大関陥落決定・引退
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しかし2020年1月場所では、初日から3連敗するなど大きく黒星先行。7日目には全勝の正代を送り倒しで撃破し大関の意地を見せ、復調の気配を見せたが、白星を伸ばすことが出来ずに12日目に朝乃山に右四つ、左上手を取る絶好の体制を築くも、朝乃山に左上手を許すと攻め手がなくなり、最後は引き付けて出られて土俵を割って土俵下で審判長を勤めた師匠の境川親方の前で負け越しが決まり、大関陥落が決定した。 一番を土俵下で見届けた師匠の境川は、現役続行か問われて「当然、当然。まして来場所はご当所」と明言しつつ、「本人も今は放心状態だろうけど、戦う力はまだあるから」と力を込めつつ「このまま終わっていいのかは、本人が受け止めることだ」と、本人の意向を尊重する構えも見せた。この場所は5勝10敗で終えた。負け越しが決まった後も出場し続けたことについて「辞める気持ちだったら土俵に上げるわけにはいかなかった」と境川は説明している。 しかし1月27日に現役引退の意向を固め、この日までに師匠の境川親方が日本相撲協会に「豪栄道の引退意向」を伝えた。1月28日に日本相撲協会へ引退届を提出し、年寄「武隈」を襲名することが臨時理事会で承認された。なお、豪栄道の大関在位33場所は、元横綱の稀勢の里(大関在位31場所)や、琴奨菊(大関在位32場所)を超えて歴代10位の長命であった。通算成績は696勝493敗66休。 記者会見では「自分勝手なわがままで、引退させてもらった」と、周囲の説得を押し切っての引退であったことを明かし、ご当地の大阪場所であった3月場所を待たずしての引退については「気力のない相撲を皆さんの前で取るわけにはいかないと思った」と語った。また、部屋で学んだこと、怪我との戦いを振り返り、師匠に対しては「境川部屋に入っていなかったら、もっとうぬぼれた人間になっていたと思う。自分を正してくれて本当に感謝です」と感謝を述べた。思い出の取組として幕内最高優勝を果たした一番である2016年9月場所14日目の玉鷲戦を挙げた。高校の10学年後輩であり同じく大関まで昇進した貴景勝は引退に際して「10個下の自分が軽はずみなことは言えないけど、本当に埼玉栄のみんなが憧れていた。みんなが豪栄道関みたいになりたいと目指していた」と、高校時代を回顧した。 2月28日、史上初となる寝屋川市民栄誉賞受賞が決定し、寝屋川市内で授賞式が行われた。武隈は「僕なんかでいいのかなとも思うが、素直にうれしい」と笑みをこぼした。 同年9月場所の2日目、NHKの大相撲中継で解説を務めた。その冒頭で「(断髪式は)世の中の情勢を踏まえまして、再来年の初場所後にやることになりました」と自ら発表した。 12月9日、同年5月24日に東京都出身の年下の女性と結婚し、11月1日に長男が誕生していたことを相撲協会が発表。 引退相撲は2022年1月29日に予定され、12月4日からチケット発売を開始することとなった。引退時点より体重は10㎏ほど減ったが、2021年11月場所時点でも稽古場ではまわしを締めて後進の指導にあたっているという。「断髪式があるので」と、体形維持にも努めている。 2022年1月27日の日本相撲協会定例理事会において、同年2月1日付で力士3人を連れて独立し、武隈部屋を創設することが承認された。 29日、両国国技館で引退相撲が行われ、断髪式には、恩師の山田道紀、親交のある内山高志、4代桂春団治、松田丈志ら約400人の関係者が出席。出羽海一門の親方衆、21代間垣、横綱照ノ富士、大関貴景勝、大関御嶽海も鋏を入れ、止め鋏は師匠の境川親方が入れた。オールバックに整髪した姿で最後に、ファンの前に現れると「優勝した時の皆さんの喜んだ顔は一生、忘れません。武隈部屋として私の果たせなかった横綱を育てたいと考えています」と決意表明のあいさつで締めくくった。
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