現役引退から復帰
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「イベンダー・ホリフィールド」の記事における「現役引退から復帰」の解説
心臓病と診断され引退を発表する。このときネバダ州アスレチック委員会の医学委員長はホリフィールドの心臓病は禁止薬物のhGH使用による副作用の可能性があると公表した。 牧師ベニー・ヒンのテレビ宣教活動を見て感化されたホリフィールドは、ヒンと友人関係を築き、ヒンの行う”癒しの集会”で心臓病の治癒の祈りを受けた。また、その集会のために、ヒンへ26万5000ドルの寄付を献金した。 ヒンから医者に診てもらうよう言われたので、再びアスレチック委員会の診断を受けると心臓病が完治していたことで引退を撤回して復帰。 1995年5月20日、復帰戦でレイ・マーサーと対戦し10回判定勝利。 1995年11月4日、リディック・ボウとノンタイトル戦で対戦し、8ラウンドTKO負け。ホリフィールドにとって初めてのKO負けとなった。 1996年11月9日、マイク・タイソンに11ラウンドTKO勝ちし、WBA世界ヘビー級王座を獲得(3度目の返り咲き)。 1997年6月28日、マイク・タイソンとダイレクトリマッチで再戦。タイソンに耳を噛み切られ、3ラウンド反則勝ち。WBA王座を防衛。 1997年11月8日、マイケル・モーラーに9ラウンドTKO勝ちし、IBF世界ヘビー級王座を獲得。WBA王座との王座統一に成功した。 1999年3月13日、WBC王者レノックス・ルイスとの3団体統一戦に臨むが、1-1の引き分けとなった。しかしルイスが勝っていたとする見方が大多数であったため物議を醸し、判定が発表されると観衆から大ブーイングが飛び交い、テレビ実況を務めていたスティーブ・ファルフードは「20年間ボクシングを報じてきたが、これまで見てきた最悪の判定の中でトップ5に入る」と述べ、解説のジョージ・フォアマンも「恥で悲劇」とこの判定を非難した。 1999年11月13日、レノックス・ルイスとのダイレクトリマッチでの再戦で判定負けし、WBA・IBF王座から陥落した。 2000年8月12日、空位のWBA世界ヘビー級王座をジョン・ルイスと争い、判定勝ちで獲得。ボクシング史上4度ヘビー級王者に返り咲いた初めての選手になった。しかしルイスが勝っていたとする見方が大勢を占め物議を醸す判定となったためWBAより即時の再戦が命じられた。 2001年3月3日、ジョン・ルイスとのダイレクトリマッチで判定負けし、WBA王座から陥落した。 2001年12月15日、ジョン・ルイスと3戦連続の対戦。ルイスの持つWBA世界ヘビー級王座に挑戦するが、引き分けとなり王座獲得ならず。 2002年12月14日、クリス・バードと空位のIBF世界ヘビー級王座を争うが、判定負けで王座獲得に失敗。 2003年10月3日、ジェームズ・トニーとノンタイトル12回戦で対戦するも、TKO負け。 2004年11月13日、ラリー・ドナルドとNABCヘビー級王座をかけて対戦するも判定負け。3連敗となった。 2005年8月、ニューヨーク州アスレチックコミッションがスキルの低下を理由としてホリフィールドがニューヨーク州でボクシングを行うことを禁止にした。 2006年8月18日、再起戦を行い、2ラウンドTKO勝ち。 2006年11月10日、フェリス・オケンドと対戦し、1ラウンドにダウンを奪うなどして12ラウンド判定勝ち。空位のUSBAヘビー級王座を獲得。 2007年10月13日、モスクワでスルタン・イブラギモフの持つWBO世界ヘビー級王座へ挑戦するが、0-3の判定負け。この試合は、イブラギモフと対戦予定だったWBA世界ヘビー級王者、ルスラン・チャガエフの体調不良による出場辞退のためにホリフィールドにチャンスが回ってきたものだったが、44歳での世界王座復帰は成らなかった。 2008年5月ニューヨーク州のアスレチック・コミッションから衰えを理由に引退勧告を受けた。 2008年12月20日、スイスのチューリッヒで行われたWBA世界ヘビー級タイトルマッチで、王者のニコライ・ワルーエフに挑戦するも、0-2の判定負け。両者の体重差が45kg近くもあった上に、46歳での世界王座挑戦は「無謀な挑戦」とも囁かれたが、予想に反しての大善戦でホリフィールドが勝っていたとする声が多くの専門家から挙がった。ホリフィールドのファイトマネーは60万ドルでこれまで経験した世界戦で最も安いファイトマネーだった。 2010年4月10日、WBF世界ヘビー級タイトルマッチでフランソワ"ザ・ホワイト・バッファロー"ボタと対戦し、8回TKO勝ちを収め王座を獲得した。 2011年5月7日、デンマークでブライアン・ニールセンに10回TKO勝ち。 2012年10月、公式に引退声明は出さなかったが、ビタリ、ウラジミールのクリチコ兄弟との対戦が不可能になったことと年齢上の問題を理由に引退をほのめかす発言を行った。
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