春日野大栄高校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 16:39 UTC 版)
野球名門校。聖母学苑の偵察部隊には「抜きん出た選手はいなくとも、攻走守どれを取ってもソツがなく、レギュラーからベンチ入りの控えまで全員90点クラスの選手を揃えている」と評されている。日高が中学時代に声をかけられた高校でもある。かつて鳩ヶ谷が彩学野球部キャプテンだった時代、審判・鶴ヶ島の押し出しの判定で彩学を準々決勝で破った因縁の高校(その年の甲子園出場校でもある)。 熊谷 勝英(くまがや かつひで) 元大栄野球部監督。同校の出身で、30年に渡って指揮をとり続けた名将。 関係者には『熊谷=鉄拳制裁』でも知られる厳しい指導法を用い、幾度となく甲子園の土を踏んだ。しかし、時代の流れから、権限の縮小・父母会の苦情で退任させられる。現在は半ば引きこもり状態の中華料理屋のオヤジ(奥さんの実家)。それでも、戦略眼や勝負勘は錆び付いていない。 県大会で彩学に敗れた後に総監督としてチームに復帰。以前と変わらぬ鬼監督ぶりを発揮している。 花園(はなぞの) 熊谷に変わって監督となった元コーチ。 28歳の若い監督。熊谷の封建的指導を改め、選手の自主性に任せた指導法に切り替えたが、チームの雰囲気ばかりを気に掛け相手の裏をかく、弱点をつくなどといった勝負の常道について一切頭にないなど、戦略・戦術の考え方が欠落している。頼りない面もあるが、前監督が手綱を引き締めるタイプであったことから選手からはある程度、慕われている模様。緒戦、二回戦こそ突破したものの、彩学戦では後手に回り続けて敗北する。 九藤(くどう) 投手。3年。 左のNo.1投手と目される県大会予選屈指の好投手。曲がりの大きいカーブにキレのあるスライダー、140km/hを超すストレートを投げる。過去に日高と同時期に大栄のセレクションを受けて合格した。この際のセクションで日高は不合格とされたが、当時の監督である熊谷の意思ではなかった模様。彩学戦では、九番の打順で出場。 丈島(じょうじま) 捕手。 彩学戦では、六番で出場。 松中(まつなか) 一塁手。 彩学戦では、五番で出場。 濱名(はまな) 二塁手。 彩学戦では、八番で出場。 小窪(こくぼ) 三塁手。 彩学戦では、四番で出場。 猪口(いぐち) 遊撃手。 彩学戦では、三番で出場。 芝原(しばはら) 左翼手。 彩学戦では、二番で出場。 明山(あきやま) 中堅手。 彩学戦では、一番で出場。イケイケの性格。 大路(おおみち) 右翼手。 彩学戦では、七番で出場。
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