横綱昇進
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 16:28 UTC 版)
「双葉山に勝った自分がみっともない相撲は取れない」と稽古に励み、1940年1月場所で関脇に昇進。同年5月場所、14勝1敗で初優勝した(優勝はこの1回だけ)。場所後、同部屋の五ツ嶋奈良男と同時に大関に昇進した。 1942年5月場所後、番付編成会は全会一致をもって照國萬藏と同時に横綱に推薦。同年6月8日に横綱仮免許授与式、新横綱として初の土俵入りが行われた。昇進直後「横綱になれたのは、あの一番があったからです」と述懐した一方で、何とかもう一度と挑んだ双葉山には、その後9連敗と二度と勝てなかった。現役を通して唯一の金星は双葉山を倒した一番だった。また横綱時代には一度も優勝できておらず、実質の最終場所になった1945年11月場所には鳳、宮城山、男女ノ川に続いて史上4人目となる横綱としての皆勤負け越しという不名誉な記録を残すなど、横綱としては大成しなかったが、幕内在位18場所で皆勤して負け越したのはこの1945年11月場所と双葉山を倒した1939年1月場所だけだった。次の1946年11月場所は全休し、この場所限りで現役を引退した。
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