横綱昇進~現役引退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/02 12:16 UTC 版)
「西ノ海嘉治郎 (2代)」の記事における「横綱昇進~現役引退」の解説
1908年11月に師匠の7代井筒が死去したことに伴い、関脇だった1909年6月場所より四股名を西ノ海灘右エ門へ改名し、同時期に二枚鑑札で8代井筒を襲名した。1910年1月場所で大関へ昇進した。1912年1月場所8日目、当時43連勝中だった太刀山峯右エ門を叩き込みで破った。太刀山峯右エ門はこの後56連勝を記録したため、この敗戦が無ければ100連勝が達成されていたかもしれないと言われている。この敗戦には太刀山は晩年までかなり拘りを見せていたようで、廃業後はこの一番について八百長を仄めかす発言をしている。ただし、この連勝中には休場も含まれている。大関在位中の1914年1月場所より(2代)西ノ海嘉治郎を襲名した。1916年1月場所は8勝1分1休の土つかずで史上最高齢での初優勝を果たし、翌月になって吉田司家から横綱免許を授与された。 しかし、この時ですでに晩年期に当たっており、在位5場所で皆勤は新横綱だった1916年5月場所のみに終わっている。全盛期には鳳谷五郎と熱戦を繰り広げていたが、1918年5月場所限りで現役引退。
※この「横綱昇進~現役引退」の解説は、「西ノ海嘉治郎 (2代)」の解説の一部です。
「横綱昇進~現役引退」を含む「西ノ海嘉治郎 (2代)」の記事については、「西ノ海嘉治郎 (2代)」の概要を参照ください。
- 横綱昇進~現役引退のページへのリンク