スカウティング指導者として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/10 00:16 UTC 版)
「J・S・ウィルソン」の記事における「スカウティング指導者として」の解説
ボーイスカウトの創始者であるベーデン=パウエルが1921年にインドを訪れた際、当時大佐としてカルカッタ警察の上級副理事を務めており、余暇にはカルカッタ地区のボーイスカウトのコミッショナーをしていたウィルソンと出会い、彼を引き抜いた。 ウィルソンは1920年代初期に英国スカウト連盟のギルウェルパーク運営に携わった。 ウィルソンはボーイスカウト国際事務局の事務局長を15年にわたって務め、国境を越えて広がりつつあったスカウト運動の協働と、各国スカウトの間をとりもつ「世界スカウト地域」の設立に尽力した。事務局長の職を離れた後には、さらに4年にわたってボーイスカウト国際委員会の名誉議長を務めた。 ボーイスカウトアメリカ連盟がローバー部門導入を奨励するためにアメリカ合衆国で最初に開かれたローバー部門のウッドバッジ過程は、ウィルソンが監督した。 ウィルソンは1937年に世界のスカウト運動への功績により、世界スカウト機構の唯一の栄典であるブロンズ・ウルフ章を世界スカウト委員会から授与された。 ウィルソンは1939年に紫地にフルール・ド・リス(あるいは矢尻)をかたどった世界スカウト章を提案した。このスカウト章の着用は当初は限定的であったが、現在は国際委員、世界事務局の奉仕者が着用している。世界的なスカウトの集会(例えば世界ジャンボリー)が催される際には、このスカウト章と同じデザインを用いた旗が掲げられる。 オーストリア滞在中の1957年、オーストリアのスカウティングにおける最高の栄誉とされるジルバーネン・シュタインボック(Silbernen Steinbock )が贈られた。 ウィルソンはのべ6年に及ぶ世界のスカウト団体の視察旅行を行った。世界のスカウト運動が50周年を迎えた1957年、ウィルソンが旅行で得た調査結果はScouting Round the World.として出版された。
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