大関陥落後復帰・大関角番を経験している横綱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 08:23 UTC 版)
「横綱」の記事における「大関陥落後復帰・大関角番を経験している横綱」の解説
大関陥落を経験している横綱は、「2場所連続負け越しで大関陥落、翌場所関脇で10勝以上挙げれば大関特例復帰」の現行制度(昭和44年(1969年)7月場所から)の整った昭和以降、三重ノ海剛司、照ノ富士春雄の2人である。特例復帰によらずに大関復帰を果たして横綱になった力士は照ノ富士が該当する。 「2場所連続負越で大関陥落」になった現行制度以降、大関角番を最も多く経験した横綱は照ノ富士で、5回角番を経験している。次いで、琴櫻、三重ノ海、3代若乃花の3人が、それぞれ3回経験している。照ノ富士は上述の通り一度実際に大関を陥落しており、大関での負け越し自体は6回で、この記録は昭和以降に昇進した横綱の中では最多である。なお3代若乃花には他に大関として公傷休場2場所がある。 他にも、曙、貴乃花、白鵬、日馬富士、稀勢の里がそれぞれ1回ずつ経験している。また、現行制度以前(昭和33年(1958年)1月場所から昭和44年5月場所まで)の「3場所連続負け越しで大関陥落」だった時代、北の富士が「大関で2場所連続負け越し」での角番を1度経験しているほか、3代朝潮、佐田の山、玉乃島(のち玉の海)らも大関での負け越しがある。 江戸時代には谷風梶之助は横綱免許前に興行上の理由から看板大関に上位を譲って関脇への降格を経験している。
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