ファイテン〜現役引退とは? わかりやすく解説

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ファイテン(チームQ)〜現役引退

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 02:56 UTC 版)

高橋尚子」の記事における「ファイテンチームQ)〜現役引退」の解説

2005年6月ファイテン2009年5月までの4年間の所属契約結んだ。なお同社陸上部とは別にチームQ」として活動2005年11月20日東京国際女子マラソン出場。アメリカ・ボルダーから帰国後、ポイント練習右足痛みがはしり一時全く走れない状態になったため、順天堂大学診断した結果、軽い肉離れが3か所あることが判明し全治1か月診断下された医師チームメンバー欠場検討したが、高橋何が何でも出場する主張し医師チームメンバー痛み悪化したらすぐ棄権するのを条件出場決断した当日テーピングをしての出走となり、終盤35km過ぎまでは様子みながら自重していたが、35.7km過ぎにスパート2年まさかの失速優勝さらわれたエルフェネッシュ・アレムなどを置き去りにして独走となり2時間2439秒でゴール2年ぶりのマラソン復帰レース優勝飾った2006年11月19日2年連続東京国際女子マラソン出場。31km付近優勝した土佐礼子から遅れ、39km地点では尾崎朱美にもかわされ3位でのゴールとなり、翌2007年8月開催世界陸上大阪大会女子マラソン日本代表選出絶望的に2008年3月9日名古屋国際女子マラソンへ、2008年北京オリンピック女子マラソン代表選出目指し出場。しかしレース序盤の9Km手前で、早々スローペース先頭集団から脱落してしまい結局27位、ゴールタイムも2時間44分台の自己ワースト記録となり、北京五輪代表の座を逃した。尚、名古屋ゴール後記会見では「やっちゃいました。でもこれが私の実力です」と苦笑しながらも、前2007年8月1日アメリカボルダーで、右膝関節半月板半分切除する内視鏡手術受けた事を明かしていた。 2008年3月24日東京大阪名古屋国内3大国女子マラソン連続出場する意向表明して同年5月にアメリカ・ボルダーに合宿のため渡米小さな大会ながらも優勝かさねていて合宿は順調との報道もされていた。しかし、練習積み重ねていく中で、それまで違い大きな大会で優勝を狙う練習メニューがこなせなくなりプロ高橋走りができなくなったことなどを大きな理由として、2008年10月28日夕方記者会見現役からの引退表明。各テレビ局引退会見生放送伝えた1時間近くにわたる引退会見での高橋終始笑顔見せていたが、会見終了直後報道陣から大きな拍手送られると、目に涙を浮かべていた。 2009年3月8日名古屋国際女子マラソンに、これまで応援してくれたファン関係者感謝する意味を込めてありがとラン」として一般参加出場沿道観客笑顔浮かべ手を振りながら走り続け、2時間5223秒のタイム完走したゴール後、かつてのライバルだったリディア・シモンが近づいてきて抱擁しあい、日本現役選手からは花束贈られ長年功績へのねぎらい受けた。また大会組織委員会からは特別功労者表彰され感謝状贈られた。

※この「ファイテン(チームQ)〜現役引退」の解説は、「高橋尚子」の解説の一部です。
「ファイテン(チームQ)〜現役引退」を含む「高橋尚子」の記事については、「高橋尚子」の概要を参照ください。

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