春日野部屋の継承
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 10:08 UTC 版)
現役引退後、大鵬や柏戸らかつてのライバルが揃って部屋持ち親方となる中で、栃ノ海は年寄・中立として春日野部屋の部屋付き親方となり、春日野を支えた。協会の職務としては主に審判部と巡業部を担当し、自身が幕内時代に1日50番の申し合いをこなしていたこともあって、日頃から「稽古しない力士には勝ってほしくない」と発言するなど、稽古態度によって力士の好き嫌いがはっきりと分かれる性分だった。春日野が停年退職後は部屋を継承することも内定していたが、春日野が停年目前に急逝した1990年(平成2年)1月に春日野部屋を継承した。この時、栃錦の直弟子の筆頭弟子である玉ノ井との間に確執が生じたとも言われる。1998年には自身の還暦を無事迎えたが、現役時代の負傷による後遺症によって還暦土俵入りは行わず、作成された赤い綱を受け取るだけだった。横綱昇進後に発生した傷病に苦しみ不成績場所が多かったことで評価を落としたが、相撲の技能に関しては栃錦以上、と再評価を望む声は現在も多く、引退後の審判委員としての説明も明快であった。解説者としても解説が一級品で、受け答えを一度も外す事がなかった。
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