スカウトとして
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 05:46 UTC 版)
伊藤が川上監督から「自分の足を使い、自分の目に自信を持て」と授けられたスカウト心得を基に、新人選手をチェックするに当たり、最低3度は自分の目で見てプロで活躍できるという確信が持てないと獲得リストには挙げなかった。その伊藤が選手チェックの際に特に重視していたのは『体のバネ』であったという。小林を見出した時は「体が細いけれども躍動感があった。マウンドへ上がる姿がイキイキしていてそれを気に入った」と語り、西本については「彼が松山商業高等学校1年の時から注目していて、(獲得するために)甲子園の地区予選で早く負けてくれと念じていた」と語っている。 1961年、伊藤がスカウトになりたての時に関西大学を中退させて9月に獲得したのが村瀬広基で、その村瀬が1961年のシーズンの終盤に大活躍して監督就任1年目の川上に最初のセントラル・リーグ優勝の栄冠をもたらす立役者になった時は、「彼がいなかったら優勝できなかった」と川上に感謝の言葉を言わしめた。 息子の伊藤敬司もPL学園、青山学院大学、JR東海で捕手として活躍した。
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