現役引退後・陸上指導者時代
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「山口衛里」の記事における「現役引退後・陸上指導者時代」の解説
引退後は、2005年4月に岡山県立大学短期大学部健康体育専攻に入学、2007年3月に卒業。その傍らで、天満屋女子陸上部で2年間アドバイザーを務め、2007年4月1日付で、天満屋陸上部のコーチに就任となった。 2007年1月14日の第25回全国都道府県対抗女子駅伝競走大会では、第7中継所で8区を走る岡山県チームの中学生選手をサポート。その様子がNHKのレポーターから紹介され、アナウンサーや解説の金哲彦に感嘆を交えながら語られた(中学生選手は粘りの走りで襷をつなぎ、9区浦田選手も好走し3着と同タイムながら先着し、岡山県チーム初の準優勝を成し遂げた)。また同年2月の第1回東京マラソン2007に出場し、記録は3時間台ながら完走した。 2009年からは、全国都道府県対抗女子駅伝の岡山県チームの監督(五輪代表経験者が同駅伝の都道府県チーム監督となったのは初)を務めた。監督として初出場だった同年1月11日の第27回大会は、第25回大会に続いて岡山県チームを過去最高順位タイの2位に導いたが、惜しくも優勝の京都府チームに届かなかった。翌2010年1月17日の第28回大会では、アンカーに天満屋の愛弟子・中村友梨香らを率いて、京都府チームの6連覇を阻止し、ついに岡山県チームを念願の同大会初優勝(この年から同大会で授与されることとなった皇后杯も初授与)に導いた。 2011年、岡山県在住の男性との結婚を機に、同年3月31日付で天満屋女子陸上部コーチを退任した(翌4月1日から同陸上部アドバイザーに再就任)。2012年1月29日の大阪国際女子マラソンでは、バイク後部座席に乗って中継リポーターを担当、天満屋の後輩である重友梨佐の優勝を見届けている。 2015年4月から、環太平洋大学内で新設された女子駅伝部監督・陸上部コーチを務めている。創部2年目(2016年)にして、第34回全日本大学女子駅伝大会に初出場を果たした(総合22位)。
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