大関陥落〜現役引退
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2014年1月7日に日本国籍を取得して、欧州出身力士としては初となる日本への帰化を果たした。 2014年1月場所前の2013年冬巡業では取組を行わず、土俵入りだけの参加としながら土俵外で四股を踏んで調整する様子が報じられた。その1月場所では10勝以上を挙げれば、1場所で大関特例復帰となっていた。序盤戦では4勝1敗と好調だったが中盤戦で黒星が増え、終盤戦に入った11日目の白鵬戦で5敗目となり絶体絶命に。そして13日目の遠藤戦でついに6敗目を喫してしまい、大関再昇進はならなかった。14日目の玉鷲戦に勝って勝ち越しを決めたが、千秋楽の豪栄道戦は敗れて8勝7敗に終わった。 2014年3月場所では初日こそ白星をあげたが、翌日から10日目の白鵬戦まで9連敗を喫した。1勝9敗で迎えた11日目、左肩鎖関節脱臼のため休場。心身の限界を感じて、翌日3月20日に引退を表明した。元琴錦の中村は「体だけで上がってきて、この試練を乗り越えなければ何も残らず、後進に教える事はない。」と現役続投を薦めた が、結局それは叶わなかった。引退会見では涙を見せて胸の内を語り、思い出の一番として前相撲での取組を挙げ、「稽古して強くなって、早く次の場所で試したいと思って」と述懐していた。尚、この時点で琴欧洲は年寄名跡を所有していなかったが、『大関経験力士が3年の期限付きで日本相撲協会に残留出来る』という規定を行使し、琴欧洲親方として佐渡ヶ嶽部屋付き親方となり後進の指導に当たることとした。会見ではまた、指導者としての出発を迎えるにあたり「厳しく教えるだけでなく、競技の面白さや楽しさを教えなくては駄目。個人ごとの体格や体型によって教えることも変わってくる。その人にあった教え方をしないと」と力説していた。 引退相撲・断髪式は2014年10月4日に両国国技館で行われた。断髪式では白鵬、井岡一翔、父ステファンら約350人がはさみを入れ、師匠の佐渡ケ嶽が大銀杏を切り落とした。「12年間皆さんの力を借りて相撲を取ることができました。満員御礼で胸が詰まって言葉が出ません」と涙を流した。 今後については「できるかできないか話は別だが、部屋を持ちたい」と将来的な独立への意欲を見せた。
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