現役引退表明
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:08 UTC 版)
2019年4月の登録抹消中に、現役からの引退を球団に申し出た。この年には、球団がシーズン中に態度を保留。藤川自身も一軍への復帰後にクローザーへ返り咲いたことから、シーズン終了後(12月10日)の契約交渉で、球団側と話し合った末に翌2020年も現役生活を続けることを決めた。その際に、推定年俸2億円(前年から6000万円増)という条件で契約を更改。契約期間は1年で、更改後の記者会見でも、「来年(2020年)から2年以上現役を続ける気はもうないので、単年で契約を結んだ」と明言している。 2020年には、ドリスの退団(MLBトロント・ブルージェイズへの移籍)などを背景にクローザーの役割を担うことが想定されていたが、実際には前年に続いてオープン戦から調子が上がらなかった。レギュラーシーズンの開幕後は、2セーブを挙げた一方で救援の失敗が相次いだため、右上肢のコンディション不良を理由に2度にわたって登録を抹消。2度目の抹消中に、この年限りで現役を引退する意向を、改めて球団に申し入れた。球団は、この申し入れを受諾したうえで、8月31日に球団本部長の谷本修を通じて藤川の引退を発表。発表の際には、前年の引退の申し出から現役続行までの経緯に加えて、藤川から「右肩のコンディションが手術を要するほどにまで悪化している」との報告を受けていることが初めて明らかにされた。「(年頭からの新型コロナウイルス感染拡大に伴う影響で)球場に5,000人までしか観客を入れられない状況が続いているので、自分からもできるだけ早く発表したい」という意向に沿って、チームがシーズンを折り返した9月1日に引退記者会見を開催。27歳頃から引退を意識していたことを明かしたうえで、引退を決断した理由に「1年間にわたって身体のコンディションを整えることが難しくなったので『プロとして失格』(と悟ったこと)」を挙げた。また、通算250セーブの達成に固執しない姿勢を示しながらも、「阪神へ入団する時に『3回優勝する』と言っていた(前述)にもかかわらず、22年目のシーズンでまだ2回しか経験できていない。今年は3回目のチャンスが来ているので、もう一発頑張りたい」という表現で後半戦の一軍復帰を誓った。10月15日に一軍昇格。11月15日の巨人戦(甲子園)で引退試合が行われた。自身は4点ビバインドの9回表に登板。先頭の坂本勇人、続く中島宏之を連続で空振り三振に打ち取ると、最後は重信慎之介を二飛に打ち取って降板。全球ストレート勝負で有終の美を飾った。試合後は引退セレモニーが行われ、ファンや関係者に感謝の言葉を伝えた。
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