大関陥落後とは? わかりやすく解説

大関陥落後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 17:28 UTC 版)

照ノ富士春雄」の記事における「大関陥落後」の解説

照ノ富士来場2017年11月場所に出場する場合大関特例復帰10勝以上を目指すことになり、八角理事長は「きっちり治せば2勝つ力はある。とにかく膝を治すこと。四股踏んで鍛えることだ」と奮起促した2017年10月19日照ノ富士秋巡業合流大関から陥落したことに「落ちたことはあんまり気にしていない自信持っていく」「休んでいても治らない付き合ってやるしかない。やり続けた自信にもなる。大丈夫やろ!」と話していた。27日松江場所では朝乃山三番稽古行った途中巡業部長貴乃花からアドバイス受けてありがたいです」と感謝したが、稽古では3勝4敗。最後の一番では左膝を気にし、貴乃花の「無理するな」との声掛けもあって稽古終えた2017年11月場所は初日いきなり黒星勝利した北勝富士に「当たってなかったですからね。相当膝が悪いんじゃ…。相手の心配してどうすんだって感じですけど」と心配されてしまっていた。そのまま連敗伸び4連敗5日目から日本相撲協会に「左膝外側半月損傷全治4週間」との診断書提出し休場した照ノ富士休場は3場所連続通算4度目二桁あげれば特例大関復帰だったがこの場所での大関復帰はならなかった。師匠伊勢ケ浜親方は「膝にたまっているし、しっかり治さないといけない。ああいう相撲で出ては駄目。本人自覚している」と言っていた。5日目対戦相手御嶽海不戦勝となった結局千秋楽まで出場せず負け越しとなり、平幕落ち確定した東前10目まで番付落とした2018年1月場所でも身体の状態は悪く初日2日目幕内下位力士相手良いところなく敗れた1月16日に「2型糖尿病、約1週間程度療養要す」との診断休場届を協会提出し3日目大翔丸戦は不戦敗照ノ富士休場は4場所連続となる。4場所連続途中休場幕内では史上初。今回休場理由は、膝の怪我ではなく体調不良よるものであり、再出場の可能性もある。病状2型糖尿病であり、18日にはインフルエンザにまでかかってしまったという。伊勢ケ濱親方は「血糖値下がっている。血糖値安定していれば、出られる可能性がある」とも話していた。11日目より再出場したが、12日目に大奄美敗れた段階で、大受雅山把瑠都続いて史上4人目となる元大関十両陥落確定的となってしまった。さらに13日目も敗北し前年9月場所から続く連敗自己ワースト14連敗になってしまった。結局は千秋楽まで白星挙げられず、8敗7休で終わった大関陥落からわずか2場所での十両転落直近4場所でわずか2勝と苦し照ノ富士AbemaTV解説務めていた元旭天鵬友綱親方は、「言葉かけづらい各部屋で千秋楽パーティがあるけれど、声をかける人もなんと言っていいか考えるのでは」と心配していた。

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大関陥落後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 02:29 UTC 版)

琴奨菊和弘」の記事における「大関陥落後」の解説

師匠佐渡ケ嶽親方一緒に食事をして琴奨菊現役続行意志確認したことを明かし10勝すれば大関戻れる。全勝稀勢の里に勝つ(1月場所9日目)力もある」と復活期待込め3月場所10勝以上をあげて、5月場所での大関特例復帰目指すまた、八角理事長も「堂々と戦い堂々と負けた来場所は堂々と上がればいい。何も恥じることはない」と再起期待した2月16日朝稽古では土俵上がらず若い衆相手左四つ動き確認するなどの軽め調整を行うにとどまったが「大丈夫。(上がらなかったのは)今日はたまたま」と、軽症アピール初優勝後有頂天になっていたことや体幹トレーニング傾倒して土俵での稽古疎かになっていた琴奨菊反省し、すもうの基本四股テッポウすり足入念に行い出稽古ひんぱんに行った夫人から「35歳まで頑張って」と激励され、すっかりその気になり、以前から「子どもが物心つくまでは現役で」と漏らしていただけに、まるで別人のような変身ぶりであった。 3関脇場所の東関脇2として迎えた3月場所初日休場明け横綱日馬富士押し出し4日目には初日から3連勝である横綱鶴竜をのすくい投げ転がし土を付ける。11日目から平幕の勢と宝富士連続して敗れ5敗となり後がなくなる。その後なんとか勝ち越す14日目の大関照ノ富士に、立ち合い変化からのはたき込み受けてしまい6敗。特例での大関復帰阻止され来場所の大関復帰条件10勝以上)を満たすことができなかった。正面解説立田川親方(元小結豊真将)はこの事を受け、「今回大関復帰が叶わなかったのは残念だが、まだまだ力はあるのだしこれで現役を退くようなことだけは考えないでほしい。また大関狙って頑張ってほしい」と語っている。琴奨菊は「自分と戦いだ思っていた」変化については「仕方がない」と発言していた。千秋楽勝利しこの場所9勝6敗で場所を終えた5月場所からは通常と同じ条件による大関復帰目指すことになった4月7日第一子となる長男誕生長男自分下の名前から「弘」の字を取って「弘人(ひろと)」と命名琴奨菊菊次家では祖父の代から名前に「一」の文字入れてきたが「自分からリニューアルです。健康でいてほしいこと。とにかく遊ばせたい男の子元気に育ったらいい」と目を細めた5月場所関脇として場所に挑むが、初日から3連敗するなど負け先行関脇玉鷲4日目にようやく勝利したその後再び4連敗し横綱白鵬敗れた段階で7敗としたあと、踏みとどまって横綱稀勢の里勝利するなど3連勝していたが、12日目に小結御嶽海負けて8敗目を記録し負け越し関脇からの陥落と3関脇終了決定した結局、この場所7勝8敗で場所を終えた7月場所西小結の地位与えられた。2010年5月場所以来7年ぶりの小結戦後、大関陥落後に3場所連続三役維持したのは史上5人目。その7月場所初日から連敗5日目に1勝3敗だった大関照ノ富士にようやく勝利し連敗止める(この取組照ノ富士は膝を痛めて休場)。その後稀勢の里休場不戦勝し、大関豪栄道にも勝利する11日目貴景勝敗れて7敗となり、あとが無くなる。14日目に栃ノ心敗れ来場所の平幕への陥落決定した千秋楽勝利し、この場所も7勝8敗で終える。8月6日夏巡業長岡場所では初め長男抱いて土俵入り行った9月場所西前筆頭地位与えられた。初日から豪栄道照ノ富士大関二人連勝3日目にも横綱日馬富士そのまま倒し結局待った成立せず自身初の金星獲得となった初土俵から94場所目での初金星昭和以降新入幕果たした力士の中では4番目に遅い記録となり、元大関金星獲得2008年秋場所の雅山以来史上15例目。新入幕から76場所目での初金星貴ノ浪67所を抜いて1位のスロー記録。なお大関陥落者で金星を手にしているのは彼以前には貴ノ浪出島雅山三人かいない。この取り組みでは待った認めるべきだという内容抗議電話協会にも数多く寄せられ黒姫山も「立合い不成立行司審判長止めるべきだ」と批判している。その後4連勝まで伸びる5日目から4連敗し9日目にようやく止め12日目に勝ち越し決めた。この場所は14日目に豪栄道11勝目挙げるまで優勝争い加わっており、最終的にこの場所は久しぶり二桁となる10勝をあげた。三賞候補挙がったが「元大関三賞は失礼」という意見があり、結局受賞はならなかった。黒姫山11月場所前の自身コラムで「三賞選考は元大関だろうと排除せず議論してほしい」「対象から外すことが失礼になるのではないだろうか」と考え示している。 ご当地場所となる11月場所は東小結として迎えた初日からの上位戦は4日目照ノ富士破った以外は敗れ10日目負け越しとなったが、11日目にはここまで3敗の貴景勝千秋楽でもここまで4敗の逸ノ城を破るなど終盤存在感見せ、6勝9敗の成績だった。

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