現役からの引退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/12/21 07:49 UTC 版)
「ソッピース トライプレーン」の記事における「現役からの引退」の解説
さまざまな事情により、トライプレーンの戦歴は比較的短いものとなった。運用において、トライプレーンの修理は難しいことが明らかになった。燃料とオイルのタンクには、翼と胴体の相当な部分を分解しなければ手を届かせることができなかった。比較的小規模な修理であっても後方の修理拠点に持ち込む必要があった。加えて1917年夏には予備部品の入手が困難であり、そのため海軍第1飛行隊の定数は18機から15機まで減らされることとなった。 トライプレーンはまた、急降下の際に翼が破損することがたびたびあり、構造的に弱いという評判が立った。しかしこの欠陥は、下請けのクレイトン&シャトルワース社が製作した46機について、張線に細いワイヤーを使用したことが原因だった。海軍第10飛行隊のパイロットの幾人かは、自分たちの飛行機を強化するためにケーブルまたは追加のワイヤーを使用した。1918年に、イギリス空軍はトライプレーンの寿命を延ばすために、胴体内の両側の支持構造の間に、幅いっぱいの対圧縮支柱を追加することを求める技術命令を発令した。シリアルN5912の1機は、練習機として使用された期間中、上翼の支柱間に張線を追加していた。 トライプレーンのもう一つの弱点は武装の貧弱さであった。同時期のドイツのアルバトロス戦闘機が2挺の機関銃を装備していたのに対し、トライプレーンのほとんどの武装は1挺のヴィッカース同調機関銃だった。トライプレーンに連装機銃を装備する試みはいくつか行われた。クレイトン&シャトルワース社は、連装機銃を備えた6機のトライプレーンを試作し、そのいくつかは1917年7月に第1および第10の海軍飛行隊に所属して実戦に参加したが、結果として性能の悪化を招いたため、標準武装は機関銃1挺のままとされた。オークレーによって製作されたトライプレーンは連装機銃装備をその特徴としていたが、その生産は技術的な変更を原因として著しく遅延することとなった。 1917年6月に海軍第4飛行隊は最初のソッピース キャメルを受領した。より頑丈でより重武装のこの戦闘機の優位が明らかになるのに時間はかからなかった。第8および第9海軍飛行隊はそれぞれ1917年の7月初めと8月初めにキャメルに機種変更した。海軍第10飛行隊が機種変更したのは8月下旬のことだった。余ったトライプレーンは海軍第1飛行隊に引き渡され、第1飛行隊は12月までトライプレーンを使用したが、その結果大きな犠牲を出すこととなった。1917年の終わりには、残ったトライプレーンは海軍第12飛行隊で高等練習機として使用された。
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