現役としての晩年
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2008年11月4日付東京スポーツに2008年10月より岩手県八幡平市にある石澤常光(ケンドー・カシン)の実兄が経営する養鶏・養豚場で働いていると掲載されたが、2010年7月27日発売の週刊アサヒ芸能おいて、2010年7月をもって解雇となったことが報じられた。また、同記事では自身が力士時代の大相撲の賭博に関しても暴露した。 その後同年9月には嵐の自主興行に参戦し約1年ぶりにプロレスに復帰したものの、10月には東京スポーツで2011年初めに自身の引退興行を行うと発表した。 2011年2月4日、有志による引退興行実行委員会の助力で安田忠夫引退記念興行「日本とプロレスにおさらばします。」を後楽園ホールで開催。オープニングマッチで曙と、第4試合でのタッグマッチで大谷晋二郎とタッグを組んで高山善廣・鈴木みのる組と、メインイベントでは天龍源一郎と3試合を戦った。試合終了後には引退式が行なわれ、娘・AYAMIが手紙を読み上げ、10カウントゴングが鳴らされた。 引退後はブラジルに渡り、農場で働きつつ、相撲を教えると待遇の職務を斡旋されていたが、引退興行実行委員会との金銭トラブルを理由に、渡航予定日に空港に姿を現すことはなかった。 その後、カンボジアの国際的カジノ企業「ゴールデン・パームグループ」に就職が決まったと報じられたが、10月末には同社を辞職し帰国していたことが発覚した。 2012年3月25日放送の『クイズ☆タレント名鑑』の企画「USC 〜史上最大ガチ相撲トーナメント 2012 春〜」に出場、決勝で元若麒麟の鈴川真一に敗れ準優勝となった。 2017年末、芸能事務所「アフロディーテ プロモーション」に所属しタレント業を開始。ツイッターも開設(2021年現在は閉鎖)。また2018年5月よりYouTubeチャンネル「安田忠夫の人生劇場」を開設したが、こちらも2021年9月に閉鎖した。 2022年3月現在、列車見張員の仕事をしているという。
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