力士として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/20 06:47 UTC 版)
豊田市立逢妻中学校卒業後の1992年3月場所で初土俵を踏んだ。2000年11月場所に新十両。1場所で幕下に落ちたが、2001年1月場所西幕下筆頭で全勝優勝を飾り十両に復帰した。そこから約3年十両で足踏みしたが2004年3月場所待望の入幕を果たした。 しかし幕内に定着できず3場所で陥落、2005年1月場所に3場所ぶりに幕内復帰を果たすが、西前頭15枚目で膝の怪我のため全休となり、番付を十両下位まで大きく落とした。以後幕内には返り咲けず、2005年9月場所から2006年3月場所まで4場所連続負け越し、5月場所の番付は西十両14枚目に番付を落とした。その場所は8勝7敗と勝ち越したが、翌7月場所は東十両13枚目の地位で5勝10敗と負け越し、9月場所には東幕下4枚目まで陥落した。幕下でも膝の古傷が影響し、本来の相撲が取れず5敗目を喫した取組を最後に休場。翌11月場所も初日から休場していたが、7日目に体力の限界を理由に引退を表明。準年寄として後進の指導に当たる。2007年1月29日に両国国技館で断髪式を行った。女性も参加できるようにという配慮から本土俵脇の向正面側に壇を設置して、100人を超える女性がはさみを入れた。最後は土俵の上に移動して大銀杏を切り落とした。
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