本塁打を放ちMVPに選出される。去年の第2戦(横浜)に続きの2年連続は史上5人目で阪神の選手のオールスターMVPは3年連続 8月24日 - 掛布雅之がヤクルト19回戦(甲子園)の7回に立野政治から本塁打を放ち通算1000安打、史上125人目で打者一巡でもう一度打席が廻り井原慎一朗から本塁打を放ち1イニング2本塁打、史上9人目 8月28日 - 藤田平が広島19回戦(甲子園)7回に小川邦和から安打を放ち通算3000塁打、史上22人目 8月31日 - 大洋21回戦(横浜)で7回に藤田平の打球をめぐり、守備走塁コーチの島野育夫とバッテリーコーチの柴田猛が主審の岡田功と塁審の鷲谷亘に暴行し退場(横浜スタジアム審判集団暴行事件)。翌日、初の無期限出場停止処分を受ける(翌年解除)。 9月7日 - 球団は先日の横浜スタジアム審判集団暴行事件の島野育夫、柴田猛両コーチに対する、①無期限出場停止、②両コーチの再登録不可という、下田武三コミッショナーと鈴木龍二セ・リーグ会長で確認した処分を受け入れると発表、また球団独自で両コーチを11月末までの謹慎処分にすることも発表した 9月29日 - 横浜スタジアム審判集団暴行事件の島野育夫、柴田猛両コーチを横浜地方検察庁は、傷害罪などで横浜簡易裁判所に略式起訴、同簡裁は両コーチに対し、罰金5万円の略式命令を出した 11月10日 - 1936年の秋季リーグから1939年まで監督をつとめ、その後、数多くの球団で監督を務めた石本秀一が死去。享年85
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達成記録・出来事
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「1992年の阪神タイガース」の記事における「達成記録・出来事」の解説
1月22日 - 野球殿堂の競技者表彰で吉田義男が殿堂入り 5月28日 - 現役時代は阪神タイガースで活躍して背番号「10」は永久欠番にもなり、選手兼任監督で1946年と1955年途中から1956年までから計2年間半と専任監督で1957年から1年間監督を務めた藤村富美男が腎不全で死去。享年75 7月11日 - 仲田幸司が中日14回戦(ナゴヤ)で7回の1死目を取り通算1000投球回、史上246人目 6月14日 - 湯舟敏郎が広島14回戦(甲子園)でノーヒットノーランを達成、史上58人目(69度目) 8月17日 - 8月15日からの中日19~21回戦(ナゴヤ)で3試合とも延長戦決着、3連戦共に延長戦に入ったのは1971年9月24日、25日、27日の中日対ヤクルト(ナゴヤ)以来史上21年ぶり 8月22日 - トーマス・オマリーが巨人22回戦(東京ドーム)で7回に桑田真澄から看板直撃の特大本塁打を放つ、史上4人目でセ・リーグでは初 8月25日 - 広島19回戦(GS神戸)で勝利し「死のロード」を1982年以来10年ぶりに勝ち越し(最終的に10勝6敗) 9月11日 - ヤクルト18回戦(甲子園)は延長15回、3対3の引き分けに終わり、試合時間は6時間26分で1990年8月4日の大洋対中日17回戦(横浜)5時間51分を超える史上最長記録 9月15日 - 広島25回戦(甲子園)で勝利し球団通算3500勝、史上3球団目 9月16日 - 新庄剛志が広島26回戦(甲子園)で9回同点の場面で大野豊から本塁打を放ち、プロ野球通算800本目のサヨナラ本塁打 9月23日 - 湯舟敏郎が巨人26回戦(東京ドーム)で7回の佐藤洋の内野安打1本だけ打たれての完投負け、1安打完投負けは史上8人目 10月16日 - 高橋慶彦の今季限りの現役引退を発表 10月24日 - 古屋英夫の今季限りの現役引退を発表 11月18日 - 新外国人選手でバルセロナ五輪の台湾の銀メダル獲得に貢献した郭李建夫と契約の締結を発表 12月5日 - 現役時代は阪神タイガースで活躍して、1960年から1961年6月までと1972年の9試合目から代理監督で1973年、1974年と監督を務めた金田正泰が心不全で死去。享年72
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達成記録・出来事
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「1990年の阪神タイガース」の記事における「達成記録・出来事」の解説
1月12日 - 前年38本塁打を放ったセシル・フィルダーの退団を発表 1月14日 - 前ヤクルトのラリー・パリッシュの獲得を発表 5月6日 - 嶋田宗彦が大洋6回戦で山崎賢一のホーム突入にセーフの判定をした大里晴信球審に抗議し退場処分 6月16日 - マット・キーオが巨人13回戦(東京ドーム)で3打数3安打の猛打賞、投手の猛打賞は球団では池田親興が1985年5月6日の中日6回戦(甲子園)で打って以来 6月30日 - ラリー・パリッシュが大洋11回戦(熊本)で5回に田辺学から本塁打を放ち球団通算5000号、史上5球団目 7月5日 - 田尾安志が巨人16回戦(甲子園)で4回に宮本和知から安打を放ち通算1500安打、史上58人目 8月2日 - 中日20回戦(甲子園)で12安打を打ち11四死球の23走者を出しながら18残塁で4得点しかできず4-5で敗戦する。18残塁は史上5度目の記録で球団史上3度目 8月25日 - 猪俣隆がヤクルト19回戦(甲子園)で2打数無安打に終わり、佐伯和司(広島)1974年から1975年に記録した71打席連続無安打に並ぶ 8月27日 - ラリー・パリッシュがヤクルト21回戦(甲子園)を最後に突然の退団 8月31日 - 猪俣隆が広島21回戦(広島市民)で4打数無安打に終わり、セ・リーグ新記録の75打席連続無安打 9月5日 - 大洋23回戦(甲子園)で6回に八木裕ー高井一ー鮎川義文と三者連続三塁打を記録、史上3度目 9月11日 - 猪俣隆がヤクルト22回戦(神宮)で2回に内藤尚行から安打を放ち、連続無安打のセ・リーグ記録の更新が79打席でストップ 9月26日 - 工藤一彦、福間納の今季限りの引退を発表 10月25日 - 新外国人選手のトーマス・オマリーと契約の締結を発表 10月29日 - 池田親興、岩切英司、渡真利克則、大野久とダイエーから藤本修二、西川佳明、吉田博之、右田雅彦、近田豊年の4対5のトレードを発表 12月6日 - 日本ハムを自由契約となった古屋英夫の獲得を発表
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