現役引退~晩年とは? わかりやすく解説

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現役引退~晩年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 07:51 UTC 版)

名寄岩静男」の記事における「現役引退~晩年」の解説

回目大関陥落後様々な病気・怪我が減る気配一向に無く幕内前頭下位にまで落ちていたが、名寄岩懸命に土俵務めていた。1950年5月場所では西前14目の地位土俵上がり、9勝6敗の成績2度目敢闘賞受賞した1952年9月場所では千代の山から金星を奪うなど健在ぶりを発揮し、再び敢闘賞受賞した1954年5月場所千秋楽には、全力士の鑑として日本相撲協会から特別表彰受けた同年9月場所最後に現役引退したが、若い頃からのライバルだった羽黒山より1年遅い引退となった最後土俵となった1954年9月場所千秋楽には40歳6日で、これはちょう60年後の2014年9月場所7日目旭天鵬更新されるまで、戦後最高齢幕内出場記録だった。 現役引退後年寄春日山襲名し春日山部屋再興。旧・春日山部屋閉鎖後立浪部屋預りとなっていた前頭大昇充宏育成し直弟子からは白法山旺三十両昇進果たした協会内では長く勝負検査役務めていたが、1965年脳出血倒れ1966年参与退いたその後肝臓癌になり白法山が関取昇進決めた1971年初場所千秋楽から2日後1月26日肝臓がん死去56歳没。 名寄岩死去から10年経過した1981年故郷名寄市名寄岩銅像建てられた。また、2006年には孫(長女の子)が「片桐」の四股名松ヶ根部屋入門し祖父名寄岩)に続く関取昇進目指したが、幕下昇進間近にしながら網膜剥離ドクターストップとなり、2010年11月所を最後に現役引退している。

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現役引退~晩年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 03:07 UTC 版)

北の洋昇」の記事における「現役引退~晩年」の解説

1962年3月場所で5勝10敗と大きく負け越し来場所の十両陥落決定的になったところで現役引退し年寄武隈襲名した引退時は39歳で、両国駅での毎朝自主トレーニングが丈夫で長持ちするということ実証したとなった年寄武隈としては日本相撲協会理事監事歴任し春日野理事長体制支え重要な役割担った弟弟子である安念山治羽黒山礎丞)からも全幅の信頼をおかれ、1969年10月先代立浪(元横綱羽黒山)が亡くなると、年寄追手風襲名していた羽黒山礎丞(=安念山)が「立浪」を継承する際に「武隈親方がいれば大丈夫だと言われるほどだった。在職中には日本テレビ相撲放送解説務めていた。 1987年年末横綱双羽黒光司立浪ちゃんこ味付け巡って衝突し女将突き飛ばして部屋飛び出す騒動発生した双羽黒廃業騒動)。武隈双羽黒居場所突き止め結果としてそのまま廃業となったことで失敗終わったものの、双羽黒に対して部屋戻って謝罪するように説得に当たるなど、騒動解決奔走した1988年1月場所最後に停年退職し、娘婿の元関脇黒姫山秀男年寄武隈年寄名跡譲った自身本名の「緒方 昇」としてNHK相撲解説務めたほか、タレントとしてNHK総合テレビクイズ番組クイズ日本人の質問」に出羽錦忠雄と共に解答者大相撲チーム)として準レギュラー出演していたほか、1996年には映画スーパーの女」(伊丹十三監督)に出演したことが話題となった2000年1月場所最後に勇退した後も新聞などで相撲評論活動行っていたが、2001年春に脳梗塞で突然倒れて療養生活を送る。一時快方向かった2002年1月8日脳梗塞のため栃木県塩原町病院死去78歳没。墓所は旧・両國國技館開館するまで相撲が行われていた、両国回向院にある。

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現役引退・晩年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 05:10 UTC 版)

三遊亭圓楽 (5代目)」の記事における「現役引退・晩年」の解説

笑点降板後に出演した『徹子の部屋』テレビ朝日2006年6月5日放送)では落語家として引退はせず、後輩指導にあたると発言した。また同年7月20日放送の『クイズ$ミリオネア』(フジテレビ)では、初代 林家木久蔵(現:林家木久扇)の応援としてVTR出演している。 2007年2月25日落語会国立名人会」で高座復帰することとなり、自分進退をかけ本番半年前から稽古をして臨んだ。しかし、その出来納得がいかずに引退決意口演後の記者会見現役引退表明した弟弟子6代目三遊亭圓窓が「まだやれるじゃないの。高座上がらない圓楽兄さんなんて考えられない」などと説得したもの決意は固かった。引退記念高座予定されていなかったことから、この日演じた芝浜』が最後の高座となった。 また同年4月1日放送いつみても波瀾万丈』(日本テレビ)の出演をもってテレビ出演引退表明した2008年3月9日放送笑点』には弟子真打昇進披露口上のため出演した)。なお、1967年昭和42年)から担当していた日本香堂CM2009年まで出演継続していた。生前圓楽の言によればギャラもらってるからね」という理由CMのみの出演続けていたとのことであるが、実際日本香堂会長私的に交流のあったためであり、また引退後自分健在アピールできる唯一のであったためと圓楽没後前述会長テレビで語っている。 同年11月胃がんの手術を受け、翌2008年3月には肺がんの手術を受けた2008年8月愛弟子楽太郎に自らの名跡である圓楽6代目として襲名させることが明らかとなった林家木久扇による、子息2代目木久蔵襲名以来となる生前贈与となる予定であった)。このことは弟子好楽後任司会者歌丸により『笑点』でもネタにされている。圓楽は「私はもう落語家引退した身ですから」として楽太郎6代目圓楽襲名後は落語界から完全に引退し隠居することを表明していた。名前については、木久扇師匠である林家彦六8代目林家正蔵彦六三遊亭圓楽3代目として名乗っていたこともあった)のように隠居名を名乗らず本名の「吉河寛海」に戻すことを明らかにしたが、「師匠落語家なくなってしまうのは嫌だ」という楽太郎反対により「5代目圓楽」「6代目圓楽」とを並立させる(楽太郎は〈圓〉ではなく〈円〉を通すと表明予定であった2009年5月肺がん再発同時期に脳梗塞再発し半身不随となった9月慶應義塾大学病院入院し本人意向により10月23日退院自宅(および近所に住む長男宅での)療養入った10月29日午前8時15分、転移性肺がんのため、長男宅で76歳(享年77歳)で死去訃報翌日10月30日公表された。圓楽死去を受け、愛弟子楽太郎始め桂歌丸立川談志林家こん平8代目橘家圓蔵鈴々舎馬風など多く落語家哀悼コメント発表したまた、かつては笑点の裏番組(『ヤングおー!おー!』)の司会長年担当し東西噺家タレントとしてライバルであり戦友でもあった桂三枝(現:6代桂文枝)が自らのブログ圓楽向けた哀悼メッセージ綴った圓楽2010年2月行われることになっていた楽太郎6代目圓楽襲名楽しみにしており、襲名際し2代圓楽揃い踏みが行われるはずであったが、目前にして叶わぬとなってしまった。 死去一報受けた日本香堂自社ホームページ哀悼の意表したその後日本香堂毎日香CFナレーションは、2010年2月28日より、同日の『笑点をもって名跡襲名した直弟子6代目圓楽継承している。また、死去翌日の『NNN Newsリアルタイム』(日本テレビ)ではその死がトップニュース報じられた。 戒名は、「光岳院情誉圓楽寛海居士」(こうがくいんじょうえんらくかんかいこじ)。遺影圓楽生前選んでおり、国立演芸場での高座で『芝浜』を演じている際の写真使われた。死去直後の週の11月1日笑点歌丸喪服追悼する特番大喜利前に組まれ生前若いころ落語演芸コーナー放送し死去前に収録した大喜利放送された。死の翌週2009年11月8日の『笑点』では追悼特別企画として生前振り返り後半では「ありがと円楽さん、追悼大喜利」を放送し5代目偲んだ副音声での解説放送休止された。 一門親族による、通夜密葬2009年11月4日5日両日代々幡斎場で非公表執り行われ同年11月21日一門主催による「お別れの会」が東京會舘行われた。この「お別れの会」の席の中で、これまでの圓楽一門会」をそのまま五代目円楽一門会」(会長三遊亭鳳楽)へ改称改組する方向であることが明らかになった。

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