横綱昇進までとは? わかりやすく解説

横綱昇進まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 03:24 UTC 版)

栃錦清隆」の記事における「横綱昇進まで」の解説

初土俵踏んだ1939年1月場所4日目双葉山定次安藝ノ海節男敗れて連勝69止まった世紀の一番」を、結びの一番を取る兄弟子鹿嶌洋起市世話のために花道の奥で目撃した。「あの相撲をこの目で見られたことは、土俵人生通じて財産だった」と後年まで語った新弟子時代相模川佶延贔屓にしていた尾上菊五郎気に入られていた。後に五郎は「春日野部屋にいた『マムシ』はどうしてる?」と聞き幕内にいる錦がそうだと教えられ驚いたという。 兄弟子付き人付いていた時、年端もいかないうちからこき使われるのを見かねた春日野が、錦を自分付きにした。その食事世話しながら様々な訓話聞かされた。錦の十両昇進決まった時に春日野指示靴磨きをしていたが、関取にしか着用許されないドテラ着ていることに気がついた春日野から一度叱責されたものの、直後に「おお、すまん。お前(錦)はもう関取だったな」と言われたことがあった。 同門自分より若い千代の山雅信出世追い越され一時期千代の山との稽古嫌っていた。しかし春日野から「そういう力士稽古しないでどうやって追い越すんだ?」と言われてからは、千代の山との猛稽古展開した。後に千代の山息子歯科医になった時には千代の山自慢突っ張りを何発も顔に当てた影響早く歯を失ったため、「ワシは昔、千代の山との稽古で歯をやられたから、ワシだけは安く診てもらわないとな」と笑っていた。千代の山引退して九重襲名後、一門から九重破門されても決し険悪にならず、錦が理事長として役員待遇新設した際には九重指名した同郷で仲が良かった大江戸勇二江戸時代大関両國梶之助描いた映画を見に行ったとき、映画の中のセリフ真似て「俺は天下第一力士になる」と言うと、「大塚さん(錦)が天下第一力士になった東京中を逆立ちして歩いてやる」と笑われた錦が大関昇進した時、大江戸に「おい、何か忘れてないか?」と聞くと、大江戸頭を抱えて降参降参!勘弁して下さい」と苦笑したという。 「自分にとって栃木山双葉山神様です」と語っていた。幕下時代双葉山春日野部屋幕下力士全員呼んで稽古をつけた時、錦はちゃんこ番だったにも関わらず志願して参加した。しかし、直前までちゃんこ入れ調理してから手も洗わずに参加したため、双葉山組んだ瞬間に「お前、魚臭いな」と冗談交じり言われ放り投げられた。また、春日野用事料亭にいる双葉山訪ねた時、その場にいた芸妓美しさと、美女をはべらせて悠然としている双葉山の姿に胸を打たれ強くならなくては誓った逸話を、後に明かしている。 兵役にとられた時すでに十両だったが、最初力士とは思ってもらえなかった。上官との草相撲手心を加えることなく連戦連勝し、それでようやく本職だと知ってもらえたが、やはり軽量のため「三段目くらいか?」「幕下か?」と言われ、なかなか関取だとは思ってもらえなかった。 蔵前仮設国技館での最初の場所となった1950年1月場所新小結土俵から四本柱取り除かれ1952年9月場所初優勝して大関昇進国技館正式に落成した1954年9月場所横綱昇進と、当人も「相撲場で何か変化のあった場所はゲン良いと言っていた。

※この「横綱昇進まで」の解説は、「栃錦清隆」の解説の一部です。
「横綱昇進まで」を含む「栃錦清隆」の記事については、「栃錦清隆」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「横綱昇進まで」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「横綱昇進まで」の関連用語

横綱昇進までのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



横綱昇進までのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの栃錦清隆 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS