現役引退〜晩年とは? わかりやすく解説

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現役引退〜晩年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/10 02:32 UTC 版)

清水川元吉」の記事における「現役引退〜晩年」の解説

大関昇進後は、1932年10月場所に9勝2敗の好成績2度目幕内最高優勝遂げたこの頃清水川は、後に横綱昇進する玉錦三右エ門とほぼ互角に渡り合っており、この場所の優勝玉錦競り勝ってのものだった1934年5月場所3度目幕内最高優勝11全勝飾り清水川横綱昇進間近大い期待されたが、同年9月島根での巡業中に右の大腿骨脱臼する重傷負った本人復帰絶望見て現役引退考えたものの、人気の高さから相撲協会懇願されて翻意した。ただ、脱臼影響上手投げが満足に打てなくなるなど以前のような取り口とは程遠く寄り身覚えて衰え補おうとする試み裏目に出て1936年1月場所では4勝7敗と皆勤負け越し記録したことすらあった。結局1937年5月場所最後に現役引退したが、前場所を10勝3敗と大きく勝ち越していたため、引退表明後に協会から「もう一場勤務して欲しい」と再度慰留されて今度固辞した横綱昇進果たせなかったものの、人気実力兼ね備えて相撲協会多大な貢献をした清水川名大関と称えられた。 現役引退後年寄追手風襲名する同時に二十山部屋から分家独立して追手風部屋創立し清水川明於などを育成した1964年11月場所最後に部屋閉鎖して立浪部屋(元横綱羽黒山政司)に合流し1965年1月12日持って日本相撲協会停年退職した。1967年7月5日死去67歳没。

※この「現役引退〜晩年」の解説は、「清水川元吉」の解説の一部です。
「現役引退〜晩年」を含む「清水川元吉」の記事については、「清水川元吉」の概要を参照ください。

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