力士として・取り口など
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/10 22:37 UTC 版)
兄の貴ノ富士が左四つを得意としていたのに対して、貴源治は突き押し相撲を得意とした。 元々は右でも左でも取れる四つ力士であったが、2015年に三段目と幕下を行ったり来たりしたことから、予てより勧められていた突き押しに転向。以降、成績が伸び、関取昇進に至った。そこに至るまでについて後に貴源治は「稽古場で言われたことが素直に出来なかった。突けと言われても自分で廻しを引いて負けた。自分の情けなさ、ふがいなさ、やりきれない気持ちでいっぱいだった。苦しかった」と振り返っている。 貴源治の突き押しは長身とリーチの長さを活かした突っ張りが中心であり、突き切れない時は頭から当たって崩す。幕下に上がったばかりの頃は白鵬の真似をして前褌を狙う立合いを導入していたが、最初の師匠であった貴乃花から突き押しに徹するように言われてこれは次第に行わなくなった。一方で突き押しを行っている際に腰高になりがちであり、もろ差しのうまい力士には差されてそのまま負けることもあった。 稽古熱心な力士として知られており、2016年10月の秋巡業徳島場所ではぶつかり稽古の最中に右ひざを脱臼したものの、しばらくして脱臼した膝の関節を入れ直してぶつかり稽古をやり遂げたことなどはその好例である。 14代二子山は2017年7月場所前のコラムで「次代を担う期待感があるのが貴源治ぐらいですよね」と期待を寄せており、同年11月場所前には「突っ張ることを忘れて差しに行っている」と指摘している。 2019年5月場所のNHK大相撲中継では解説の21代音羽山が「幕内で取ってもおかしくない体」と稽古で鍛えた体について評した。 自身の張り手により対戦相手が脳震盪を起こしたことが数回あり、2021年1月場所13日目に対戦した美ノ海は翌日から休場、同年7月場所5日目の炎鵬戦は物言いの結果同体取り直しになったが、炎鵬が脳震盪を起こして相撲を取れないとして勝負審判が炎鵬の不戦敗とする対応を取った。 一部報道は、兄の貴ノ富士が角界を去ってから投げやりになり、全体的に相撲が雑になり押されると簡単に土俵を割るようになっていたと伝えている。
※この「力士として・取り口など」の解説は、「貴賢神」の解説の一部です。
「力士として・取り口など」を含む「貴賢神」の記事については、「貴賢神」の概要を参照ください。
力士として・取り口など
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/03 04:26 UTC 版)
「稀勢の里寛」の記事における「力士として・取り口など」の解説
基本的にはおっつけを武器とした押し相撲と左四つに組む四つ相撲を中心とした取り口である。 前相撲の時点ですでに左おっつけ、右のど輪で白星を収めていた。 元々は突き押しを武器に出世し、特に左からのおっつけは幕内でも1、2を争うほど強烈で立合いを制した時はそのおっつけだけで相手を浮き上がらせ、そのまま一気に土俵の外に持っていくこともある。 また番付を上げていくのと同時に左四つの型を身につけ、大関昇進以後は左四つ右上手が絶対の型と言われるほどになった。大関昇進から半年が過ぎたころ、北の湖からは「まわしをつかんだまま手首をひねればいいんだぞ。そうすれば相手の上体が傾いて右上手が近くなる」と左下手の使い方を教わった。 下半身の粘り、腰の重さが身上で腰高や脇の甘さゆえに相手に二本差されたり、上手を取られ頭をつけられたりする絶好の体勢を許して土俵際まで追い込まれても負けることが少ない。逆に攻める方の頭が上がり、形勢を逆転されるケースが多い。白鵬は土俵際での逆転の投げ、突き落としでしばしば稀勢の里相手に星を落としている。また、片足一本で残すことも多く、横綱になってからも棒立ちで右足一本を残して勝ったことがある(2017年5月場所3日目の千代の国戦など)。右脇が甘い傾向にありそこから崩されると両脇が甘くなるが、右だけを差しに行く力士相手だと左脇はかなり硬いため右四つになられることはほとんどなかった。そのため、朝青龍を除くモンゴルの三横綱や大関豪栄道はほとんど右四つになれずに苦しめられた。引退後に右差しに拘る傾向がある朝乃山を稽古場で圧倒していた。また、土俵際に追い詰められたときの左からの突き落としも強烈であるが、これが出るときは得てして立合いに失敗して中に入られたときであり、相撲内容としては決していいとは言えない。 弱点としては脇の甘さと腰高、そして「豆腐」と揶揄されるほどの致命的なメンタル面の弱さが挙げられる。メンタル面については多くの相撲界OBや好角家から指摘されており、特に優勝のための大事な一番などになると極端に動きが悪くなることで知られる。逆に周囲の期待感がないときは存分に力を発揮する傾向があると13代鳴戸がインタビューにて答えている。一方、本人は引退後に「ぶつかり稽古では、先代(13代鳴戸親方)への恐怖心、見てくれているという意識から限界を超えて押すことができた」と、稽古場ではむしろ精神力で限界を突破していたと話している。 器用な力士とは言いがたく、喧嘩四つの相手には差し手争いで手こずり自分の型になるまで時間がかかることが多い。また絶対の型である左四つ右上手の型になってからの攻め手が基本的に寄りしかなく、先述のように腰高でもあるため、なかなか寄り切れずに勝負をつけるのに時間がかかることも少なくない(それでもこの型になればほぼ負けることはないため、絶対の型であることに変わりはない)。左四つになっても相手に上手を取られると朝青龍や把瑠都といった相四つの力士に右四つの白鵬や琴欧洲などの相手にすら勝てなかった。琴奨菊相手にはがぶられるとこの体勢になっても残せなかったり、白鵬や照ノ富士には十分な左四つの方を作りながら体制を作りながらも下手一本ひっくり返されることもあった。 碧山のような強烈な突き押しを持つ力士に対しては、時折まともに受けてしまい、土俵を割ってしまうこともある。いいときは横綱相手にも互角以上にわたり合えるが、悪いときは平幕相手にも呆気なく取りこぼす。このようなメンタル面の弱さと力士としての不器用さが、実力がありながら初優勝までに89場所、優勝次点12回を要した要因であると言える。 立合いは合わせづらい傾向にあり、例として2014年3月場所12日目の白鵬戦では3度の「待った」が記録され、取組後に伊勢ヶ浜審判部長から厳重注意を受けた。 けがの少ない力士であり、初土俵から横綱に昇進した翌場所の2017年3月場所まで休場は一度しかなかった(その一度は千秋楽での不戦敗なので、星取表に休場を表す「や」と記載されたことは一度もなかった)。稀勢の里がけがに苦しまず相撲を取れているのは、関取になるまで廻しを一切取らなかったこと、入門後も13代鳴戸から既製の食品をほとんど与えられなかったことによる。たとえけがをしてもよほどのことがない限りそのまま出場する力士でもあり、これは13代鳴戸の教えにもよるが、2014年1月場所千秋楽の休場を心底後悔していることも大きい。また、外国人力士に対抗するには精神面しかない、つまり絶対に休まないという考えにもよる。しかし前述にもある通り、2017年3月場所の負傷以降は、負傷箇所や負傷箇所をかばったことによる別箇所の負傷とけが続きで、これに伴う体重増加、成績不振も加わり、2017年5月場所から2018年7月場所まで8場所連続の休場(うち4場所全休)となり、2017年5月場所の休場以降、皆勤したのは2018年9月場所のみとなっている。 土俵下での様子の変遷については作家の乃南アサが雑誌で話しており、稀勢の里が同世代の力士である朝青龍に出世において水を開けられたころに関しては「そのころ、キセノンは土俵下で取組を待っている間に、目をぱちぱちさせて、まばたきの回数が増えていき、顔面も紅潮してきて」と語っていたが、その後大関時代後半に至った稀勢の里については「ところが、そのまばたきが、だんだん減ってきたんです。紅潮もしなくなった。近頃は例のアルカイックスマイル」と話している。 2017年3月場所を見た元黒姫山の論評では、研究してくる相手には相手の立合いをフェイントでかわすこと、出足鋭くぶちかましてくる相手には張り差しで機先を削ぐことなどを助言している。 「体重を増やしすぎではないか?」と言われることもあるが、調子のいい場所ではその体で低く構えて取り、土俵際でかわされることがなくなるなど、体の大きさに動きがついてくる。2017年5月場所3日目、白鵬は取組後に稀勢の里について「ちょっと太り過ぎという印象だね。重い感じあるね。だから(土俵際)残せているんだろうけど」と指摘していた。 制限時間がいっぱいになると、顔面を2回たたいてから塩を取って仕切っていた。 左腕の腕力がとくに優れており、白鵬相手でも立ち合いを制すと、おっつけで一気に土俵の外に持っていくことも可能だった。
※この「力士として・取り口など」の解説は、「稀勢の里寛」の解説の一部です。
「力士として・取り口など」を含む「稀勢の里寛」の記事については、「稀勢の里寛」の概要を参照ください。
- 力士として・取り口などのページへのリンク