力士としての特徴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/26 09:52 UTC 版)
身長159cm(ただしこれは公称で、実際には154cm程度だったのではないかと言われている)、体重は重い時で90kgと現在では到底力士になどなれない小兵だが、周囲から「おまえと稽古すると気分悪くなる。そんなに無理すると死んじまうぞ」と言われる程の稽古熱心だった。平蜘蛛と呼ばれる低い姿勢の仕切りから潜り込み、懐に食いつき左を差して頭をつける取り口で、そのしぶとさからついたあだ名がダニ。当時は今と違い仕切り線がなく、両者が頭を付け合う姿勢で仕切っていたので潜るのは今よりかなり難しかった。得意技は左差し、食い下がり、頭捻り、足癖。 当時の横綱だった常陸山は、「関取は今までに誰が一番強いと思いましたか?」という質問に対して玉椿と答えている。対戦成績自体は5敗3分と玉椿は1度も勝てなかったが、しぶとい相撲でたびたび苦しめており、特に1907年(明治40年)5月場所での一番は、当時歴史に残る名勝負と称された。ちなみに玉椿は、この勝負があまりに熱闘だったためか友情のようなものが芽生えてしまい、以降常陸山との勝負は共に全力が出せず3連続で分けとなった、と後年になって語っている。 優勝掲額第1号の巨漢力士、高見山酉之助は玉椿を大の苦手とし、玉椿と対戦という触れが出ると慌てて部屋に帰り、布団を被って震えていたという。また2代西ノ海には強かったが、大型で懐の深さを活かし荒技を振るう駒ヶ嶽には分が悪かった。 通算成績は、26場所で80勝79敗33分16預52休、勝率.503。
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